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小笠原治×伊藤羊一(1)モノゴトのインターネットIoTに注目、そしてDMM.makeへ

投稿日:2016/05/11更新日:2021/10/26

活躍中のリーダーたちにリーダーとなった瞬間を問い、リーダーシップの出現メカニズムを解き明かす本連載。第5回は、日本のIoTをリードし続け、「DMM.make」の総合プロデューサーを務めるなどした後、「DMM.make AKIBA」のエヴァンジェリストやさくらインターネットのフェローとして活躍中の小笠原治氏にお話を伺いました。(文: 荻島央江)

 

<プロフィール>
さくらインターネット株式会社フェロー 小笠原治
1971年京都市生まれ。96年、日本のインターネット黎明期よりホスティングサーバの提供を手掛ける国内最大手、さくらインターネットの設立に共同創業者として参加。その後、コワーキングスペース「NOMAD NEW’S BASE」やスタンディングバー「awabar」など様々な事業を手掛けながら、ITスタートアップを支援するnomadを設立。現在は、製造業を中心としたスタートアップ支援事業を軸に活動中。2013年、ABBALabを設立。14年11月にオープンした秋葉原のものづくり拠点「DMM.make AKIBA」をはじめ、ハードウェアのスタートアップを支援する「DMM.make」の総合プロデューサーを務め、15年8月からエヴァンジェリストとして活動。同年、さくらインターネットにフェローとして復帰

伊藤: コラムタイトルにあるように、「リーダーシップの旅路」は、「リード・ザ・セルフ(自分自身をリードする)」から始まり、「リード・ザ・ピープル(人々をリードする)」、そして「リード・ザ・ソサエティ(社会をリードする)」と段階的に変容していきます。

小笠原さんはまさに社会をリードするリーダーで、「場」や「インフラ」をつくっていますよね。とりわけここ数年は、IoT(Internet of Things:モノのインターネット)の潮流を先取りして、様々な新しい試みを手掛けています。今回は小笠原さんの頭の中を少し覗かせてほしいと考えています。

高校時代にイベント会社を設立、インターネットに出合うまで

小笠原: 分かりました。ではぐっと遡って高校時代の話から始めますね。僕は高校生の時、自分でイベント会社をやっていたんですよ。僕らの世代って先輩からパーティー券を「売れ」と押し付けられませんでした?

伊藤: ありましたありました。なんとなく大人の仲間入りしたような感覚で喜んでやってたのですが、結局大学生の手下として使い走りになってました(笑)

小笠原: 要は大量のパー券を、有無を言わさず買わされるわけです。もし売れなければ全額自腹を切ることになってしまう。僕はそれが嫌で、イベント会社を立ち上げたようなものです。僕はパー券を売ってくれた人には、料金の3割をバックしました。加えて、イベントの最後に「この人たちのおかげで開催できました」と彼らを紹介した。今まで恐喝まがいのことをされていた人からすると、お金が入ってくる上に感謝までされるので、こっちに身が入るのは当然ですよね。仲間は増え、事業は順調でした。

でも、なんせ高校生ですからね。「未成年は会社をつくれない」と思い込み、イケていないおじさんを連れてきて社長を任せていたら、案の定だまされて、お金を持ち逃げされた。高校卒業の直前、2月くらい。今さら受験でもないし、かといって浪人も嫌だったので、親戚の建築設計事務所に転がり込みました。1990年のことです。

当時は図面ばかり描いていましたね。CADを覚えたいと思って買ったのがPC-98シリーズ。小学生の頃はよくマイコンをいじっていましたが、コンピューターに触れるのはそれ以来でした。

その頃、大手ゼネコンの仕事で、タイから日本にCADデータを送信するという業務に関わり、現地の大学とTCP/IP(インターネットなどで標準的に用いられる通信手順)の共同研究をしました。まだ日本でのインターネットが商業化される前。それが今に至るきっかけです。いわばだまされたから、建築をやったから出合えたわけで、何でもやってみるものです。

