3つのスキルと、それらを支える「信念」
ARCH研究会でのデプスインタビューと議論を通じて、一つ残酷な事実が浮かび上がりました。それは、「人事のオペレーションをいくら極めても、自動的に経営のテーブルには辿り着かない」という、非連続的に壁を越える挑戦が必要であるということです。
事業部門を経験していなければCHROになれないという意味ではありません。自社のビジネスモデルを事業責任者と同等以上の解像度で理解し、そこに人事施策を直結させることができれば、その壁は十分に越えられます。
壁を越えるため、実践者たちはスマートな通訳を超えた「3つのスキル」と、それらを根底で支える「1つの信念」を持っていることが分かりました。これらはフラットな横並びではなく、「上層の3つのスキル」を、「下層の1つの土台(信念)」が支える階層構造になっています。
<図:経営と人事をつなぐ3つのスキルと信念>

ここからは、これら4つの要件が実際の現場でどのように発揮されているのか、実践者たちのストーリーを交えて詳細に紐解いていきます。
①「人がどう利益を生むか」を理解する力(ビジネス・スキル)
精神論ではなく、自社のビジネスにおいて「誰がどう動けば利益が生まれるのか」を理解する力です。
例えば、「採用数」を追うのではなく、「事業が伸びない原因は、人の数なのか、質なのか」を特定し、それがいくらの利益インパクトになるかまで語れる思考力が求められます。そのためには自社のビジネスに対する深い理解、さらには、そこにいる人材の活躍状況の現場感のある把握が必要になります。
【実践事例】 ビジネスモデルを起点にした組織づくり
<株式会社グッドパッチ People Empowerment Office 室長 井出 日彦 氏>
デザイン会社で初めて上場企業となったグッドパッチでしたが、上場後の成長は鈍化していく壁にぶつかっていました。個が輝く、カルチャーも素晴らしい会社であった一方、ビジネスコミットの弱さが会社の成長の足かせになっている部分があると課題を見出しました。
そこで、より一人一人のビジネスコミットを高めるために、それまでデザインのアウトプット品質やそれを支える能力が評価の中心にあった評価制度を、ビジネス成果(売上への貢献)を明確に評価処遇に組み込んだ制度への改定を行いました。賛否が出る大掛かりな改定ではありましたが、会社事業の成長のために必要なものと判断し、嫌われる覚悟を持って人事主導で改定を進めました。結果、ビジネス成果へのコミットが高まりビジネス成果にもつながったことから、人事が事業成長の鍵であることを証明しました。
【泥くさいプロセス】
組織を筋肉質にするため、社員にとっては厳しさが増す制度変更を自ら推進し、事業成長の基盤を作った井出氏の覚悟。その根底にあるのは「『良い会社』である以前に、厳しい競争環境を勝ち抜く『強い会社』でないといけない」というビジネスに根差した戦略的思考と、嫌な仕事から逃げない責任感です。
【実践事例】 投資対効果の視点で人事課題を捉える
<元株式会社ツクルバ 執行役員CHRO 藤田 大洋 氏>
労働集約型の事業において、藤田氏は「人への投資対効果(ROI)」や「従業員生涯価値(LTV)」を経営における判断の指標としました。
事業フェーズの変化に伴い、組織に合わなくなった人材の新陳代謝も含めて、経営視点で「適切な人材が、長く活躍して、ご機嫌に働いてもらう」ための仕組みを設計。人事課題を「感情の問題」から「経営の投資対効果の問題」へと昇華させました。
【泥くさいプロセス】
感情論になりがちな人事課題を「人的ROI」「LTV」といった経営の投資対効果の言語に翻訳し、新陳代謝の仕組みも設計したこと。これを実現したのは、人事の枠に閉じこもらずに「人間の感情の機微や非言語領域」への深い関心を抱きながらも、同時に「事業フェーズに合わない人材のアウトフローも必要である」という、ウェットな人間理解とドライな経営合理性を両立させる価値観です。
②「決まる前の情報」を得るための信頼と調整力(ヒューマン・スキル)
