グロービス経営大学院で長年教員を務めてきた昆政彦氏が、2020年1月1日付でスリーエム ジャパン株式会社およびスリーエム ジャパン プロダクツ株式会社の社長に就任しました。折しも新型コロナウイルスの感染が拡大する中での船出となる中、トップとしてこの困難にどう立ち向かっているのか等、同僚教員である竹内秀太郎がインタビューしました。(全2回、前編、後編はこちら)
社長就任直後、新型コロナウイルスの感染の拡大に直面
竹内:早速ですが、CFOや副社長時代との違いを何か感じますか。
昆:1月1日から明らかに違うと思うのはプレッシャーですね。社長とは心情的にこんなに大変なものだったのかと。前社長の際には、近くにいながら、あまりわかりませんでした。
竹内:これまでも財務担当として、数字に対するプレッシャーは相当強く感じていたと思いますが、それとは違うプレッシャーということですか。
昆:社長の場合、数字を上げればいいだけで済まないということですね。何かを実行するときに出てくるチャレンジングな要素、例えば「経費として計上できるかどうか」という話があるとします。
CFO的には、P/Lの中の経費がきちんと予算内で計上できるかどうかがメイン。そこから派生する問題、それによるインパクトをどう防ぐのかは、ほかの人たちがカバーしてくれていました。しかし社長になると、そこも含めすべて考えたうえでプレッシャーを受けなければなりません。
竹内:今回、社長就任直後に世界的な新型コロナウイルスの感染拡大が起こりました。実際、どんな問題に直面しましたか。
昆:当社は、「N95マスク」に代表されるような医療従事者などの方々が必要とする製品を数多く扱っています。感染が拡大する中で非常に多くの方々から問い合わせやご注文をいただきました。第一に社員の健康と安全を確保しつつ、この需要に対して、できる限り製品を提供するという社会的使命も果たさないといけない。このバランスの取り方は難しかったですね。
そもそも需要が供給を大きく上回っていましたから、優先順位づけをどうするのか。これは大きな課題でした。当社ではグローバルな規模で生産を増加させていますが、当然のことながら、世界規模で感染が拡大する中では、すべての需要に対応することは非常に難しい状況でした。
そうした状況下でも、米国本社のCEOであるマイク・ローマンは「自国に供給を集中させれば、それが米国への輸出制限にもつながる」と言っていました。結果、米国の政府との合意をとりながら、グローバルの医療関係者や最前線で働いている方々などに、まず優先的に必要な製品を提供するという対応をとりました。
また、国内においては、この状況下で日本の社会に対して、何かできないかを考えて推進しました。まず、スリーエムジャパン(以下、3M)で製品として提供している工業用防塵マスクや医療用に提供しているアイガードの生産を最大化しました。経産省と厚労省の共同購買チームと協力して、工業用防塵マスクを医療用にも提供する体制を構築しました。
さらに、「自分たちも何かできないのか」と問題意識を持った社内の有志が、15%カルチャーの活動として、フェースガードの企画と生産を行いました。企画からわずか3週間で製品化することができ、経産省に寄贈して医療現場へ届けていただきました。この迅速さは3Mならではだと思います。
竹内:スリーエムは外形的には米国の会社になると思いますが、米国の国益というより、グローバル企業としての意思決定を優先させたということですか。
昆:米国を犠牲にしたのではなく、それが米国にとっても、グローバルにとっても最良の選択肢であるという考え方です。
社会的価値を上げる企業活動が本格化
竹内:新型コロナウイルスのパンデミックの後、企業にどんな変化が起きると思いますか。
昆:社会的価値を上げようという企業活動が本格化すると思います。すでに上場企業の400、500社は統合報告書を作成していますが、中身を見ると表面的なものもあるようです。
今回のコロナウイルスの感染拡大で何が起きたか。経済活動自体に制約が出て、多くの企業の収益、また個人の収入にも影響が出てくると思います。すると、影響を受けた人、あまり受けなかった人で、格差が広がる。格差が広がると十分な教育が受けられなかったり、衛生環境が悪化したりします。衛生環境が悪化すれば、また新たなウイルスの発生などのリスクが高くなってきます。
これはSDGsのドミノ倒しと言われるものですが、こういう形で全部つながっているわけです。こうなると、自社のことだけ考えていられません。社会全体への影響を考えて経営判断する必要が出てきました。
