サステナブル経営研究vol.5 「環境印刷」を広げた共感の輪~株式会社大川印刷~

このシリーズではサステナブルな地球環境と社会づくりに貢献する日本企業を取り上げ、その戦略を分析します。第5回のテーマは、森林保全や二酸化炭素排出の抑制に寄与する「環境印刷」です。株式会社大川印刷(代表取締役社長大川哲郎、横浜市戸塚区)は、他社に先行して、環境配慮型ビジネスを展開した印刷業界のパイオニアです。自社の成長とどう両立させてきたか、経営の視点から紐解いていきたいと思います。

※シリーズ「サステナブル経営研究」の過去の記事はこちら。

vol.1  「経済・社会の『二兎追う』フレームワーク」
vol.2  株式会社坂ノ途中 100年続く農業へ新規就農者と挑戦
vol.3  ゴミ減量で儲かる、発想の大転換 ナカダイが促す「サーキュラー・エコノミー」
vol.4 稼げる林業、資源保全も~有限会社殿林~

印刷業界の課題

世界的なSDGsへの関心の高まりから、日本国内では中小企業でもサステナブルな活動を重視する動きが増えてきています。大川印刷はチラシやパンフレットなどの商業印刷の業界で、環境保全という新たな価値を付与し、経済的利益と社会的利益の両方を追求しています。

一般的に印刷業界は、木を原料にした紙を大量に消費してきたばかりでなく、大気汚染の原因となりうる石油系インクを使用してきました。自然環境以外にも、職業性胆管がんの健康被害など、労働環境面で課題を抱えてきた過去があります。

大川印刷は、適正管理された森林由来であると証明された「FSC森林認証紙」や石油系ではない植物性インクの利用、地球温暖化の原因となる二酸化炭素のオフセット(年間CO2使用量について、他の事業所などで削減された排出量を購入することで相殺する仕組み)の導入という、ユニークな取り組みを行っています。同社は印刷業界の先駆けとして1990年代後半から、このような環境問題への取り組みを開始してきました。

※大川印刷の環境問題への取り組みの例(同社ホームページより)

 

「環境印刷」参入までのプロセス

商業印刷業者は一般的に、顧客から「安さ」を求められます。「環境」という価値を顧客に理解してもらうのが困難な状況で、なぜ社会課題への取り組みと本業を両立できたのでしょうか。

バブル崩壊直後の大川印刷

大川印刷は、1881年(明治14年)創業の業歴140年の老舗印刷業者です。地元官公庁の印刷や横浜崎陽軒の包装印刷を手掛けるなど、地元に密着した経営を行ってきました。そして、大川印刷6代目にあたる現社長の大川哲郎氏が、1990年代後半に環境印刷を開始して、現在に至ります。 

大川社長が会社に入社したのは、1990年代のバブル崩壊直後でした。当時の大川印刷は、バブル崩壊の影響を受け、売上が減少し業績は低迷していました。工場には大量の紙の廃棄物やインクの空き缶が放置され、インクの匂いが充満するなど職場環境には改善の余地があったといいます。

大川社長は自社の状況に違和感を覚えていました。業績は厳しい状況でしたが、何とか職場環境を改善し、さらには環境に良い取り組みを通じて、新たな需要を掘り起こせないか、と考えて環境印刷を開始したそうです。

「価値合理性」を追求

同社が環境印刷を開始した背景について別の観点で考えてみます。ドイツの経済学者マックス・ウェーバーは人間の行為を、合理的か非合理的か、自己目的か(行為そのものに意味があるか)、手段的か(行為の結果に意味があるか)という観点で、① 目的合理性 ② 価値合理性 ③ 伝統的行為 ④ 感情的行為の4類型に分類しています。

合理性側の2つの類型は① 目的合理性と、② 価値合理性です。企業活動に即して言えば①は「利益を最大化するための行為」、②は「企業が何をやりたいのかという価値や理念に対する行為」となります。