伊藤: そこから、さくらインターネットにつながっていくのですか。

小笠原: そうですね。92年、93年頃、同級生が米カリフォルニア大学サンディエゴ校に留学していたので、その家に転がり込みました。そしたらパソコンで「どこの山に雪がある」とか「どのビーチに波がある」という情報を収集して、波乗りやスノーボードに出掛けていた。これがかっこよかった。 「日本に帰ったらインターネットの仕事をしよう」と思い、帰国後に調べ始めました。そのときメーリングリストでいろいろと教えてくれていたのが、さくらインターネット株式会社を一緒に立ち上げた、現社長の田中(邦裕)さんでした。絶対にジジイだと思っていたら、まだ20歳で驚いた(笑)。僕は当時26歳。知り合ってから約2年後の99年にさくらインターネットを法人化しました。

伊藤: ちなみに2年くらいで、さくらインターネットを離脱されていますが、どんな理由からですか。

小笠原: その頃、iモードがサービス開始になり、モバイルでのインターネットがやりたくなったからです。iモードのコンテンツをつくる会社を設立して、数年間活動しました。

インターネットに飽きて、エンジェル投資家に

伊藤: 次にWi-Fiのアクセスポイントの設置・運営を手掛けられて、そして六本木の泡モノ専門のスタンディングバー「awabar」に行き着くわけですか。確か2010年のオープンですね。

小笠原: 一時期、全く仕事をしていなかったんですよね。インターネットに何だか飽きてしまって。そのときにエンジェル投資家にならないかという話が何件か舞い込みました。キャピタリストやエンジェルと呼ばれる人たちは何をやっているのかと言えば、投資先になり得る人たちと知り合うために何百人も集めるイベントを開いたり参加している。僕も参加してみましたがアウェー感たっぷりだったので、自分のホームを作ろうと思ったんです。

伊藤: 以前から人が集まる場所をつくりたいと思っていらっしゃったんですよね。

小笠原: 僕は人見知りで、イベントや異業種交流会が苦手。自分のために「awabar」をつくったようなものです。実際にここでの出会いをきっかけに、出資を取り付けられたスタートアップ企業があった。そういう事例が生まれると、だんだん楽しくなってきて、自然とこういうことがもっと起こればいいな、スタートアップの人たちをもっと呼ぼうかなという気になるんですよね。

伊藤: 西麻布にあるコワーキングスペース、「NOMAD NEW’S BASE」も同じような発想ですか。

小笠原: 知り合いが物件を所有していて「借りてくれないか」と言われたんですよね。下見したときに「ここなら、人が来るかもしれない」と思って、シェアスペースシェアにしたんです。僕は結構、流れと感覚だけに身を任せて生きている感じなんですよ。そもそもバーやシェアスペースを経営したかったわけではなくて、エンジェル投資家として人とつながるための自分のベースキャンプみたいなものをつくろうということです。

頭の中は繁華街にあるような雑居ビル

伊藤: 僕が衝撃的だったのが、コワーキングスペースの「NOMAD NEW’S BASE」に初めて伺った半年後にまたお邪魔したら、1階が3Dプリンターばっかり。こワーキングスペースが工場になっちゃった!と相当びっくりしました。2013年7月に、DMM.comと組んで3Dプリントのサービスを立ち上げられていた。それが発展してDMM.makeになったわけですよね。

小笠原: たまたまDMM.com会長の亀山(敬司)さんと「awabar」でしゃべっているときにアイデアを話したことがきっかけで、トントン拍子で進み、DMMと一緒にやることになったんですよ。亀山さんがいなかったら、ここまで実現できていなかったですね。

亀山さんには「アマゾンが売っていないものを売れる会社になりませんか」という話をしました。「DMMは新しいものづくりをする人を支援します」といきなり言っても人は集まらないので、まずはウェブで始める。海外には既に米国のシェイプウェイズのような3Dプリントサービスがあるからその日本版をやりましょう。大量販売ではなく、ここでしか買えない適量販売を大量に発生させる、今までにないものが作れる場所と、今までになかったものが買えるサービスというのをやりましょうと。

なぜ最初に3Dプリンターでのものづくりに取り組んだのかと言えば、ものづくりを元気っぽくしないと、新しくものを作る人さえ生まれないから。いわば元気がないほうを先にやるというだけ、すごくシンプルなんですよ。

伊藤: なるほど。傍目には一貫性が見えなくて、小笠原さんの頭の中ってどうなっているんだろうなと思っておりました、実は。すみません(笑)