決定を待つのではなく、戦略が形になる前の段階に入り込むために、経営者の壁打ち相手となる力です。
これには専門知識以上に、「経営課題を本音で相談できる相手」としての信頼と、社内の利害を調整して物事を前に進める「合意形成力」が必要です。人事パーソンとしても経営についての理解を深め、その人なりの経営に対する仮説を持ち、その経営の方向性に対して人事としてどのように貢献ができるか、自論を持つことが不可欠です。CHROとしてボードの席を持っていなかったとしても、人・組織の側面から経営課題を解決する方法の仮説を持っておくことが不可欠です。
【実践事例】 経営戦略と組織能力を同期させる「納得感」ある合意形成
<株式会社クイック 上席執行役員 CHRO 結城 賢治 氏>
結城氏は、経営戦略の遂行と組織基盤の強化を切り離さず、組織全体を前進させる卓越した調整力を発揮しています。
経営の描く「各事業部のリソース活用」というビジョンを、現場の具体的課題を通じた「組織能力の向上」という文脈に翻訳して提案。具体的には、グループ横断の階層別横断研修など、部門を超えたシナジー創出の起点を構築しました。期待を上回る的確なアウトプットとリスクの可視化により、経営・現場双方から深い信頼を得ながら、建設的な合意形成を実現しています。
【泥くさいプロセス】
結城氏は、意思決定者との関係構築を徹底しています。経営層に対し、要請を待たず自発的かつ高頻度に情報を共有し、口頭のみならずドキュメントによる合意形成を徹底し、成果を早期に可視化しています。この泥臭いプロセスにより、経営の納得感を着実に積み上げ、次なる拡大フェーズへと円滑に繋げていく確かな実行力を発揮しています。
③ 「判断基準」を仕組み化する力(人事の専門性・仕組み化)
経営者の個人的な感覚や判断軸を、組織全体が動くための「共通のルール(理念・評価基準)」へと言語化し、制度に落とし込む力です。
経営者が交代しても組織がブレないための「仕組み」を作れるかが問われます。そのためには組織を動かすハード(人事制度や組織構造)とソフト(社員のスキル・マインドや組織文化)の両面に対するアプローチ方法を理解して使いこなす力が不可欠です。
【実践事例】 属人的な統治から理念による仕組み化へ
<株式会社シーユーシー・ホスピス 人事部 部長 鎌苅 亮介 氏>
急拡大する組織の中で、創業者のカリスマ性に頼った経営に限界を感じ、「上司は理念(フィロソフィー)」というルールへの書き換えを行いました。
採用・任用・評価・報酬のすべてを「理念に合っているか」で決める仕組みを作るとともに、創業者を理念のエバンジェリストに仕立て、従業員に対して「拠り処は創業者ではなく、理念なんだ」という啓蒙活動を徹底。その結果、理念に集う応募者が集まり、組織のコンディションは高まり、離職率を劇的に下げることに成功。経営者のカリスマ性に頼らない、理念を中心に据えた組織基盤へのシフトを実現しました。
【泥くさいプロセス】
急拡大する組織において、創業者のカリスマという「属人的な魔法」を解き、あえて「理念」という「共通のものさし」による統治へと切り替えたこと。鎌苅氏を突き動かしたのは、「ビジョンの実現に向けて事業成長や拠点拡大を実現するためには、属人的なマネジメントからシフトすることが不可避であり、共通の『理念』こそが組織を統治し成長させる唯一の軸である」という揺るぎない信念です。
④ やりきるための「信念」と「原体験」(すべての土台)
そして最も重要なのが、これら上層の論理や調整力を根底で支える個人の「信念」です。
短期的な利益と、中長期的な人への投資は、時にぶつかります。その際、安易に流されず、人への投資を守り抜くためには、「なぜそれをやるのか」という強烈な原体験に基づいた信念が必要です。
【実践事例】 減益の決断と人への投資
<株式会社うるる 執行役員CFO 内丸 泰昭 氏>
内丸氏はCFOとして、5カ年中計最終年度の目標であったEBITDA15億円という高利益を達成しました。株式市場からもさらなる増益期待があったことを重々理解していましたが、翌年度は、人への大幅な投資のため、EBITDA10億円への減益計画を断行しました。