1990年代当時、大川印刷の顧客企業の環境に対する問題意識は途上段階であり、環境印刷を始めても、全く顧客に関心を持ってもらえない状況でした。直接的に利益につながらない事業活動は、利益追求を目的とする「目的合理性」には整合しない行為です。

環境印刷の原点は「印刷を通じて環境に良いことをしよう。豊かな環境を後世に残したい」という、社長自身の主観的な価値観です。つまり、環境印刷開始の意思決定は、「目的合理性」よりも「価値合理性」を重視した行為と言えます。

「主観」が創造した市場

大川印刷の場合、価値合理を重視したことが、他社に先駆けて環境印刷を始め、新たな市場の創造を実現する要因となったと考えられます。

一般に経営戦略は、外部環境分析から開始するのが定石と言われています。外的な基準に沿って業界の勝ちパターンを分析することは、利益を追求するという目的に対しては極めて合理的な考え方に基づいています。しかし「目的合理性」は、経営者自身の意思を反映したものではなく、それだけでは、存在しない(ニーズがない)市場に他社に先駆けて参入し、新たな需要を創造することは難しい、といった面もあります。

大川社長のように主観的な価値基準に基づき、価値合理的な意思決定を行って、市場を創造することが、サステナブル経営を実践するリーダーに求められると考えられます。

 「環境印刷」を支えた3要素

環境印刷の価値について、顧客や従業員の理解が深まるには長い時間が必要となりました。大川社長にとって悩ましい状況が続くなかにあって、次の3つの要素が事業展開の支えとなりました。

① 自社の再定義

2002年、大川社長は青年会議所で社会起業家の調査研究を担当していました。そこで出会った、ユニバーサルデザインの服飾デザイナーである女性経営者による「服飾を通じて社会を変えたい」という言葉が、ひとつの転機をもたらしました。

当時の大川印刷は仕事を獲得することが目的化しており、企業としての真の目的が欠けていたことに気づかされたのです。これからは「コトづくりができないと、モノづくりができない時代」だと大川社長は再認識し「印刷を通じて社会課題を解決する」という企業理念を策定しました。

さらに本業を通じて社会課題を解決できる会社を目指すという強い意志を込めて、自社を「ソーシャルプリンティングカンパニー®」と再定義しました。その結果、従業員の意識改革も進み、環境印刷事業を展開する基礎が固まっていったと考えられます。

② 老舗企業のDNA

大川印刷が明治時代に出していた広告のキャッチフレーズが「いたづらに価格のみの勝負をせざるは大川印刷」だったそうです。大川社長は、実に100年以上前に作られたこの広告を初めてみたときに、「自分が社長として差別化しようと進めてきたことは、先代も取り組んできたことだったのか」と自社の伝統に感銘を受けたと言います。

老舗企業として脈々と受け継がれてきたDNAが存在し、価格競争だけでなく、新たな付加価値をつけようとする組織文化が根幹にあったからこそ、環境印刷という新たな取り組みを組織に実装できたと考えられます。

大川印刷が何のために環境印刷を展開するのか。大川社長は従業員との対話を繰り返しました。理解を得るには大変な労力が必要でしたが、新たなインクの使用など、スキル獲得に前向きな従業員がいたことは、事業展開に好影響をもたらしました。

③ 素朴な倫理観

環境やSDGsなどの社会課題は、過度に意識するとイデオロギー的に「資本主義は環境を破壊しているから反対」という価値観につながる可能性があります。互いを批判し、対立構造を生み出すリスクを孕んでいます。

しかし大川印刷の環境印刷の根本には「印刷をやるのであれば、環境に良いことをやろう」という肩肘を張らない素朴な倫理観があります。この素朴な倫理観は、対立構図を生み出すことはなく、周囲からの共感につながります。

大川印刷の取引先であるアパレルブランドPatagoniaとのエピソードに“大川印刷らしさ”を知ることができます。Patagoniaは、社会課題の解決を重視する企業として知られています。Patagoniaと取引開始するため審査は非常に厳しく、大川印刷の工場だけでなく、原材料など全てにおいて、環境負荷の度合いについて細かくチェックされるものでした。

