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“私”って誰?――ネットに散らばる“私”たち

投稿日:2008/10/02更新日:2019/04/09

誠で記事を書く“私”。ブログを書く“私”。mixiの中の“私”。Amazonで商品をオススメする“私”――ネットに散らばる“私”たちは、どこまで分裂するのだろう?(このコラムは、アイティメディア「Business Media 誠」に2008年9月25日に掲載された内容をGLOBIS.JPの読者向けに再掲載したものです)

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わたしは“私”。

インターネットで文章を公開するようになってから、こだわっていることがある。それは、一人称を“私”と表記すること。メディアでは“筆者”ないし“記者”と書くという表記ルールの媒体が多い。

ある時、入稿した原稿の“私”が、いつの間にか“筆者”に化けて掲載されていたことがあった。

「“筆者”をやめて“私”にしてください」

そうお願いしたのには、いくつか理由がある。1つめの理由は、“ヒッシャ”は堅い感じで、“ワタシ”は柔らかめという字面や音韻の印象から。もう1つの理由は、「自分が感じることを突っ込んで書くゾ」という宣言から。「“筆者”だと、どことなく第三者的、無“私”な匂いが気になる」というのは私のイメージ、思い込みかもしれない。思い込みなのかもしれないのだが、私は“私”という書き手の思いにこだわりたいのだ。本当はひらがなの“わたし”がいいのだが、性別不詳のニューハーフ・ライターの“アタシ”や“アタクシ”と一線を画したくて、“私”に統一した。

経済が成熟することで“私”が増える

そんな融通が利くのは、アイティメディアという会社の柔軟性ゆえ(感謝してます)。でも、こんな風に“私”を大切にしたいと考えているのは、私だけではないはず。なぜなら、“私”が増える背景には、経済が成熟してきたことが関係あるからだ。

「資本家」や「組合」、「上流階級」や「中産階級」に「労働者階級」と、人々がカタマリで論じられた20世紀初頭。大量生産・大量消費の高度成長の過程で、消費者という顔のある群れで論じられ出した20世紀後半。そして21世紀になると、インターネットの爆発的な普及で、売り手が消費者ひとりひとりを個人として認識することができるようになり、私たちも“私”を大切にするようになった。

マーケティングの世界では昔、消費者を“クラスター(房)”と呼んでいた。だが、セグメンテーション(細分化)を経て、時代は“One to Oneマーケティング(1人)”へと移り変わった。

地球という絵本を開いたら、数十年前まではひたすらウジャウジャしていて人の見分けがつかなかった。しかし、だんだんフォーカスが合ってきて、今では Googleストリートビューでウォーリーを探せるようにまでなってきた。

経済の成熟化とは、ひとりひとりの“私”を大切にするプロセスでもあったのだ。

“私”をちやほやする現代社会

だから先進国の売り手は、こぞって「個性的、自分主義がお似合いですよ」と“私”たちをおだてる。電車内で見た広告から、ランダムに“私”を書き留めてみた。

「GO ジブン ハマリ おしごと」(テンプスタッフ)

「学んだことが、自分をたすける」(栄光ゼミナール)

「わたしの贅沢、潤いめぐる」(飲める観音温泉)

「うるおう瞳。だから自分が生きてくる」(コンタクトレンズ)

「リアルな『自分メーク』技術向上プロジェクト」(『美的』2008年11月号)

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“ジブン”も“自分”も“わたし”も、みんな“私”。広告では「“私”を大切に」というメッセージのオンパレード。「メークって、『フェイクな“私”』じゃないの?」とツッコミたいけれど、“私”をちやほやするのが広告主の狙いであるし、“私”も気持ちいい。

“あたし”が似合う人

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室井佑月ブログ

こうして“私”の種類がますます増えた。アタシ・アタイ・アタクシ系や俺・僕・自分系だけでなく、ワシ・ワテ・ワイ系、我・拙者・ミー系など多彩。

ブログを読んでいても、さまざまな“私”の呼び名が飛び交う。“あたし”という主語がハマるのは、作家の 室井佑月さん。彼女の“あたし”リズムの語り口は、レースクイーンや銀座のホステスだった経歴があるせいか、生きかたが生々しく伝わってくる。

“ワシ”で思い出すのは、ルポライター沢木耕太郎さんのエッセイ『奇妙なワシ』。プロ野球の伝説的な投手江夏豊氏が新聞紙上で喋る時の一人称が、ことごとく“ワシ”になることに疑問を持ったくだりがある。

一匹狼、自分勝手、強心臓といったイメージから、新聞ではいつでも江夏=“ワシ”。だが沢木さんは、江夏投手の精密な投球法と明晰(めいせき)で繊細な喋り方から、おそらく“ワシ”とは喋らないのではないかと思い、江夏氏のインタビューを調べた。すると、そこにあったのは“オレ”で、“ワシ”はいなかった。門切り型の表現に依存して、架空の“ワシ”を作ったメディアに、鋭いけん制球を投げたのだ。

ホリエモンこと堀江貴文さんは、絶対に“オレ”だろうと思っていた。ところが先日スタートした「六本木で働いていた元社長のアメブロ」を読むと、“私”なのだ。話し言葉と書き言葉では主語が違うのかもしれないが、ちょっと裏切られた。ホリエモン=“オレ”というイメージ、マスコミが作った虚像に惑わされていたのかもしれない。

ネットに散らばった“私”を1つにしたい

メディアに主語として登場できるほど個性的ではない“私”たちでも、ネット上ではあれこれ“私”を作れる。

私は3つほどメールアドレスを持っている。休眠中、あるいは休眠しつつあるのを加えると5つか6つ。mixiのハンドルネームは1つ。セカンドライフで作ったアバターは行方不明だ。ブロガーの“私”は今は1人だが、もうすぐ2人になる(複数のブログを持つ)。また、ブログでは運営者から“投稿者”と呼ばれるが、昔やっていたメルマガでは“発行者”と呼ばれていた。Amazonのレビューでコメントされる“私”と、楽天の購買履歴の“私”は同一人物だろうか?

ネットのおかげで“私”の分裂がはなはだしい。インターネットという情報ビッグバンは、数々の“私”を創造した。本当の“私”が分からなくなってきた。

“私”の分裂をどうにかしてください!

ネットに散らばった“私”たちをまとめたい。もしかすると次のビジネスチャンスは、ブログやショッピングサイト、検索サイトに散らばった“私”たちを1つにすることにあるのではないか。それが、次世代ネットの覇者を決めるのかもしれない。

そうこう言ううちに、個人の時間軸から見た私は、進化論のごとく“ボク”から“僕”、“オレ”、“私”と変化している。やがて“わし”や“ワイ”になって、“ジイ”になってしまうだろう。ああ、それは断固拒否したい。

▼「Business Media 誠」とは

インターネット専業のメディア企業・アイティメディアが運営する、Webで読む、新しいスタイルのビジネス誌。仕事への高い意欲を持つビジネスパーソンを対象に、「ニュースを考える、ビジネスモデルを知る」をコンセプトとして掲げ、Felica電子マネー、環境問題、自動車、携帯電話ビジネスなどの業界・企業動向や新サービス、フィナンシャルリテラシーの向上に役立つ情報を発信している。

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