今回は、恋愛行動とファイナンス理論の関係を、マジメに愉しく解き明かす。
「先生、私、買い物はすぐに決断できるのですが、結婚となるとなかなか踏み切れないのです。でも、ファイナンスを勉強してその理由がわかりました」。クラス後の懇親会で、ある受講生が発した、この発言の意味を今回は探ってみよう。
結婚=投資と考えると意思決定はNPV法に
写真:フリー素材屋Hoshino
"恋愛行動を、ファイナンス理論で説明することは可能か。まず、「結婚」という行動に深く関わると考えられるのが、ファイナンス理論における投資の意思決定方法としてのNPV法(正味現在価値法)である。
この方法では、投資対象が将来、生み出すキャッシュフローを現在価値に割り戻し、そこからその資産を購入するのに必要な初期投資額を差し引いた残額(これをNPV:正味現在価値という)を見る。これがプラスであれば投資を実施し、マイナスであれば投資を見送る。数式で表すと、
NPV = Σ CFn/(1+r)^n _ 初期投資額
となる。
この投資判断の方法を、個人として物を購入する際の判断に応用すると、どうなるだろうか。例えば、120万円の値札のついたロレックスの機械式クロノグラフ腕時計を購入する場合を考えてみる。腕時計を購入する場合の費用や効用は、
(1)時刻を告げる、時計としての本来的な機能から生じる効用
(2)趣味の品として複雑系の機械式腕時計を所有することによる満足感から生じる効用
(3)その時計の維持にかかる費用
(4)将来、中古品として売却した場合に得られる金額(残存価値)
と想定できる。
上記4項目のそれぞれについて見てみよう。例えば(2)の満足感は、機械式腕時計フリークの人にとっては、極めて大きい数値を示すものと考えられるが、そのような趣味を持たない人にとってはゼロに近い数値となる。ただし、どちらの人にとっても、(1)の時計としての効用と、(4)の残存価値は同程度と考えられる。ちなみに(3)については、こうした機械式の腕時計は、何年かに1回はオーバーホールに出す必要があり、そのたびにかなりの額の出費を覚悟せねばならない。
以上を踏まえると、フリークである人にとっては、現在価値である「Σ CFn/(1+r)^n」が初期投資額である120万円を上回るであろうから、その時計を購入しようという判断に到達する可能性が高い。一方、そのような趣味を持たない人にとっては、「Σ CFn/(1+r)^n」は、「時刻を確認するだけの価値」しかない上に、メンテナンス費用が発生することから、120万円のロレックスに対する投資NPVはマイナスとなる可能性が高く、従って、購入はしないだろう。
さて、話題を結婚に戻そう。結婚の際の判断は、「伴侶を得るという投資行動によって、将来、獲得する追加的な“キャッシュフロー”の現在価値から、結婚にかかわる初期費用を差し引いた額」がプラスとなるかマイナスとなるか――だと言えよう。
伴侶を得ること(ファイナンス的に言えば「伴侶をM&Aする」だろうか)によって、まず、金銭もしくは効用のプラス面から考察すれば、
(1)それぞれ1人で生活していた時に比べて、住居費、食費などを削減できる(いわゆる「規模の経済が効く」状態となる)
(2)1人でなく2人で生活することにより、精神的な充足感を得られる
ことが、主に挙げられる。
一方、マイナス面では、
(3)結婚が破綻するリスクにかかわるコストがかかる(これは、「離婚する場合の精神的・金銭的な負担×離婚に至る確率」で計算できる)
そして初期費用として、
(4)結婚式と新婚旅行の費用および所帯を持つためのその他の付帯的費用
が考えられる。
以上を整理すると、
結婚のNPV = Σ〔((1)+(2)-(3))n/(1+r)^n〕 _ (4)
という式ができあがる。"
効用とリスクから現在価値を求めると、なかなか結婚に踏み切れない結果に…
ここで、キャッシュフローを現在価値に割り戻す際の割引率(r)について考えてみたい。
DCF法では、「資産が将来生み出すキャッシュフロー」を「そのキャッシュフローのリスクの大きさに見合った割引率」で現在価値に割り戻すとしている。
それでは、上記にある“伴侶を得る投資行動”の式で、(1)から(3)のリスクの大きさはどう考えるべきであろうか。
(1)の生活費の削減については、変動の少ない内容のキャッシュフローであるので割引率は低いと思われるが、結婚後財布の紐をどちらが握るかによっても判断は変わってくる。
(2)の精神的な充足感については、初めの頃は量的にもかなり大きいかもしれない。しかしながら、時間の経過とともに急速に低減していく可能性も高く、また結婚を決断する時点では不確実な要素も多いことから、最終的なリスクすなわち割引率はかなり高いのではないかと推測される。
