3か月前に本社経理課から「ミラージュ」事業部のFP&A部門に配属された鴨井あずさは、持ち前の積極性をもって事業部のメンバーに溶け込んでいった。FP&A部門の先輩社員である鷹野恭子から、経験に基づくアドバイスをもらい、管理会計知識や財務モデル構築スキルなども上達していった。
鴨井にとって幸先の良いスタートと思われたが、ある定例会議が終わった後、鴨井がしょげた面持ちでデスクに戻ってきた。鴨井のいつもと違う表情に気づいた鷹野は、心配そうに声をかけてみたところ、鴨井は助けを求めるように鷹野に返事をした。
「ミラージュ事業部長の羽鳥さんに少し怒られてしまいまして…。『それで一体どうするというのが君の提案なのか?』『当事者意識に欠けるのではないか?』『正直君の言っていることは他人事に聞こえる』と、散々なフィードバックをもらってしまいました。この3か月で勉強したことも実務に活かせるようになり、だんだんと自分のやり方に自信がつき始めてきたのですが、正直ショックです…」
鴨井の落ち込みを見ながら、鷹野は自分がファイナンス・ビジネスパートナーとして活動をし始めたときのことを思い出していた。ああ、私も同じような事を羽鳥さんから指摘されたことがあったな。でもこういうタイミングだからこそ、FP&Aに必要なマインドセットの話が鴨井さんにも響くのではないかな。
「鴨井さん、ドンマイ。思ったよりもあなたが成長しているという証だと思うの。スキルの面でめきめき成長している今のあなたに必要なのは、FP&Aとしてのマインドセットなのかもしれないわね。私も偉そうなことは言えないけれども、同じような状況になった時に先輩方からアドバイスをもらったので、それを共有したいと思うね。実は…」
ファイナンス・ビジネスパートナーに必要なマインドセットとは?
前回の「スキルセット」に続き、今回はファイナンス・ビジネスパートナーに必要な「マインドセット」の話をしてみたいと思います。マインドセットに関しては絶対的な回答というものはありませんが、私自身がこの仕事を始めた頃に、尊敬する上司から頂いた言葉で、今でもFP&Aの仕事をする際に心がけていることをご紹介するとともに、その詳細について自分なりの考えを述べてみたいと思います。
�@ 「君の仕事は計算機ではない。経営にインサイトを提示することこそが君の仕事だ」
これは私が大学を卒業して、プロフェッショナルとしてのキャリアを始めて2年目の時に上司になった方から頂いた言葉です。その後自分がチームを率いることになってからも、メンバーに伝え続けている、ファイナンス・ビジネスパートナーとして押さえておくべき心構えの基本中の基本として、今でも大事にしている言葉の一つです。
経理や財務といったファイナンスにかかわる人たちは、普段から多くの数値を取り扱い、様々な計算作業に多くの時間と労力を費やすことになります。下手をすると「数字を作っておしまい」になってしまう人も見受けられますが、ファイナンス・ビジネスパートナーとしては「数値が完成した」瞬間から本当の仕事が始まります。数値をいかにインサイト(示唆)につなげるかに自分のエネルギーを注ぐべきなのです。
インサイト(示唆)を提示するということは、別の言い方をすると「良質な問いかけをして、可能性を広げる」ということだと私は考えています。
ファイナンス・ビジネスパートナーは財務モデルのオーナーであるという話を前回しました。財務モデルは多くの前提条件によって成り立っています。前提条件が変われば、財務モデルのアウトプットとしての収益性や企業価値は変化します。前提条件はどのくらい確定的なものなのか? 改善はできないだろうか? 仮に前提条件となる数値が5%改善したなら、アウトプットとしての収益性や企業価値はどのくらい上がるのだろうか?
こうした疑問を投げかけることができるポジションにいるのがファイナンス・ビジネスパートナーです。その問いかけに対して、意思決定をつかさどるCEO(最高経営責任者)をはじめ、経営チームが「なるほど、そのような視点から見ると、こんな可能性があるのか」と思ってもらえること。これこそ、インサイト(示唆)を提示することを意味すると思っています。
もちろん根拠のない前提条件を設定すると、議論の時間を浪費することになりますので、ビジネスを取り巻く内部・外部環境や、そのビジネスが収益を生み出すメカニズムについても深く理解をしておく必要があります。他企業や他業界のベスト・プラクティスを勉強し、自社に転用できないかどうかを考えるのも有効でしょう。「こうしたらビジネスが発展するのではないだろうか」という仮説とともに、財務モデルを構成する前提条件を設定し、可能性に挑む姿勢が大事だと私は考えます。
前提条件そのものに懐疑的・批判的な視点を持ち、疑問を投げかけることは、時として関係する人々の感情を刺激することもあります。これまで培ってきたビジネスによって、現在安定している秩序を崩壊させかねないわけですから、中には感情的に抵抗を示す人も出てくるでしょう。そういう事態に直面しても、冷静に論理的に、かつ理性的に本質を問いかけ続ける勇気を持つこともファイナンス・ビジネスパートナーには必要となるかと思います。
�A 「CFOは、CEOができるくらいでないと務まらない」
これも前述の上司から頂いた言葉です。私はこの言葉の意味するところを「意思決定をサポートするというレベルでは不十分で、意思決定の当事者としての視野・視座・視点をもって考える」ことと捉えています。
