「自分の仕事が、誰のためになっているのか、わからなくなってきたんです…」
最近、前職の後輩からこんな相談を受けた。
コンサルタントとして働き、社内では順調に昇進している。給与も悪くない。しかし最近、こう感じるのだという。
彼の戸惑いはよくわかる。
私も同じ問いに、何度も、そして今もぶつかっているからだ。
もしあなたも、似たような問いを抱えているのなら、本書はその霧を少し晴らしてくれる一冊になるかもしれない。
自己中心的な幸福の追求は、なぜ才能の浪費につながるのか
本書の著者、ルトガー・ブレグマンはオランダ人歴史家・ジャーナリストだ。世界的ベストセラーとなった『Humankind 希望の歴史』で一躍注目を集めた人物だ。
そのブレグマンが本書の冒頭で紹介するのは、26歳で社会を捨て、30年間瞑想し続けたチベットの高僧の話だ。
彼の脳は科学的に「世界一美しい」と評されたという。”脳内ポジティブ領域の波動が、測定不可能に強い”のだ。
しかしブレグマンは、そこで問いを立てる——その6万時間(1日あたり8時間換算で30年) は、誰のためになったのか、と。
もちろん、この問いには慎重さも必要だ。
瞑想には、自分を整え、他者と向き合う力を育む側面がある。チベット僧が儀礼や教育を通じて社会に貢献していることも、見落としてはならない。
それでもなお、この問いの核心は鋭い。
翻って、あなたは今、自分の幸福のためだけに、あまりにも多くの時間と才能を使っていないだろうか。
「才能のバミューダ・トライアングル」とは何か——コンサル・金融・法務が優秀な人材を吸い込む構造
世の中には、社会的価値をほとんど生み出していないにもかかわらず、高給で、体裁がよく、社会的には立派に見える仕事がある。
いわゆる「ブルシットジョブ」だ。
先進国では、約25%の人が「自分の仕事は社会的に意味がない」と感じているという。しかも、そうした仕事に就いている人ほど、一流大学を出て、申し分のない経歴を持っていることも少なくない。
たとえば、コンサルティング、金融、企業法務。
ブレグマンは本書に関連したインタビューの中で、これらを「才能のバミューダトライアングル」と紹介する。優秀な人材を吸い込み、二度と外に出てこないブラックホールのようだ、と。
なぜ、多くの優秀な人がそうした仕事を選び続けるのか。
その動機は必ずしもお金だけではないと言う。むしろ大きいのは、社会的地位や名声である。
あの業界にいることがかっこいい。
その会社に所属していることが特別である。
その肩書きを持つことが、優秀さの証明になる。
そうした価値観が、社会の中に深く根づいている。
この指摘は、私自身も耳が痛かった。
私はビジネススクールで学生に、「あなたは何のために働いているのか」と問いかけることがある。一方で、自分自身を振り返れば、「成長したい」「市場価値を上げたい」「認められたい」という自分本位な考えでキャリアを積んできた側面も、正直に言えばある。
それ自体は悪ではないと思いたい。
しかし、「誰のために」という問いがないまま働き続けると、いつしか目的を見失ってしまいかねない。
AIが普及しても「ブルシットジョブ」は増える——75%という警告の意味
さらに、別のインタビューでブレグマンはこんな警告も発している。
社会的に意味のない仕事は、現在の25%から、AIの進歩によって50%、75%まで増えるかもしれない。最終的には、全員が仕事をしているふりをしながら、本当の仕事はすべてAIがやっている。そんな社会すら想像できる、というのである。
これは、単なる極論ではない。
私自身、経営変革やAI導入の現場に関わる中で、似たような皮肉を感じることがある。
AIで仕事を効率化すれば、人間にはより創造的で本質的な仕事が残る。私たちは、そう考えがちだ。
しかし現実は、必ずしもそう単純ではない。
むしろ、AIが創造的な仕事まで担う可能性がある。そのとき、人間に残されるのは、本当に価値ある仕事なのか。もしかすると、私たちはAIの周辺に生まれるブルシットジョブに、より一層従事しなければならないかもしれない。
だからこそ今、本当に問い直す必要がある。
何のための仕事か。
何のためのテクノロジーか。
私たちは何のために、この星にいるのか。
オフィスの仕切られた執務スペースにいることが目的だというなら、この世の終わりまでそこに座っていればいい——ブレグマンはそこまで言い切る。
人は、本来もっと重要なことに力を使えるはずだ。
もっと大きな問題に向き合えるはずだ。
もっと未来のために、自分の才能を使えるはずだ。
本書からは、そんなブレグマンの切実な願いすら伝わってくる。
「誰のために働くか」という問いが、AI時代のキャリアの基点になる
本書では、倫理的野心を持って行動した人たちが、社会をどのように動かしてきたのかが描かれる。
・巨大企業の不正に気づき、圧力や報復を受けながらも、制度そのものを変えようとした若い法学生
・タバコ産業の責任を、法廷という場で粘り強く問い続けた弁護士たち
・火炎瓶ではなく、データと戦略を通じて差別や不正義に立ち向かった市民運動家たち
こうしたエピソードを通じてわかるのは、彼らが聖人君子だったわけではない、ということだ。無謀な行動力だけでもない。
知識があり、戦略があり、そして何より、自分を超えた何かのために動こうとする意志があった。
言い換えれば、それはグロービスが大事にする「志」である。
自分は、なぜここにいるのか。
誰のために、自分の力を使うのか。
人生の一定期間をかけて、何にコミットするのか。
現代に生きる私たちは、日々「他者の目線」に引っ張られている。
SNSのフォロワー数、会社からの評価、報酬、肩書き、社会的地位、市場価値——気づけば、自分の行動の基準が「自分がどうありたいか」ではなく、「他者にどう見られるか」になっていないだろうか。
もちろん、それらを意識すること自体は悪ではない。
しかし、他人軸で生き続けた先に、未来の世代から「よき先祖」と呼んでもらえる自分はいるだろうか。
冒頭に戻るが、実はまだ、私はあの後輩に明確な答えを返せていない。
ただ、本書を読んで思うのは、「誰のために働いているのか」という問いから目を逸らさないこと。その問いを抱え続けること自体が、もしかすると、倫理的野心の入り口なのかもしれない、ということだ。
転じてあなたは今、誰の幸福のために、働いているだろうか。
倫理的野心を持て あなたの才能を浪費せず、変化を起こすための10章
著:ルトガー・ブレグマン 発行日:2026/4/10 価格:3080円 発行元:文藝春秋



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