「時間の感覚」と「情報」のズレ
経営と人事の一体化が重要だと頭では分かっていても、現実の企業では必ず「分断の壁」が立ちはだかります。この壁に直面した実践者たちは、どのようにしてその溝を埋めていったのでしょうか。彼らの地道な格闘の軌跡を見てみましょう。
【実践事例①】 短期的な数字と長期的な組織成長のバランスを探る
<株式会社うるる 執行役員CFO三浦 健吾氏>
経営機能の一部として、短期的な利益や成果の追求は避けて通れない命題です。一方で、人事が見据えるべき「中長期的な組織成長」とは、時として時間軸のズレが生じ、トレードオフの関係に陥ることがあります。三浦氏自身、過去の経験において、これらが相容れないものとしてどちらかが切り捨てられてしまう場面を幾度も目にしてきました。
三浦氏はこの矛盾に対し、「できない」と拒絶するのではなく、ズレはあるものとして、経営・事業部門・人事の三者が納得できる「最適解(バランスポイント)」を泥臭く模索するプロセスを徹底しています。単なる妥協案を探るのではなく、相手のオーダーの裏側にある「真の意図」を徹底的に深掘りし、言語化すること。そうすることで、「目先の数字を確保しながら、同時に組織の未来を仕込む」という、一見困難な両立を合意形成へと導いています。
【泥くさいプロセス】
この泥くさいアプローチの根底にあるのは、時間軸や優先順位が異なるのは当然だが、対話を尽くせば必ず三者が握ることができるポイントは存在するという、相互理解に対する揺るぎない信念です。現場の痛みと経営の焦燥、その両方を解釈し、共通の言語へと翻訳し続ける粘り強さこそが、人事に求められるものと言えます。
【実践事例②】経営の想いを10年越しにKPIへ。フロー実装の軌跡
<株式会社丸井グループ 人事部長 原田 信也 氏>
丸井グループでは、2012年の全社会議で「フロー理論(能力と挑戦が高い水準で釣り合ったときに生まれる没頭状態)」が紹介されました。しかし当時は概念的で、浸透や定着には至りませんでした。
その後、経営が再び投資家向けに「フロー」の重要性を語る機会が訪れます。
原田氏はこれを、フローを全社に根づかせるチャンスと捉え、チームで取り組みを始動しました。フローを主管する小島CWO(チーフウェルビーイングオフィサー)率いるウェルビーイング推進部と連携しながら試行錯誤を重ねた結果、同部が保持する「ストレスチェックデータ」とフローの概念を結びつけ、組織状態を定量的に見える化する仕組みにたどり着きます。
こうして経営者が抱いていた「仕事を通じてフローを体験できる組織をつくり、目指す姿の実現と社員の幸せを両立したい」 という想いは、データという共通言語に翻訳され、全社KPIへと昇華されました。
【青くさい信念】
原田氏が経営の想いに深く共感したのは、人事部に異動する以前、中堅社員として働いていた頃のことです。
そのときに抱いた想いを10年越しに形にするため、部署の垣根を超えて動き、「データで証明する」取り組みへと結実させました。結果として、経営戦略と連動した人材戦略へとつながっています。
その根底にあるのは、「概念的な取り組みに終わらせず、経営に貢献する形で定量的に証明し、未来の価値につなげてこそ人事の意味がある」という揺るぎない価値観と、その実現のために“常に開かれた人事部であるべきだ”という信念 です。
【実践事例③】 人と組織に関する議論の場を強制的に作り出す「人材委員会」
<株式会社アイスタイル 執行役員 CHRO 兼 ヒューマンリソースセンター センター長 勝並 明子 氏>
アイスタイルでは経営会議と別で「人材委員会」を設置し、人と組織について議論する場を強制的に作り出しています。
通常の経営会議ではどうしても目の前の事業の議論が優先されがちです。そこで経営会議と並列に「人材委員会」としてあえて別の重要な経営アジェンダとしての会議体を設けることで、「組織の未来」「人材の未来」という検討テーマに経営陣がじっくり向き合う時間を確保しました。それに紐づけた組織、制度のありかたなども活発に議論し、経営戦略と人材戦略の同期を図っています。大事にしているのは、決めたことを承認する場ではなく、参加者に活発に議論をして未来にむけた意見を出してもらうことです。そして十分に議論して決めた後は、その実践にマネジメントとして強くコミットしてもらうことでスピード感あるさまざまな変革につなげています。
【泥くさいプロセス】
短期的な業績に偏りがちな経営会議とは別に、必然的に「人と組織の未来」を議論させる「人材委員会」を立ち上げて続けていく政治力。これを支えているのは、「マネジメントがコミットして本気の成長支援を行わなければ、組織の未来はない」という人材への強い使命感です。人事のメンバーをこの委員会の事務局として参加させ、経営陣の視点を知っていくということも経営戦略と人材戦略を一体にしていくために必要なプロセスです。
CHROが立ち向かう2つの壁

彼らが埋めようとしていた「壁」の正体。それは、単なるコミュニケーション不足ではなく、「時間感覚の違い」と「アクセスできる情報の違い」という構造的なズレです。
「時間の感覚」の違い
経営と人事では、見ている「時間軸」がその時々で異なります。経営は常に長期を見ているわけではなく、足元の決算について投資家に対する説明責任を果たさなければならない瞬間もあります。
一方で人事も、10年先の組織文化にフォーカスしている時もあれば、目の前の労務対応に集中しなければならないこともあるでしょう。
つまり、時間軸は「経営は長期、人事は短期」と一概に言えるものではなく「その時々の双方の時間軸(目線)は必ずズレるものである」と言えます。
また、前述のとおり組織が拡大し分担・分化をしている状況においては果たすべき役割の違いから時間軸はズレやすい状態にあるとも言え、これを放置することが分断を生むことにつながるのです。
CHROを目指すならば、この「ズレ」が存在することを常に認知し、解像度高く状況を把握した上で、自らそのズレを埋め、統合していくアクションが求められます。
「検討段階の情報(0次情報)」へのアクセスの欠如
時間軸に加えて、もうひとつの構造的なズレは経営情報へのアクセスのギャップから生まれます。
多くの人事部門は、経営会議での「決定事項」を受けてから動き出します。しかし、育成や採用にかかる時間を考えれば、決まってから動くのでは手遅れです。
分断が起きている組織では、経営者の頭の中にある「まだ言葉になっていない迷い」や「検討段階のアイデア」を、人事が知ることができていません。ここに触れられない限り、人事は戦略的なパートナーにはなれず、言われたことをやるだけの部署になってしまいます。
一般的には、自分自身で調査・実践して得た情報を一次情報と言いますが、この経営者の頭の中にある「まだ言葉になっていない迷い」や「検討段階のアイデア」といった情報をここでは0次情報と名付けることにしました。
丸井グループの原田氏が経営が投資家向けに説明したことを好機と捉えフローの概念の仕組み化、組織への浸透に動いたように、あるいはアイスタイルの勝並氏が「人材委員会」に人事のメンバーを同席させて議論の生の現場を見せ経営に触れる機会を作ったように、経営者の頭の中にある0次情報に、自ら主体的にアクセスし考え、行動しなければ、人事は戦略的なパートナーにはなれないのです。
では、この分断を解消し、CHROとして経営のテーブルに座るためにはどのような資質が必要なのでしょうか。次のパートで整理をしていきます。

(次回に続く)
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