大川社長は、何とか取引したいと思い、自社を良く見せようとも思ったそうですが、見栄をはらず大川印刷ができること、できないことを正直に伝えたそうです。この姿勢が奏功し、Patagoniaからの信頼を獲得し、取引開始につながりました。

事業成長へのプロセス

Patagoniaの事例は、素朴な倫理観が顧客との共感や信頼を生み出すのだということを示しています。共感の輪が従業員や顧客、地域全体に広がれば、社会課題の解決と事業化の両立も不可能ではなくなります。最後に大川印刷が環境印刷事業をどのように成長させていったのか、そのプロセスについて掘り下げていきたいと思います。

職場改善 → 従業員満足

一般に、従業員満足度が上がると、サービスの質が高まり、顧客満足が上がるとされます。顧客満足は、その接点にいる従業員満足を高め、従業員はさらに魅力的なサービス提供に努めて、顧客満足を高め、結果として会社の価値向上につながると言われています。

例えば、高級ホテルのリッツカールトンは、従業員に誇りを持って働ける環境を整備し、そのロイヤリティの高い従業員が、顧客に感動を与えるサービスを提供し、顧客満足を高めています。

大川印刷の場合はまず、工場内のインクの匂いをなくすなど、職場環境を改善させることに注力しました。一般的に職場環境の改善は、従業員満足につながります。従業員の満足度向上が、サービスの質の向上という好循環を生み出しています。

「ロイヤリティ」を高める

大川印刷は従業員の意識改革にも努めています。代表的なものが印刷工場に見学者を受け入れ、環境への取り組みを一般社会に公開するイベント「オープンファクトリー」です。

(同社ホームページより)

同社がこうしたイベントを始めたのは、社内に意識が向かいがちである「内向きな」従業員を、広く社会に関心を持つ「外向きな」従業員に変えるためでした。会社に対しては想定以上のプラスの効果があり、今では顧客と従業員の良好な関係性を創るための重要な役割を担っています。オープンファクトリーの来場者は300社(2019年)を超えます。来場者は企業だけでなく、地元の小学生など多岐にわたります。

来場者をアテンドするのは従業員であり、SDGsの取り組み等についての質問にもその場で答える必要があります。環境問題に関する従業員の知識がどんどん深まっていき、SDGsがライフワークになっている従業員もいるほど、従業員の意識が高まっています。

従業員満足 → 顧客満足の好循環

モチベーションが高い従業員が増えることは、社内外に好影響をもたらします。来場者からのフィードバックを背景に従業員の「質」が高まることで、サービス品質が向上し、企業価値も高まっていきます。従業員満足(ES)と顧客満足(CS)のグッドサイクルが、大川印刷が掲げる「ソーシャルプリンティングカンパニー®」の実現につながっています。

まとめ

大川印刷は、環境という普遍的な課題に対して価値合理に基づいて早期参入し、新たな価値を創造しています。社会に良いことをしようという「素朴な倫理観」をベースに共感の輪を広げ、著名企業からの受注獲得にも成功しました。「CS」と「ES」の好循環を作り、従業員のサービスの質を高めたことも、事業成長に寄与しています。自社の成長と社会課題の対応という両輪を回す、その成功事例から学べることは大いにあると考えています。


大川印刷をサステナブル経営のフレームワークで解説(金子浩明)

サステナブル経営を成立させるには、既存の社会経済システムの中で埋もれていたり、むしろマイナスだと思われていたりするものごとの中から「経済価値の源泉」を掘り起こし、磨き上げる必要があります。サステナブル経営の企業が掘り起こした「経済価値の源泉」には、3つのタイプがあります。これらの源泉を掘り起こし、これらの源泉から独自の新たな経済価値を生み出すには、バリューアップに寄与する3つのアプローチとコストダウンにつながる+1のアプローチがあります。このフレームワークに沿って、執筆した社会人大学院生の指導を担当した教員の金子浩明が解説します。

