それぞれのアフリカ、それぞれの入口
町井さんがAfriMedicoを立ち上げてから10年超。水野さんのタンザニアでの仕事がグロービスのケーススタディとして学生に読み継がれてきた時間。北住さんがアフリカ部を創設してから8年。
それぞれが異なる形でアフリカとグロービスを結びつけながら積み重ねてきた時間が、この夜一つのテーブルに集まっていた。
まず聞いてみた。アフリカで、何をしてきたのか。そしてそもそも、なぜアフリカだったのか。
水野さんは住友化学でタンザニアに6年。マラリアを媒介する蚊から人々を守る防虫蚊帳「オリセットネット」の製造・販売を束ねた。年間3000万張の生産体制を確立し、7000人の現地雇用を生み出した。
水野「すごくしんどい目にあった。でも結果的には大きなビジネスに育った 」
その仕事がグロービスのケースになり、今も法人研修で使われ続けている。住友化学を離れた後はマラリア撲滅を目指すNPOマラリア・ノーモア・ジャパンの立ち上げに関わり、現在は顧問として活動しながら新たな事業を動かしている。
町井さんは製薬会社で営業をした後、青年海外協力隊でニジェールへ渡り、2年間感染症対策に取り組んだ。グロービス経営大学院への入学を志したのは、ニジェールの現場で自分一人の力だけでは変えられない現実に直面したからだった。
町井「薬剤師として薬の知識はあっても、目の前に薬がなければ何もできない。人を助けたいという思いだけでは、現状は変えられないのだと痛感しました。だからこそ、もっと人を巻き込み、仕組みをつくり、社会を動かす力を身につけたいと思ったんです」
帰国後、グロービスで学び、AfriMedicoを立ち上げた。
AfriMedicoは日本古来の「置き薬」の仕組みをアフリカに応用し、現地スタッフが各家庭に薬を届ける仕組みづくりに取り組むNPO法人だ。
2025年には子ども向け書籍『世界で働く人に聞いてみた なんで日本を飛びだしたの?2』(金の星社・WILLこども知育研究所編著)で、町井さんの歩みとAfriMedicoの活動が紹介された。現在も、グロービスの在卒生を含む仲間とともに、活動の輪を広げている。水野さんのケーススタディの作成に関わったことが二人の出会いだった。
北住さんはルワンダで2年間、協力隊として活動した。帰国後、病を経てやりたいことを考え直したとき、グロービスへの入学とアフリカ部の創設を決めた。以来8年、月2回の勉強会を続けている。
北住「グロービス入学時、エッセイも面接もアフリカの話だけで通しました。一応会社員なんですけどね」
澁澤さんは現在、KIBOW社会投資ファンドのインベストメント・プロフェッショナルとして活動する。子どものころ、ニュースを通じてアフリカの課題を知り、自分の目で見たいという思いでジンバブエへ渡り、国際人道支援NGOのADRAで活動した。
澁澤「一番大変なところに行った方が面白いかなと思ってアフリカを希望しました」
岡本さんは現在、グロービス教育科学研究所(GESRI)に所属する。大学時代にアフリカへ行き、WASSHAへ進んだ。
WASSHAはアフリカの未電化地域で、モバイルマネーとIoTを組み合わせたLEDランタンのレンタル事業を展開する日系スタートアップだ。
岡本「日本の常識が全然通じない世界で、でも一緒に過ごしていた人たちはエネルギッシュで、大変な環境なのに楽しそうで。そのエネルギッシュな感じが自分にはすごく心地よかった」
動かないスタッフと、輝く天の川
それぞれの原点を聞いた後、話題は自然と現地の記憶へと流れた。アフリカで暮らすとはどういうことか。
まず出てきたのは「時間の感覚」の話だ。
水野「現地の人は、おしゃべりが大好き。初対面でも挨拶して仕事もしないで、長々長々喋ってるんですよ。かつのんびりやっているし、日本人がよっぽどせっかちにみえてくる」
澁澤「本当にそう。スタッフたちはまったく思い通りに動かない。それぞれが思っていることを言うだけで、こちらの意図通りには進まない。NGO時代、スタッフの目の前でずっと見張っていたこともありました」
町井「アジアでは、こちらの投げかけに対して比較的早く反応が返ってくることも多いのですが、アフリカでは、まず関係性をつくりながら、相手のペースや背景を理解して進めていく必要があると感じました。最初は戸惑いましたが、それも現地で学んだ大切な感覚でした」
北住「アフリカの時間の中にいると、日本がいかに便利で、いかにせかされているかがよくわかる。あの感覚、アフリカに行った人にしかわからないと思う」
現地の生活には日本では体験できない豊かさもあった。