これは、中計最終年度に短期的な利益達成のため疲弊する従業員や組織の状態に真っ直ぐ向き合い、人事担当役員との密な対話を続けた結果、「この状態はサステナブルではない」「このままでは中長期的な企業価値向上に悪影響が出かねない」と判断したためです。
【青くさい信念】
内丸氏が「サステナブル」にこだわる背景には、過去の職場で過度なプレッシャーによって優秀な同僚が心身を病んだり不正に走ってしまったという強烈な原体験がありました。
「余裕のない組織は人を狂わせる」という恐怖にも似た信念があったからこそ、短期的な利益追求と対峙し、人への投資(減益)により組織の健全性を守り抜くという、経営者としての「覚悟の決断」ができたのです。
「社員がイキイキ働ける『余裕(スラック)』を強い意志を持って創出することこそが、持続的な企業成長の大前提である」という、財務指標を超えた確固たる経営観が土台となっています。
終章:CHROを目指すあなたへの「3つの問い」

本稿では、実践者たちの生々しいストーリーを通じて、経営と人事の「連動」の正体(What)、それを阻む壁(Why)、そして乗り越えるための条件(How)について論じてきました。
しかし、理屈を理解しただけでは、現場の壁は越えられません。最後に、CHROを目指す次世代リーダーである読者に向けた「3つの問い」を提示します。
Q1. 未確定な「0次情報」に関わるリスクを負っているか?(What/Whyへの問い)
多くの人事は、決まったことを実行するのが得意です。しかし、そこからスタートする限り、人事は「実行部隊」のままです。
経営者の頭の中にある、まだ言葉になっていない迷いやアイデア。これらは曖昧で、コロコロ変わることもあり、関わることにはストレスが伴います。
あなたは、指示を待つのではなく、その不確実な検討プロセスに自ら飛び込み、壁打ち相手となることを選んでいますか?「決まっていないから動けない」という姿勢が、経営と人事の距離を作っているのかもしれません。
Q2. 短期的な数字の圧力に対し、組織の未来を守れるか?(Whyへの問い)
経営は、投資家や市場から「今すぐの成果」を強く求められます。その際、人事までが一緒になって目先の数字だけを追ってしまうと、組織は疲弊し、未来が失われます。
あなたは、経営が短期的な利益にフォーカスし過ぎているときに、「10年先の組織の姿」や、そのために足元の「文化形成」の必要性を唱えることができますか?変化の激しい中で、変わってはいけない組織の軸を守る「バランサー」としての役割を、嫌われることを恐れずに果たす準備ができていますか?
Q3. その判断の根底に、あなた自身の「人間観」はあるか?(Howへの問い)
AIやデータ活用が進む現代において、最後の意思決定には「人への深い理解」と「個人の信念」が求められます。
「なぜ、その人を採用するのか」「なぜ、その組織課題に取り組むのか」。
論理的な説明の奥底に、「人はどうすれば力を発揮できるのか」「この組織をどうありたいと願うのか」という、あなた自身の原体験や哲学に基づいた「人間観(すべての土台)」はありますか?
経営の理屈と人の感情がぶつかる場面で、最後に周囲を動かすのは、借り物の理論ではなく、あなた自身が持つ「人や組織に対する揺るがない考え」です。
結びにかえて
「経営戦略と人材戦略の連動」。
その正体は、きれいな図を描くことではありません。
それは、論理的な経営判断と、感情を持つ人間という二つの要素を、異なる言葉や時間軸を調整しながら「一つ」に統合していく、地を這うような粘り強いプロセスの積み重ねです。
そのプロセスを前へと進めるのは、スマートな戦略論ではなく、「人の可能性を信じ抜く」という、ある種愚直なまでの信念です。
既存の「人事」という枠組みを超え、経営の意思決定そのものに参加する人事パーソンとしての覚悟が、いま問われています。

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