人生100年時代「働くことの喜び」はどこに向かうか

私が行っている働くことの哲学ワークショップ『仕事観づくり考房』では、「働くこと・仕事の喜び」というセッションを設けています。

「働くことの喜び?」――昨今は、働くことのつらさや難しさのほうが意識を占領してしまっており、その逆の喜びを聞かれ、多くの受講者は一瞬戸惑いをみせます。こういったシンプルで真正面からの問いは、日ごろ多忙な仕事生活の中では誰からも問われるものではないですし、自分自身にも問いません。ですが、ワークを終えると新鮮な気づきも与えてくれます。

働くことから得る喜びを分類してみる

そのワークは数人のグループに分かれて行います。一人ひとりが付箋紙に「喜び」をいくつも書き上げていきます。そしてそれを皆で披露し合い、あとはそれらを1枚の図に集約していくという単純なものです。

グループからはいろんな図表現の発表があります。そして私自身が考えた図もクラスに提示します(下図)。

いろいろ出てきた「喜び」に対し、私が切る2軸は、1つが「モノ/コト/在り方」の軸。言い換えれば「have次元か/do次元か/be次元か」。そしてもう1つが、「自己に閉じた喜び/他者・社会に開いた喜び」の軸。

この図を示しながら、受講者に「自分が仕事から得ている喜びはどこを中心にしているか」という問いを発します。そして図に情報を補足します(下図)。

喜びの2種類───「歓喜」と「快活」

喜びの状態の2種類、すなわち「歓喜」と「快活」を加えました。この2つの違いについて、ジョナサン・スウィフト(『ガリバー旅行記』でも知られる英国の作家)は次のように言い残しています。

「歓喜は無常にして短く、
快活は定着して恒久なり」。
───ジョナサン・スウィフト

つまり歓喜は、成功、功利、勝利、所有、高揚、優越、称賛、悦楽、癒しといったものにくっつくもので、消費される一時的な喜びです。他方、快活は、創造、貢献、連帯、意味、使命、健康といったものにつながるもので、持続的、建設的な喜びです。

自分がいま働くことから得ている喜びが、「歓喜」寄りなのか、「快活」寄りなのか、あらためて内省してみるのは有意義なことだと思います。

私はここで、言外に「歓喜」的喜びが下で、「快活」的喜びが上であると主張しているわけではありません。どちらの喜びも人生にとってよいものですし、目指すべきものです。

「歓喜」のみを追う生活はやがて疲れが来る

ただ、私がいろいろな企業の研修現場に立って従業員の方々の様子を拝見したり、私自身も50代後半になってきてしみじみ感じたりすることは、「歓喜のみを追うキャリア・人生にはやがて疲れが来る」ということです。

確かに20代、30代までは成功や勝利、高揚、その火照りを冷ますための癒しなどは不可欠な目的です。それによって自己を成長させもします。しかし、肉体的な衰えや精神的な成熟が始まる40代以降においては、次第に在り方への関心、他者に開いた喜びというものが意識に上がりはじめます。それでもなお歓喜を追い求める、あるいは追い求めることを強要される生き方では、心身がもつかどうか。心身はあなたに持続的で健やかな快活を求めるよう暗黙の信号を送ってくるはずです。

「成功のキャリア」はいっこうに目指していいものですが、それが唯一の正解ではないと思います。人生100年時代を迎え、60代、70代、80代まで何かしら働いて社会に参加していく時代においては、「健やかなキャリア」という観点が重要になってきます。

仕事人生を健やかなものにしていくためには、働くことを通して意味を満たす、貢献する、いろいろな人とつながる、使命を果たすことからくる「快活さ」を持続的に得ることではないでしょうか。しかし、モノを獲得し、コトができるようになるより、在り方を見つめ、充実させていくことがそう簡単なことではないことも確かです。

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