町井「現地では暑くて眠れないから、寝る前に体中に水をぶっかけて気化熱で涼を取って眠るんです。夜、野外のベッドに寝転ぶと天の川が見えて。地球が回っているのがわかるくらい、星が鮮明でした。水が足りないので、そのうちペットボトル1本で全身を洗えるようになります。髪も自分で切って、壊れたものは自分で直して、うどんも自分で作って」
岡本「学生時代にケニアのNGOでインターンしていたころは、平日はお風呂に入れなくて、週末だけ戻って入るような生活でした。でもそれが苦でもなかった」
届けなきゃ、意味がない
では、現地での経験は「志」とどう結びついているのか。この夜、全員に共通していたのは「現場に出て初めてわかった」という感覚だった。ただその「わかり方」は、一人ひとり違った。
水野さんが語ったのはラストワンマイルの話だ。タンザニアで蚊帳を作り続けながら、一つの壁にぶつかった。折角作っても届かない。インフラがない、物流がない。
水野「作ることと届けることの間に、アフリカではものすごいギャップがある。トラックを買うしかないが金がない」
合弁先のA to Z社と協力し、自社でトラックと運転手を用意して各地の小売店や病院まで届ける仕組みを作った。用意したトラックは最終的に200台以上。ロジスティクスの問題を解決したことで、販売が伸び、競争力がついた。
水野「全部設計図が揃ってから動くのではなく、やりながら形にしていく。エジプトのオベリスクだって、現地で彫りながら、立てていくでしょう。終わってみたら、きれいに立っている。それと同じですよ」
「届けなきゃ意味がない」という執念は、現場を知るからこそだった。
町井さんの場合、グロービス入学の動機と今のNPOのミッションビジョンはまったく同じだという。「日本とアフリカの人をつなぎたい、薬を届けたい」。現場での挫折を経て、志の輪郭がより鮮明になっていった。「グロービスの2〜3年間で磨いてもらった」という言葉が印象的だ。
澁澤さんは「見ているだけではつまらないと思ってNGOに入った」と言う。ニュースでアフリカの課題を知り、現地へ渡り、関わらずにはいられなくなった。見ることから関わることへ。現場がその背中を押した。
岡本さんはもっとシンプルだ。「アフリカのためにというより、アフリカが好きだから」。使命感から始まらなくても、現場に出続けることで志は育つ。
北住さんは正直にこう言った。
北住「クラブを大きくするのが正解なのかはずっと悩んでいる。向かっているところもないし、正しさもないし」
それでも8年間、月2回の勉強会を続けてきた。現場を持たないまま現場を語り続けることで、志が形になっていく——そういう関わり方もある。
現場でしか見えない課題がある。現場でしか磨かれない判断力がある。そして現場を語り続けることで志は育つ。この夜集まった全員が、それぞれの形でそのことを知っていた。

横にいてくれる人がいたから
続けることは、簡単ではない。必ず、大きな壁が現れる。
水野さんは激務の末に鬱病と診断され、休職を命じられた。「サラリーマンで会社来なくていいって言われたらもう終わりやと思った」。
そこで横にいた妻が「辞めたらいいんじゃない。そんな顔してるあなたを見てるよりいいわ」と言ってくれた。
「これはいつも俺のオチで使っているんだけど、すごい大事なこと」と水野さんは言う。
NPOを立ち上げてからも、苦しい時期が続いた。会社員時代はヒエラルキーの中で動けばよかった。しかしNPOでは違う。指示命令ではなく、志で人を動かさなければならない。今までやってきたこととまったく違う世界だった。
水野「志を持った人が立っているかどうか。しんどくても立たなあかんねん。それがしんどい」
その言葉に、町井さんが静かに応じた。
町井「水野さんと2人きりで何杯か飲んで、お互いに涙を流した夜があって。話ができただけで全然違った」
水野「同じ苦しさをわかってくれる人がそこにいるかどうか。誰かが一緒にいてくれれば」
北住さんにも、そういう瞬間があった。
北住「アフリカ部の勉強会に2人しか来なかった回があって。その時に1人が『2人いたら勉強会じゃん』と言ってくれた。その一言で続けられた。歯磨きみたいな感じで、今さらやめられない、という感じで今も続けています」
町井「産んだら育てるしかないですよね。10年やってきたから、今さらやめられない、という感覚がある」

水野さんの次の挑戦——子供の目が変わっていく前に
71歳になった今も、水野さんは動き続けている。
NPOの顧問として関わりながら、アフリカの会社のために、何かしら新しい事業をデザインできないか。
ドローンとAIによるデータ分析で効率的なマラリア対策に挑む日本のスタートアップ企業「SORA Technology」のアフリカ事業を支援する形で新しい事業を動かすことにも取り組んでいる。