フレームワークの説明はこちら(第1回連載分)

1. 曇った価値(➡価値を引き出す)

環境印刷の価値は、地球環境問題への貢献や、労働者の健康を守ることだけではありません。化学物質過敏症の方々(全国で推計約100万人)の健康を守ることにも貢献しています。通常の印刷物は有機溶剤などの化学物質を使っているので、化学物質過敏症の方々にとって、咳や頭痛などのアレルギー症状が出る危険があります。

大川印刷が環境印刷を始めた当初の目的は、地球環境保護と経済活動の両立、そして働く従業員の健康を守ることでしたが、現在では化学物質過敏症の方に対応する印刷物の相談も受けています。そのきっかけは、化学物質過敏症センターと取引したことでした。化学物質過敏症の方向けには石油系溶剤ゼロのインクのみを使って印刷し、さらに天日干しをして出荷しています。その結果、新たな引き合いが来るようになりました。

こうして、大川印刷は環境印刷から「化学物質過敏症の方々の苦痛を和らげる」という新たな価値を引き出しました。

2. 非価値(➡価値を反転させる)

消費者にとって「包装紙や商品パンフレットが環境印刷だから」という理由で、その商品を選ぶことは少ないと言えます。食品や家電製品のように、それ自体を消費者が購入し消費する場合は、「エシカル消費」などの観点で訴求しやすいですが、印刷物はそうではありません。多くは短期間で廃棄され、ゴミになります。

ゴミの減量や、ゴミを回収し再利用する必要性については社会の理解が深まりつつあります。一方で、やがて廃棄される印刷物そのものの環境負荷を低減することについては「収益につながらないコスト」とみなされがちです。

大川印刷は環境印刷を愚直に推進し、結果的に今では経済的な収益にもつながっています。例えば、本文中にあるようにPatagoniaとのと取引がその一つです。

また同社はコロナ禍でも業績悪化幅を最小限に抑えることができました。2019年度は売上高が前の年に比べ8%アップしましたが、2020年度の売上は昨年から8%ダウンしました。これはかなり良いほうで、同業者の中には昨年比で二ケタの減少となった会社もあったようです。

大川氏は次のように語っています。

「まさにSDGsの取り組みのおかげだと思います。といってもSDGsで新規顧客が増えたからではありません。年40~50社のペースで増加していますが、顧客の単価は減っています。そうではなく、『安ければいい』とは考えないお客様との取引が増えていることが大きい。またそういうお客様からのご紹介も増えています。共感経済という言葉がありますが、まさに共感のある方が集まってきています」
(出所:CCL.「創業時のポリシーを受け継ぎ価格ではなく、価値で勝負する大川印刷」2021.05.12

3. 新たに生み出された価値(➡価値の拡張)

大川印刷では、社内でSDGsのワークショップを行っています。地球環境問題や化学物質の人体への影響を扱うだけでなく、ワークショップをもとにプロジェクトチームを発足させ、様々な課題に取り組んでいます。こうした取り組みを聞いた企業から、業種を超えて、ワークショップの開催や社長講演、コンサルティングの依頼があるようです。
 
また近年は最近では古紙回収業者と組んで、企業の産業廃棄物の紙をオリジナルの封筒などにアップサイクルする事業も展開しています。これらの取り組みによって、「環境に良い印刷をしている会社」という枠を超えて、新たな価値を創出しています。

ユニークな自社定義とビジネスモデル

大川印刷は自社を「ソーシャルプリンティングカンパニー®」と定義しています。本業は印刷業ですが、事業の目的は印刷業を通じた社会課題解決であり、SDGsに貢献したいと考える若者を引き付けています。

印刷会社に入社したいという若者ばかりでなく、多様な人材が集まるようになったことは、印刷業の枠を超えて事業展開するための人的資源を得たと言うことができます。大川印刷は本業を通じ社会課題の解決を継続しながら、将来的には社会貢献に資する新事業を立ち上げる可能性があると思います。

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