竹内:ビジネスの前提となる土台を健全な形で保つことに対して、企業がもっと関与していく必要があるということですよね。
そのためには、短期的には収益が望めない事業にも、さまざまな形で取り組まなければならないと思います。自社の利益を上げる企業活動と、それ以外にどう折り合いをつけていけばいいのでしょうか。
昆:ここは大きな議論が起こる分野だと思います。「企業は誰のものなのか」というのは長らくディスカッションされてきましたが、日本、米国、欧州で考え方がまだ統一化されていません。
米国は依然として「株主資本主義」がど真ん中にあり、「サステナビリティ経営」をもう1本の柱として立て、この2本柱で何とか対応しようとしています。サステナビリティをどれだけ高く立てられるかに注目が集まる一方で、株主資本主義は全くブレない。かなりの会社がサステナビリティレポートを別枠で作成していて、これには財務報告は一切掲載していません。3Mも同じ形です。そういうくくり方をしているのが米国のスタイルです。
しかし、100社を超えるグローバル企業のCEOが一同に会した世界経済フォーラムの国際ビジネス評議会(IBC)によって、「サステナブルな価値創造の共通指標と一貫性ある報告に向けて」のレポートが発表されました。この中で、ビジネス、そしてより広範囲にわたるサステナブルなパフォーマンスに対する認識の高まりが示されました。米国の考え方も変わってくるでしょう。
欧州はかなり以前から、知的資産(定性的データ)と財務データ(定量的データ)の2つを融合させています。日本は欧州型に寄っていますが、財務的な部分のパフォーマンスが弱いのが難点。日本は一番難しいことをやっています。長期的に見るのはいいが、会社がなくなってしまったらおしまい。
そのリスクを一番抱えているのが日本です。「直近の利益はあまり見なくてもいいから、社会的価値を高めていくことをやるべきだよね」となったときに、企業体力がないところは途中で頓挫してしまう。ここは本当に慎重に考えていく必要があるでしょう。会社は誰のもので、会社は誰のためにあるのかといった、ベースになる議論をきちんとやっていかないと正しい方向に行けないと思っています。
企業と個人の関係はどう変わるか
竹内:昆さんは企業の雇用責任や、企業と個人の関係についても研究されています。今後、この部分も変わってくるのでしょうか。
昆:変わるでしょうね。活動の中心が自宅になると、複業をする人も増えるでしょう。僕はもともと複業の「ふく」を、「サブ」の副ではなく、「マルチ」の複で捉えていて、お金を目当てにするものではないというのが基本的な考えです。私は仕事をしながら、グロービスで教えているのも複業だと思っています。会社での業務とは違うことをやること、知識やイノベーションの基礎になるものを得ることは大切です。
複業が当たり前になってくると、企業には社員が良好な健康状態を保てるよう、勤務時間や健康状態を把握してコントロールする責任が生じます。状況を知らずに、本業での負担を重くしてしまうと、社員に多大な負荷をかけることになるからです。ただ、どこまで把握するかは悩ましい。プライバシーの侵害にもなりかねないので、そこは難しいところです。
今、3M社内では「フレキサビリティ」と呼んでいます。「フレックス(柔軟性)」と「アビリティ(才能)」を足した造語です。「リモートワークなど、より自分自身のおかれている状況や環境にあった勤務形態にしていきましょう。自分が会社でやっていること以外の社会とつながる活動やボランティアなどにも積極的に関わりましょう」と推進しています。
3Mには、ビジネスに役に立つと思うものであれば、執務時間の15%を自分の好きな研究に使ってもよいとする「15%カルチャー」という不文律があります。だから勤務時間外も「自由にどうぞ」。ただ、労働的な規律や法律との兼ね合いで、全く「自由にどうぞ」まではいけていない。そこをどう切り分けるかは今、検討しているところです。
竹内:3Mの15%カルチャーはイノベーションの源泉と言われています。個人が会社と離れた形でさまざまな活動することは、企業経営にとってプラスだと考えていますか。
昆:プラスどころか、これがないとイノベーションは起きません。まず自分が「これがやりたい!」というものを持つ、これが基本です。つまり自律性を持っていることが必要です。この気持ちを突き詰めるところから、イノベーションは生まれます。15%カルチャーは、それをサポートするツールです。(後編に続く)
(文=荻島央江)
※インタビューはzoomで実施、写真は以前撮影したものを挿入しました