根底にあるのは、住友化学がほぼアフリカ事業から撤退した現在、タンザニアでの事業や、そこの工場で働いていた従業員、女性たち、特に、シングルマザーたちの雇用が失われつつあることへの強い危機感だ。
水野「子供の目がめちゃめちゃ綺麗なの。アフリカの子供の目を見たらね、輝きが全然違う。でも変わっていくんだよ。それをなんとかしたい。今も」
かつて、蚊帳の天井に「DREAM COMES TRUE」と文字を入れることを国連(UNICEF)に提案したことがあった。
担当者個人は賛同してくれたが、組織としては却下された。「必要なもの以外は付けない、買えない」という理由だった。
水野「何千万、何億枚(張り)という蚊帳に文字やアニメのキャラクターがポンと入っているだけで全然違う。子供の時に何を見たか、何をイメージできたかで、子供たちの未来は絶対変わると思う。今度やろうとしていることには、是非、そんなアイデアを全部入れこみたいし、それを実現したい」
このとき新事業の詳細は明かしてくれなかったが、新たな挑戦を水野さんは「幸せなことだな」と表現した。
変わるアフリカと、変わらない関わり方
アフリカは今、支援の対象から投資の対象へと変わりつつある。町井さんはその変化を現場で感じている。
町井「TICADも以前は、どちらかというと交流や発表の色合いが強かった印象でしたが、近年は政府や企業の本気度が明らかに変わってきたと感じます。ビジネス目的の企業ブースと、支援団体のブースでは、規模感や熱量の違いも感じられるようになった。ビジネスの熱量は明らかに変わってきている」
その変化の根拠として町井さんが挙げたのが、現地の起業家精神だった。
町井「伸びるのが目に見えているんですよ。AfriMedicoのタンザニアのメンバーを見ていても、薬剤師として働きながら、農業や畜産など複数の事業に関わっている人もいます。限られた環境の中でも自分たちで機会をつくっていく感覚が強く、起業家的なマインドが日常の中にあると感じます」
では、アフリカに関わることに高い熱量は必要なのか。北住さんの答えが印象的だった。
北住「社会にインパクトを与えようと思わなくても、アフリカに関わり続ければいいじゃんと思っています。コンビニに行くついでにアフリカの話をするくらいまでアフリカが日常になったらいい。何かないとアフリカと関われないというのが、違和感なんですよね」

構想は、すでに動き始めている
トランプ政権以降、アメリカへの信頼が揺らぐ中、この夜は日本人だからこそできることへの話題にもなった。
水野「アメリカ人は口ではWINWINと言うが、心の奥には常にWINLOSE。でも日本人はWINWINができるかもしれない。僕がいた当時、現地パートナーの社長(CEO)の父親が『あんな小さな国なのに、日本はロシアに勝った国だから素晴らしい、信頼できる。日本人と組め』と言い聞かせてくれていたらしい。そうやって積み重なってきた日本人への期待・信頼がビジネスの土台になった。日本の良さはグローバルで絶対通用すると思う」
では、グロービスにできることは何か。夕食会の終盤、その問いが自然発生的に浮かび上がった。
アフリカで現場を歩いてきた人たちから、母校への期待が語られた。グロービスもアフリカに拠点を作ってほしいと。
候補地として名前が挙がったのはケニアだった。英語圏で東アフリカの拠点性があり、現地のエマージング層と深く組める可能性がある。ナイジェリアについては全員が「勧めない」と口をそろえた。政治と賄賂の問題が大きすぎるという。ただ「もしできたらインパクトは最大」という声も上がった。
水野「現地でガチで組む相手を見つけることが重要。やるなら現地だよ。10年後にまたこのメンバーで会ったら、全然違う世界になっているかもしれない」
グロービスとアフリカの縁は、この夜さらに深まろうとしていた。現場で志を磨いてきた人たちが、次の現場を作ろうとしている。
編集後記
「ルワンダの現地語で『イニェリ』という言葉があって、電球の光と星とホタルが全部同じ単語なんですよ」
取材を終えた帰り道、グロービスアフリカ部代表幹事・北住竜哉さんのこの言葉が頭から離れなかった。電球と、星と、ホタル。光るものが全部同じ言葉に収まっている世界が、地球上にある。
前職は新聞記者で、東北の震災を現場で取材し、経済部では企業の現場を歩いた。アフリカとは縁がなかった。この夜も「アフリカに行ったことはないんですが」と自己紹介するところから始まった。
でも2時間後、アフリカが、急に遠くない場所になっていた。
知りたい。自分の中に新たな気持ちが芽生える。こんな熱をもらえる人たちが、グロービスにはいる。


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