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【山田敏夫×伊藤羊一】米国式ブランディングを真似てもエルメスにはなれない

投稿日:2017/11/02更新日:2019/04/09

活躍中のリーダーに何を「選択」してきたのかを問い、リーダーシップが醸成された過程を紐解いていく本連載。前編は山田敏夫氏に、なぜファクトリエを起業する選択をしたのか教えていただいた。後編は、起業にいたるまでの道のりについてさらにお話をうかがっていく。

<プロフィール>
ライフスタイルアクセント CEO&Founder 山田敏夫氏
1982年、熊本県生まれ。創業100年の老舗婦人服店の息子として育つ。大学在学中、フランスへ留学しグッチ・パリ店で勤務し、一流のものづくり、商品へのこだわり・プロ意識を学ぶ。2012年1月、工場直結ジャパンブランド「ファクトリエ」を展開するライフスタイルアクセントを設立。1年間に訪れるものづくりの現場は、100を超える。

それを選ばざるを得なかった

伊藤: これまでの人生の中で、山田さんがどんな決断をしてきたのかをお聞きしたいのですが、思い浮かぶ場面はありますか。

山田: 振り返ったときにまず、僕は自由に選べる立場にいなかったというか、選択肢が限られていたことが多いなと思ったんですよね。

例えば、高校時代、陸上部で長距離をやっていました。長距離を選んだのには理由があります。それまで僕は剣道、水泳、バスケットボール、ソフトボール、サッカーといろいろなスポーツに挑戦してきたけど、全部駄目、万年補欠だったんです。

その中で唯一、持久走だけは1位にはなれないけど、それなりの順位でゴールできた。もしかしたら走ることは自分に向いているんじゃないかと思って、陸上部に入り、長距離を始めたんです。

僕としては、自分で決断したというより、それを選ばざるを得なかっただけ。特別、タイムが早かったわけじゃないですよ。競技場のトラックを走っているとき、早い選手に抜かされて周回遅れになっていましたからね。

でも、たとえ人より時間がかかっても、足さえ止めずに走り続けていたら絶対にゴールできるということを陸上で学びました。

伊藤: とても大事な学びですね。

山田: 高校最後の県の駅伝大会で、僕らのチームが優勝しました。そのときのアンカーは僕です。一人ひとりがベストを尽くしたら、全体としていい結果を残せる。会社も同じだと思います。

伊藤: 自信もつきますね。

山田: そうですね。僕は「持っていない」ので、選ばざるを得ないことが多かった。フランス留学初日、空港からパリ市街に行くときに地下鉄でスリに遭って全財産を失ったし、フランス滞在中に泥棒にも入られました。僕はどうやらそういう星の下に生まれているようです。

でも、そのおかげでフランス語が流暢にしゃべれるようになりました。部屋に泥棒に入られたとき、僕自身が泥棒と間違われて警察に連行されてしまったんです。当然ながら身の潔白を証明するために「僕は犯人じゃない」と必死で説明しますよね。そのときフランス語をめっちゃ覚えました。

足を動かしてさえいれば前へ進める

伊藤: 山田さんはグッチ・パリ店で働いていたとか。

山田: それも陸上と同じで、そこで働かざるを得なかったのです。当時、お金がなくて困っていて、仕方なく30社ぐらいに手紙を書いて返事をくれたのがグッチでした。

伊藤: 日本へ帰国後は何をされていたのですか。当時から起業を視野に入れていたのでしょうか。

山田: それは考えていましたね。フランスから帰ってきて4年間、人材サービス会社で営業をしていたのも、起業に向けて勉強するためです。ここでも僕は決して出来のいい社員ではありませんでした。初受注は同期の中で誰よりも遅かった。それでもあまりつらいとは思わなかった。不器用な分、人より努力をしなければいけないことは、この頃には自分でもはっきり分かっていましたからね。