小笠原: 頭の中がたぶん繁華街にあるような雑居ビルなんです。1階の飲食テナントと30階に入っているIT系企業は別だけど、同じビルにいて、もしかしたら何かやれるかもしれない、というような。
僕は、スポーツ推薦で高校に入ったので受験したことがないし、高校卒業後は親戚の建築設計事務所に転がり込んだので就職活動もしていない。人と同じような競争をしたことがないことが、頭の中が雑居のままでいられる理由かもしれません。

伊藤: ただ実際には無秩序じゃなくて、自身の興味という軸があるんですね。

小笠原:僕がインターネットを好きな理由は、インターにネットワーク同士をつなぐものだから。それこそがインターネットの魅力で、ネットワークは何でもいいと思うんです。人のインターネットとモノゴトのインターネットがつながればオーケー。例えば、飲食でも3Dプリントでも相互につながり、新たな価値が生まれることが大事なのです。

IoTとは「モノゴトのインターネット」

伊藤: 気づけば、IoTの世界へまっしぐら、という印象があります。小笠原さんは随分前からそのIoTのことをずっとお話しされてましたが、当時から小笠原さんの頭の中には、今、進められているような、具体的なイメージはお持ちだったのですか。

小笠原: 人が使うインターネットが今の100倍とか1000倍、1万倍になるとは考えられないな。次は何だったらいいかなと。それと、何か支配者が決まってきている感じがするじゃないですか。あれがすごく嫌で、何か穴がないかなという感じでしたね。IoT自体はシスコが言い出したことですけど、高校生のときのパー券売りと似たような感覚があって、とにかくひっくり返したいと。

伊藤: 最初のうちは、MtoM(Machine to Machine)のイメージでしたよね。

小笠原: MtoMは機械が主語だったと思うんですよね。機械をコネクティッドにすること自体が目的化していたというか。IoTの目的はもっと違うところにある、目標としてものをつないでいくみたいなことが僕のイメージです。モノのインターネットという訳に違和感があります。「モノゴトのインターネット」ですよね。日本だと昔から「冷蔵庫をネットにつなぎましょう」みたいな話になっていますが、単にモノがネットにつながるだけのものじゃない。Thingsってモノゴトですよね。

何をセンシングしているかと言えば、操作よりも動作、行動、体内変化、環境変化みたいに物事、どっちかというと変化ですよね。今までディスプレイとキーボード、マウス、タッチパネルみたいなものの操作にしばられてきているはずなんですよね。できれば1つ目の目標としてはUIをなくしたい。UIがなくたって、ある程度操作がなくなってくるはずです。

伊藤: これは以前からおっしゃっていますね。その頃よくわからなかった僕も、流石にずっと聞いているので、今では相当理解できるようになりました。

小笠原: ずっと同じことを実は言っているんです。資料を見ずに目をつぶっても言える。もう操作は嫌じゃないですか。自分の楽しみの部分はいいんですよ。例えば、釣りをするのに釣り具がなくなったら嫌でしょうとか、そういうところはシンプルに残しつつ、自分の楽しみ以外の操作ってないほうがいいわけで。チャットであれば相手に気持ちを伝えたいのであって、フリックしたいわけじゃないですよね。

その次に目指したいのが、オーケストレーション。これは孫泰蔵さん(ガンホー・オンライン・エンターテイメント前会長)の造語なのですが、オーケストラのように、指揮者の元、いろいろなものが協調して最快適を導くイメージです。例えば、この部屋の空調が伊藤さんにとっても僕にとっても快適な状態をつくり出すには、たぶん空調機1つでは無理なはずです。様々な機器が組み合わさって、結果、同じ部屋にいてお互い心地いい状態を保てるという。モノがつながり合い、インターなものが出来上がることで人に新たな価値を返すみたいなものが第2段階の目標です。

すごくシンプルに僕は操作ではなく動作、行動、体内変化、環境変化みたいなものをセンシングして、価値あるフィードバックを生むサービスやプロダクトがもっと増えていって、その結果としてまずはUIがなくなる、その次は人に対して、また世界に対して、よりよい結果を導き出すようなオーケストレーションやそのための人工知能といった流れがつくりたい。究極的にはみんながもっと楽しく心地よくなればいいというだけです。

次回はこちら

https://globis.jp/article/4284

 

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