人的資本経営における経営・人事の戦略「連動」――信念とプロセスでつなぐCHRO論 #1

投稿日:2026/08/25

「経営戦略と人材戦略の連動」――人的資本経営において頻出するこの言葉に対し、人事の現場では「言っていることは分かるが、実態はそう単純ではない」「経営方針が出ても、それを生身の組織にどう落とし込めばいいのか解がない」という違和感が語られることが少なくありません。2026年3月23日に内閣官房・金融庁・経済産業省が公表した「人的資本可視化指針(改訂版)」の中でも、経営戦略と人材戦略の連動に向けた具体的な考え方が追記されており、このテーマがいかに重要であるかがわかります。

ARCH(一般社団法人人的資本経営推進協会)研究会での議論を通じて見えてきたのは、日本企業特有の文脈と、それを乗り越えるための本質的な条件でした。

ARCH研究会に参加する企業群は「創業者が経営をリードする成長企業」という共通点があります。このような環境では、トップマネジメントと人事部門の距離が近く、本来あるべき「経営戦略と人材戦略の連動」が起きやすいという特徴があると考えられます。だからこそ、彼らの取り組みを分解し捉えていくことで、中小企業から大手企業まであらゆる企業が「経営戦略と人材戦略の連動」を再現できるヒントとなる学びがあるはず。そう考え、経営課題として人材戦略を取り扱い、組織の中でリードしている方々へのデプスインタビューを実施しました。

本稿では、この仮説に基づき、現場で繰り広げられたストーリーから、「経営戦略と人材戦略をつなぐための本質」を紐解き、解説します。また、本稿がCHRO(経営課題として人材戦略を取り扱いリードする役割をに担う)を目指している方々にとって一歩踏み出す勇気と覚悟を固める一助となれば幸いです。

初回となる今回は「What:目指すべき状態」について考えます。

What:目指すべき状態~「つなげる」のではなく、「元々ひとつだった状態」への回帰~

「経営と人事をどう連動させるか」。多くの企業がこの接続作業に悩む中、そもそも「分断」すら存在せず、最初から完全に一体化して突き進んでいる企業があります。彼らはどのようにしてその状態を維持しているのでしょうか。まずは2つの実践ストーリーを見てみましょう。


【実践事例①】 文化・人事を事業に優先させる意思決定

<iYell株式会社 執行役員CHRO 伊東 拓真 氏>

iYellでは、創業時から経営戦略と文化・人材戦略を連動させることを強く意識しています。その具体的な設計として、人事のトップを常に経営メンバーが担う体制を採用しています。これにより、事業と人事の意思決定の分断を防ぎ、経営判断と組織判断の一貫性を担保するといった効果を生んでいます。

運用上、特徴的なのは、「文化・人事が事業に優先する」という徹底した優先順位付けです。組織が拡大する中で、カルチャーに適合しない人材が増加すると、一定のタイミングで組織から離脱していく可能性が高まります。そのため、組織の純度を維持するという観点から、短期的な事業合理性よりもカルチャーフィットを優先する意思決定を行っています。

この方針を実現する為に、経営理念である「1000年経営」を前提とした、役員を中心に「1000年会議」を日次で実施しています。この会議体では、経営の意思決定と人事の判断基準を常に合わせ続けることで、組織規模が拡大しても「一つのチーム」として経営する状態を維持しています。

スタートアップとして資金調達を行い、急成長する過程では、株主を中心とした外部からの期待の重圧により、事業優先の意思決定を求められる局面も発生します。その際には、経営理念に立ち返る、長期的な企業成長に資するかを問い直す、というプロセスを通じて、意思決定の軸をぶらさないことを重視しています。

また、社員への意思決定の浸透を目的として、理念やカルチャーを体系化した社内冊子を数年に一度作成・リリースしています。これにより、経営の考え方の言語化、組織全体への一貫したメッセージ伝達を実現しています。

【実践事例②】 トップ自身が現場の評価にコミットする

<株式会社SHIFT 人事本部 VPoHR 上岡 隆 氏>

SHIFTの急成長(採用数300名→2500名/年)の背景には、トップ自身が人に強い興味を持ち、事業を動かす駆動装置として”評価会議”を設計していることがあります。社長自ら1000人規模の評価会議に全て参加し、評価するためには一人ひとりの社員の理解が不可欠だということでタレントマネジメントシステムを自社開発し、評価制度自体も半期ごとにダイナミックに変更していく。「ビジネス=人」であり、切り離せない両輪であるからこそ、人材戦略が経営戦略と一体となっているのです。