伊藤: そうして、いよいよ起業ですか。

山田: いえ、その会社を辞めた後、1年間ほどアルバイトをしていました。ファッション業界の会社に転職したかったのですが、正社員を募集していなかった。ただ物流倉庫だったらバイトの空きがあると言われたんです。僕はファッション業界に入りたい一心でその会社に入りました。かっこよく言えば決断ですけど、自分としてはせざるを得ないことしかやっていないんですよね。

伊藤: その先はどうしたのですか。

山田: 1年が過ぎた頃、役員が倉庫に視察に来たときに直談判したんです。「僕は本社でこういうことをやりたい。一度面接してください」って。そしたら面接を経て、本社に呼んでくれた。その後、さらに幸運なことに、直訴した役員が社長になった。僕は彼の下で貴重な経験をたくさんさせてもらいました。

きれいなキャリアではありませんが、かつての営業や物流倉庫での仕事が今にとても役立っています。

伊藤: 点がつながっている感じがありますよね。

山田: 選べない人生でしたけど、自分自身の満足度は高いです。苦しいですけどね。不器用なりに、普通の人よりもできないことには慣れています。壁は高くても、「自分さえ足を動かしていれば越えられないことはない」と心から思えるんですよね。

伊藤: 強いですね。

山田: 強いのか、鈍感なのか、自分では分からないですね。工場のおっちゃんみたいな堅物と話が合うのは僕が堅物だからじゃないですかね。鈍くさいけど正直で嘘をつけない、そんな人間です。

伊藤: 相手に寄り添えるのでしょうね。

エネルギーを燃やす着火剤と薪

伊藤: 起業しようとして動き出したときは、何かしら自分なりに決断をしたわけですよね。

山田: 僕はずっと「日本のものづくりから世界ナンバーワンのブランドをつくりたい」と思っていて、それに取り組みたい気持ちが積もりに積もって、沸点を超えたというか、それで思い切って飛び込みました。

一方で、起業前にファストファッションの最先端のような仕事をしていたことで、自分がやりたいことと正反対のことをしているという後ろめたさもあった。その反作用もありました。起業したのは29歳のときです。

そんなふうですから確たる勝算はなかったですよね。最初の1年半は週末にアルバイトをしながら、夜行バスで全国の工場を回りました。最初はすべての工場に断られたし、銀行はお金を貸してくれませんでした。

地元の工場が潰れて、何とか再建を図らないといけないというタイミングに偶然僕が訪問して、「じゃあやってみようか」と話がまとまり、最初のシャツができました。これもすぐには売れなかったので、バッグの中にシャツを詰め込んで行商から始めたんです。

伊藤: そこまで強く山田さんを突き動かすものは何なのですか。メイドインジャパンにこだわる理由というのは。

山田: 僕は婦人服屋の息子として生まれ育ったので、服は人を幸せにすると思っていたんですよね。

伊藤: 実家がそうだからといって、山田さんのように考えない人もたくさんいます。当初は「やらざるを得なかった」とお話しされていましたが、ここで明らかに転調している印象です。

山田: なかなかうまくいかなかった時代に、足腰を鍛えられたと思います。あとは工場の経営者に話をするうち、「自分も覚悟を決めなければいけない」と思い始めたのかもしれません。工場をたたんで奥さんと一緒に平穏に暮らしたほうがよかったかもしれないところ、僕が彼らをたき付けたわけですからね。責任があります。

伊藤: 僕はエネルギーを燃やすには着火剤と薪が必要だと思っています。工場との話は山田さんにとって、エネルギーを燃やし続けるために欠かせない薪なのでしょうね。

「長い歴史があるのに、なぜ米国の真似をするの?」

伊藤: 山田さんの心に最初に火をつけたのはフランスでの留学経験なのでしょうか。

山田: 最初はそうですね。一番衝撃的だったのは、僕らが学んできたブランディング手法ではエルメスやヴィトンにはなれないってことを知ったときじゃないですかね。

フランス語でブランドのことを「ラ・マーク」というぐらい、彼らはブランドをただのマークとしか思っていません。エルメスはフランス国内に3000人ほどの職人を抱えています。1人の職人が2日半かけて丸縫いして、ようやく高級バッグのバーキンが完成。1週間に2個しかできないけど、それでいいと思っています。

