都心でも実践できる生命エネルギーの高め方―食・武道・禅の「瞑想」

生命エネルギーが低下したとき、回復するためには何をしたらいいのか。富山で行われた「食べる瞑想、動く瞑想、話す瞑想」から「瞑想」の力を紹介する。

生命エネルギーの補充、心の傷の癒しに

都市でマンションに住み、電車に揺られ、オフィスに通って主に頭脳を使う生活をしていると、生命エネルギーがすり減ってくるのではないか。また、年を重ねれば家族との死別など避けられない別れもあり、懸命に生き、働いていても何らかの不条理な経験は避けられず、心に大小の傷を抱えたままの方も多いだろう。

徐々にエネルギーが低下してきたとき、生命エネルギーを補充し、心の傷を癒すために何ができるだろうか。その一つの可能性として、「瞑想」を紹介したい。

それが、今回私が関わらせていただいた「食べる瞑想、動く瞑想、話す瞑想@富山 ~宇宙と一体となる土徳ツアー~」だ。

これは、富山県にお住まいの懐石清傳 店主 中尾英力先生が「食べる」を、合気道をやっている私が「動く」を、私のグロービス経営大学院の教え子であり、同大学院の広報である中山景さんが「話す」を担当したイベントだ。

開催場所は、富山県南砺市利賀村。富山駅からも車で1時間半掛かる山の中。果たして、参加者は集まるのかと当初心配したが、東京、名古屋、京都、富山から13名の方が参加してくださった。

さて、ここからは、食べる、動く、話す、それぞれの瞑想をどのように行ったのか、プログラムの内容を紹介したい。

食べる「瞑想」―命への感謝

プログラムは、中尾先生の食べる瞑想から始まった。最初に、丁寧な食事作法の講義を受けたが、ここが大変に面白い。例えば、「お茶」が五行思想(木-火-土-金-水)から成り立っていることや、「易経-論語-中庸-大学-小学」の中国の古典の関係などを伺った。そして、易経が中国古典における宇宙に当たると教わる。東洋哲学についてこれほど簡潔・明瞭なご説明を受けたことがなく、非常にわかりやすかった。その後、講義は、仏教における心の次元(マナ、アラヤシキ、ムク)にまで広がった。

講義のあとは、お盆・食器で宇宙を表現した中で風呂敷・折り敷・布巾を用いながら、食事をする。食事に手をつける前に、食物の命をいただくことへの心を整え、その食物を作った方々の労苦への感謝を述べる。感謝を表す形としてお米七粒を刷(食器を洗うための道具)に残す。食物の命を我々は活かし、良い世界の実現への誓いを述べる。

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