また評価会議自体が”経営戦略会議”としても機能しており、個を1000人見ることで、組織全体を解像度高く理解することができ、戦略の見直しにもつながっています。 


連動ではなく一体化

これら2つのエピソードが示しているのは、私たちが目指すべき理想形が「連動(後からつなぎ合わせるもの)」ではなく、「元々ひとつだった状態への回帰(一体化)」であるという事実です。

創業期を想像してください。創業者は「事業をどう伸ばすか」と「誰を採用し、どう育てるか」を、一つの脳内で同時に思考しています。そこには分断はありません。創業期から経営者たちが「経営戦略と人材戦略の一体化」を徹底している会社には、この分断が起きていません。

しかしながら、多くの日本企業は成長の過程において、組織が拡大し役割が分担・分化される中で、人事は目の前のオペレーションに追われ、経営のスピードに追いつけなくなり後手に回ってしまいがちです。その結果、経営と人事との距離が開き、分断状態に陥ってしまうのです。

つまり、今求められているのは、組織拡大によって切り離されてしまった「経営と人に関する意思決定」を、摩擦を恐れずに再び経営チームの中で「一つ」に統合し直す、地道で根気のいる再構築プロセスと言えます。

青くさい信念と泥くさいプロセス

この再構築をなし遂げるために不可欠な要素として、ARCH研究会での議論において「青くさい信念」と「泥くさいプロセス」という2つのキーワードが浮かび上がりました。

青くさい信念」とは、企業活動として短期的な利益やビジネスの正解を大切にしながらも、加えて「人はどうあるべきか」「組織はどうあるべきか」という理想や哲学を持つことです。
そして「泥くさいプロセス」とは、人と人が向き合い、摩擦を恐れずに意見をぶつけ合い、妥協点ではなく、スマートな制度設計だけでは解決できない最適なバランスを見つけ出す地道な対話や行動のことです。

iYellの事例で言えば、「1000年会議」という日次の会議体で、経営と人事の判断基準を妥協なくすり合わせ続ける地道な対話が泥くさいプロセスに該当すると考えられます。この泥くさい対話を支えているのは、「社員を安易に甘やかすのではなく、外の厳しい環境でも生き残れるプロフェッショナルに育て上げることこそが真の優しさである」という、伊東氏の人への深い愛情と厳しさを併せ持つ信念でした。

また、SHIFTの事例においては、 1000人規模の評価会議にトップ自身がフルコミットし、「ビジネス=人」という本質から絶対に逃げない姿勢が青くさい信念に該当すると考えられます。このトップの青くさい信念を人事施策として現場に実装し切った上岡氏の根底には、「会社が成長してこそ、人に新たなキャリアや面白い挑戦の機会を提供できる」という事業成長と人の幸せを不可分と捉える価値観と、「仕事とは最後までやり切るものだ」という強い覚悟がありました。

では、経営と人材戦略の一体化を組織が拡大したとしても実現し切るためには何が必要なのでしょうか。次のパートでは、その点について掘り下げていきます。

ARCH研究会での議論の様子

次回に続く


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  • ARCH研究員

    「人的資本経営推進協会」が開催する「ARCH」(Accelerating and Raising Corporate value through Human capital management)による研究員。以下メンバーで構成。

    • 井出 日彦:株式会社グッドパッチ 執行役員 CHRO
    • 伊東拓真:iYell株式会社 執行役員CHRO
    • 井上 陽介:株式会社グロービス ブランディング&マーケティング・コミュニケーション マネジング・ディレクター
    • 内丸 泰昭:株式会社うるる 執行役員 Co-CFO
    • 勝並 明子:株式会社アイスタイル 執行役員 兼 ヒューマンリソースセンター センター長
    • 鎌苅亮介:株式会社シーユーシー 執行役員
    • 上岡 隆:株式会社SHIFT 人事本部 VPoHR
    • 田中 伸明:株式会社イー・ファルコン 代表取締役
    • 冨樫 智昭:株式会社リンクアンドモチベーション 特任執行役員
    • 永島 寛之:中央大学 客員研究員
    • 野澤 比日樹:株式会社ZENKIGEN 代表取締役CEO
    • 原田信也:株式会社丸井グループ 人事部長
    • 藤田 大洋:株式会社People Centered 代表取締役
    • 堀田陽平:TMI総合法律事務所 アソシエイト(弁護士)
    • 三浦 健吾:株式会社うるる 人事部長
    • 結城 賢治:株式会社クイック 上席執行役員CHRO

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