もちろん最終決定権を持つCEOと、ビジネス・パートナーである人間とでは、その責任へのプレッシャーは天と地との差があります。その差は実際に経営トップになってみないと分からないものだと思いますが、少なくとも「自分がその意思決定の責任を持ち、この決断を下したのちに自分が結果責任を持つ立場だったと仮定して、本当にその意思決定を下すのか? 責任を自分で負うことができるのか?」と、自分自身に問いかけてみることは必要なことでしょう。
自信をもってその決断をすると断言できるようになるためには、その判断の後に起こりうるシナリオの想定や、リスクへの準備、関係する人たちへの説明方法など、考えるべきことはたくさんあります。何よりもその後に起こることはすべて自分で引き受ける覚悟があるかどうかというのが、最も大きなポイントになるでしょう。
ファイナンス・ビジネスパートナーは、経験が浅いうちは「意思決定のサポーター」にすぎなくとも、成長するにつれて「意思決定に関与し、組織に対する影響を与える人」へとステップアップし、最終的には「ビジネスの結果をリードする」立場になっていくことが求められます。このステップを踏むには、施策の実行力や組織を動かすリーダーシップなど、備えるべきことはたくさんありますが、経験が浅くとも、まずは心構えとして「意思決定のサポーター」であることに甘んじることなく、「影響力を与える立場である」ことを自覚すること、自らが結果を導く立場であるという気概は持ちたいものです。
�B 「ビジネスを創るのに、ファイナンスも他部門も、一切関係ない」
ファイナンス・ビジネスパートナーは営業やマーケティング、生産、物流、研究開発など、ビジネスに携わるライン部門と仕事をする機会がとても多いポジションでもあります。会計の専門家として、他部門の人が留意しない、でも経営上欠くことのできない重大な視点からの言動により、チームに影響を与えるべきポジションでもあると言えます。ただし、その「会計の専門家」としての視点にとらわれるがあまり、視野を狭くしてはいけないとも思います。共通の理念・目的に向かってビジネスを遂行するチームメンバーの一人として、直接的にビジネス創造に貢献することが期待されている人間であることを再認識する必要がありそうです。
ある日本を代表する日用品メーカーのFP&A担当部長さんがこのようなお話をされていました。
「FP&Aの使命は、全体最適となる意思決定がなされる土台を作ることだと思います。そのためにはFP&Aの人間がビジネスを深く理解し、多様な部門のチームメンバーとの信頼関係を構築することが必須です。この時に会計の角度からでしか物事が見ることができないと、ビジネスの理解にもバイアスがかかるし、他部門が話していること・意見していることの真意を理解することができなくなってしまい、結果として、他部門のメンバーとの信頼関係を構築することもできなくなってしまうリスクがあります。だから敢えて『会計』というアタマを外すことも必要だと考えます。」
とても興味深いコメントですが、このお話をお聞きした時に、私は次のような印象を持ちました。会計の角度から物事を見て、会計の視点でコメントをすることは、会計・非会計という対立軸を生むこともあります。経営会議などにおける多面的な角度から物事を検証するときには、このマインドセットは良い方向に向かいますが、チームとしての基盤を構築することを目指すフェーズにおいては障害になりかねません。このフェーズでは、チームメンバーに寄り添い、発言の真意を理解し、共鳴し、伴走するという姿勢が最も大切になるからです。
FP&Aは「会計の専門家」として会計の角度から物事を見るという基本スタンスにブレがあってはならない。ただし時として「会計の専門家」というマインドセットを敢えて頭から取り外すことで、他の角度から物事を直視し、全体像を把握するという、変幻自在な柔軟性というものを意識しておく必要がありそうです。
求められるのはやはり「成長思考」
以上、自分自身が影響を受けた上司の言葉と、そこから学びを得た私からファイナンス・ビジネスパートナーとなる皆さんにお届けしたいアドバイスを書かせていただきました。結局のところ、ファイナンス・ビジネスパートナーは「会計の専門家」という領域に甘んじるのではなく、自らの「心地よい領域(Comfort Zone)」を広げていくという成長意識が大切だと思うのです。
スタンフォード大学のキャロル・ドゥエック教授は、「個人の能力は、努力や学習、他人からのフィードバックを吸収することで高められる」と説き、このような学習を通じて自己成長を追い求めていくマインドセットのことを「成長思考(Growth Mindset)」と呼び、「固定思考(Fixed Mindset)」と対比して説明をしています。
成長思考を持つ人間は努力と学習を通じ、自らが成長した時、自分は成功したと考えます。たえず挑戦を怠らず、全力を尽くすことに喜びを感じる人間を指します。半面、固定思考に陥った人間は、物事をうまくやり過ごしながら、自分が才能のある人間だというのを周囲に示した時、成功したととらえます。
「成長思考」は決してファイナンス・ビジネスパートナーだけに必要なものではありません。多くのビジネス・パーソンにとって、変化が大きなビジネス環境においては持ち続けていたいマインドセットではありますが、特に「会計」という特殊な専門知識があるがゆえに、それを盾に「自己にこもる」ことができてしまうファイナンス・ビジネスパートナーは、成長思考を常に意識しつつ、自分の現状を確認するためのモノサシを持ち続けなければならないとも言えそうです。
※シリーズ「FP&A人材への招待状」の過去の記事はこちら。
vol.1 経理・財務パーソンよ 、「殻を破る」新たなキャリアへ!
vol.2 上司は2人、バランス感覚どう保つ?
vol.3 EVA、ROIC…求められる判断軸とは?
vol.4 スキルセットをどう磨く?