マイナス面である(3)は、算出式の中に既に破綻の確率を乗じていることから、該当するキャッシュフローそのもののリスクは低く、したがって割引率は低いものとなろう。
一方、結婚にかかわる初期費用はどうであろうか。昨今の情勢では300万〜500万円の投資は必要と考えられる。それに基づくと、結婚によるNPVはそう簡単にはプラスにはならないと判断できるであろう。だからこそ、なかなか結婚には踏み切れないという悩みも出てくるのだ。
ここまでの議論は、算式を分かりやすく、普遍化するために、独身生活から夫婦の生活に移行することをシンプルに捉え、4つの要素で式を構成した。読者の皆さんは、それぞれの事情に合わせた項目や数値を設定していただきたい。
なお、夫が初婚で妻が再婚という組み合わせが増加しているという最近の結婚の動向(2007年4月17日付け日本経済新聞夕刊によると、「厚生労働省の調査では、2005年に結婚した夫婦のうち、初婚夫の約1割はこの組み合わせであり、この30年間でじわり増加傾向にある」とある)も、NPV法に則って考えると分かりやすい。
これは、離婚を経験した女性が経験から学び、将来の効用/キャシュフローがより確実に読めるようになったことが影響していると推測できる。つまり、上記(2)のキャッシュフローが読みやすい(安定的で確実なキャッシュフローのリスクは低くなる)ことから現在価値が高くなると同時に最初から本音ベースでの付き合いができることから(3)の結婚が破綻する確率も低下すると見込まれるためである。上記の式に当てはめれば、“伴侶を得る”ことの現在価値は初婚と比べて増加し、NPVがプラスになりやすいのではないかと考えられる。
同紙の記事によれば、「未婚同士のミスマッチが相変わらず多い。未婚女性は男性を見る目が厳しく、(男性に)自信を失わせていまいがち」で、「未婚同士のパーティーだと、(男性の)外見や収入が条件に合わないと話もしてもらえない」一方で、「離婚経験のある女性は中身を見てくれるので、こちらも自分を出せる」という。やはり離婚経験の有無が、(2)と(3)の現在価値に大きな影響を与えているようである。
さて、この話題に対し、「結婚して子供を持ちたいと思う場合はどうするのですか」という質問が来たことがある。
これについては、子供を持つことが結婚を前提とすると考えれば、一種のリアルオプション(決断を一定の将来の時期まで延期できる権利)の概念が適用できるだろう。「子供のいる家庭をつくりたい」という気持ちが強ければ、つまり子供を持つことのNPVがプラスであれば、結婚からのNPVが若干マイナスであっても、結婚に踏み切る人はいるだろう。この考え方は、検討対象の事業は単独では赤字であっても戦略的に重要であることから実施する(いわゆる戦略的赤字)という考え方の理論的根拠である。
この場合の式は、
NPV(結婚)+NPV(子供)*子供を待つ確率/(1+r)^n > 0
で表せる(*)。ここでも、育児費用や子供が将来もたらすであろうキャッシュフロー/効用については、個々人の事情もあるので、NPV(子供)というように簡略化している。
*NPV(子供)に割引率を用いているのは、何年後に子供の誕生を想定しているかによって、結婚を決意する時点まで割り引いた現在価値を算出する必要があるからである。
余談:恋愛にポートフォリオ理論は有効か
余談だが、恋愛にポートフォリオ理論は有効であろうか。
資産を分散して投資すると、リターンは変えずに、リスクだけを低減できるというのがポートフォリオ理論による分散投資の効用である。これも同様に、
PV(恋愛)= Σ(恋愛のキャッシュフロー)n/(1+r)^n
という式で、表現できる。
問題は、恋愛において分散投資(すなわち複数の相手と付き合う)する場合、分子のキャッシュフローは増加するか、また分母の割引率(キャッシュフローのリスク)は減少するかどうかである。分散投資(付き合う相手の数を増加させていく)ことによって、当初は分子(恋愛の効用)が確実に増加していくであろう。
しかし、分散する数が一定の水準を超えると、本命に複数交際が露見する可能性が高まり、分母のキャッシュフローの割引率すなわちリスクが、急速に上昇していくだろう。特に、本命の相手に複数交際がばれた場合のダメージ(結婚のNPVのうち(3)に相当する「恋愛破綻コスト」の現在価値)はきわめて大きく、NPVもマイナスに陥りやすい。
やはり、この世の中にローリスク・ハイリターンという美味しい話はありえない、ということだろう。