翻って日本はどうかというと、今はメイドインチャイナを始めとした海外で安く作った服がほとんど。それをかっこいい人が着る。有名な雑誌に載る。誰かがSNSで発信する。すごく表面的ですよね。彼らは米国がまさにそうだと言います。ナイキはメイドインフィリピンで、マイケル・ジョーダンにお金払って商品価値を上げる。要は、原価3ドルのものを、300ドルの商品に仕立てていく。それは完全にブランディングです。彼らは「米国は歴史がない国だから、それも仕方ない」と思っています。

留学中、フランス人に「日本はどうして長い歴史がある国なのに、米国みたいなことをするのか」と聞かれて、回答に困りました。確かに日本はエルメスと同じようにやれるポテンシャルがあるのに、それとは真逆に向かって走っている。このことは結構、僕の根本にあります。

スケールすることと影響力を持つことは違うと思っているんですよ。例えば、とらやの和菓子はさほどスケールしていないですけど、ちゃんと日本人の心の中に精神的支柱としてある気がします。フェアトレードやNPO、ボランティアではなく、きちんとビジネスとして成り立つ。そんな形をずっと模索し続けている感じです。

究極的には僕のエゴですよ。「日本から世界的なブランドをつくりたい」というのが一番にあります。そのためには工場が元気でないといけないし、消費者に「いいもものを長く使う」というエシカルな側面を持ってもらう必要がある。別に誰かを救いたいから、この事業をしているわけじゃない。ただ不器用なりに、正直に真っすぐでいたいという気持ちはあります。

伊藤: 山田さんはこの先の未来をどんなふうに描いていますか。

山田: もちろん第一に服をちゃんとやりたいと思っていますが、その次は家具とか、もしかしたら食品かもしれない。豊かさにこだわりたい人と、そのこだわりが作れる人から成る経済圏を築いていけたらいいなと思いますね。

売上目標はありません。それより僕は何人に伝えられたかを大事にしています。今のところ目標は月に1000人、年間1万人。僕らのビジネスは最大公約数ではなくて最小公倍数、口コミで広がっていく。この啓蒙をどれだけ長くやっていけるかですかね。

伊藤: とにかく一歩、一歩ですね。

インタビュー後記

 

メイドインジャパンを復活させる、という大事業に取り組んでおられる山田さんですが、物腰はとても柔らかで、気負っている感じもなく、飄々とされていらっしゃいます。

話をお伺いして感じたのは、人生の重大な岐路において重い選択、決断をしてきた、というより、とにもかくにも一歩一歩進めてきたのだということ。選択をしなかったのではなく、小さな選択を無数にされてきたのだと思います。そしてその蓄積が力になっていらっしゃるからこそ、気負わずに自然体でいらっしゃるのだろうとも。

ファクトリエの製品は、文中にも出てくるポロシャツのほか、ジーンズとビジネスバックを使っていますが、とても品質が高く、掛け値なしに素晴らしいです。

私たちがみなこの素晴らしさに気づき、自然にメイドインジャパンを求めるようになり、様々なところでメイドインジャパンがこれまで以上に見直されるようになれば、生産者の方々も幸せになり、それが日本の元気の復活に必ず寄与するな、と。山田さんが目指されていることはそういうことだと思いますし、私自身も話を聞いていて、そのイメージを明確に想像することができました。

これからのファクトリエの発展、そして山田さんのご活躍を心から応援しています。そのためにも、まずは、ほかにもファクトリエ製品を知り、購入してみたいと思っています!

関連リンク:https://factelier.com

※前編:【山田敏夫×伊藤羊一】工場と共にメイドインジャパンの服を復活させる

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