世に悪役は数あれど、好かれる悪役と嫌われる悪役とに分かれるもの。奥菜恵さんや山本モナさんなどの評判の移り変わりを手本に、悪役になったときの効果的なマーケティング法を学ぶ。
このコラムは、アイティメディア「Business Media 誠」に2008年7月10日に掲載された内容をGLOBIS.JPの読者向けに再掲載したものです)。
悪役には存在感がある。眼光、口もと、言葉、たたずまい。世間からの反目をモノともしないアウトローな情念。善良な人々と悪役たる自分との距離感を“値踏み”し、善良者の心にさざ波を立てることに生き甲斐を感じる。悪いヤツを演じることに満足を覚え、善人の包囲網をせせら笑い、孤独に耐える強靭(きょうじん)な心を持つ。そんな悪役になぜか引きつけられるのだ。
悪役は天性のものか、演じる役割なのか、それとも降りかかった災難なのか。
悪役は映画やテレビの中だけの話とは限らない。実写活劇で悪役出演が高じれば、オフにぶらりとお天道様を歩いていても、「あ、悪漢だ!」と子どもにケリを入れられるかもしれない。マスコミで炎上している本人が出没すると、遠目からチラリと見られただけで「お~やっぱり、雰囲気ワルだな」とささやかれたりする。本人は子どもを保育園に迎えに行く途中だったかもしれないのに。
悪役には“キャスト(映画や芝居やドラマの演技者)”と“社会悪(アウトロー、事件の渦中の人)”の2つのタイプがある。そのマーケティング価値をキャストから見てみよう。
悪役はしょせんフィクションさ
希代の悪役と言えば映画『羊たちの沈黙』のアンソニー・ホプキンスさんだろう。あの冷酷で知的で残忍なシリアルキラー、“ハンニバル・レクター”は悪役中の悪役。その圧倒的な邪悪な演技をするには、“なりきる”のだろうか? 実は「演技に過ぎない」と彼は語っている。
「アクターズスタジオ(米国の演劇学校)の学生から『その役柄に心底なりきるにはどうするんですか?』と聞かれた。オレはこう答えた。『そいつはムリだ。しょせんはフィクションさ。例えばニクソン(元大統領)のような実在の人物を演じても、それは君自身だろ?』とね」
悪役も善玉もしょせんフィクション、だから大事なのは迫真の演技ができるかどうかだけだ。役柄になりきるのではなく、台本を演じきるのだと彼は語る。それでも観客は役と役者を同一視する。舞台やブラウン管(今や液晶ですが)での悪役だけでなく、その生きザマの悪役ぶりを楽しむのも観客(世間)である。
演技の悪が先、私生活の悪は後
『紅い棘』表紙の奥菜恵さん。
女優には“暴く”という武器がある。ちょっと前は石原真理子さん、最近では奥菜恵さんだ。奥菜恵さんは2008年4月、『紅い棘』という本を出版した。そこには暴きの棘が仕込まれていた。最大の棘はITベンチャー社長との結婚と離婚。
カバー写真からして悪役の香りが漂う。帯には“清純派、魔性の女、結婚、離婚……”という文字が踊る。メイド姿もある“自分撮り”の写真は清純派アピール路線とは対極。夫婦ゲンカは犬も食わないので論じないけれど、赤裸々な恋多き姿に共感するコアなファンを除けば、たいていの人はこの暴きに、演技ではなく悪役を見た。悪を暴いたつもりが、かえって悪のイメージを背負ったのだ。
女優とは演技を通じて夢を与える職業で、モンスターを物語で演じても私生活は別。演技に悪が香る分には褒めそやされるが、、私生活で悪が過ぎると観客は引く。
知的から痴的への悪役ポジショニング
知的さゆえにTBS『筑紫哲也 NEWS23』に抜擢された山本モナさんは、不倫スクープ写真でわずか5日で降板し、一世風靡(ふうび)の悪役となった。
誰が知恵を付けたか、自粛3カ月後の復帰バラエティ番組では“スイカのかぶりモノ”司会で復帰した。もちろん“叩いて!”というシャレ。アイデアの黒幕は北野武さんなのか。その後の出演番組でも美貌に似合わない天然さがウケ、「う~ん、これはあんがい地だね」というイメージがじわじわ広がった。
頭の良さがマイナスとなって、“知的な悪役”は世の人に嫌われる。悪に落ちた彼女をどう復帰させるか? 知的をいったん捨てさせよう。知的は避けて“痴的”へ、“悪役転じてお笑い役”という賢い台本が作られたようだ。
奥菜恵さんと山本モナさんの“悪役ポジショニング”をしてみよう。
奥菜恵さんと山本モナさんの悪役ポジショニング図
タテ軸は役者の「悪役軸」。事件などで「悪に仕立てられた」が元は善玉な人は上へ、“元来悪いヤツ”は下に位置付けられる。ヨコ軸は世間の「炎上軸」である。左は“憎たらしい”、右は“憎めない”。右上は好“漢”度が高く、左下は悪“漢”度が高い。
愛憎深き奥菜恵さん、路上でケンカのゴシップの頃は「女優だからそのくらい当たり前よ」と思われていたが、一連のプッツンで悪役度が高まった。恋多きモナさん、事件発生時に“憎めないけど元々魔性のオンナ”で右下に落下。だがそこからバラエティ番組などで見せるふっきれたキャラで好感度アップ。最新情報(某野球選手とのゴシップ)ではまた落下だろうか?
“悪役、実は痴的”で好漢度が高まる。「あ~まずい! もう一杯!!」の青汁CMの八名信夫さんはかわゆいオヤジだ。『高校教師』で近親相姦の父役など、数々の悪役を演じた峰岸徹さんは、今や中年トライアスロン隊を結成し、落語やバラエティではオヤジギャグも光る。
余談ですが、ある社長は「経営コンサルタントは嫌いだ」と語った。「なぜですか?」と聞くとこう答えた。「コンサルタントってのは知的暴力団だからだ」。筆者も悪役なのか!? まずいな、かぶりモノができるまで“モナれ”ないと。
悪徳企業は長続きせず
悪役は知的な悪にはとどまれない。歴史を振り返れば“痴的”に落下する引力がある。最近では飛騨牛の偽装販売が発覚した丸明の社長だ。
表沙汰(おもてざた)になる前は、従業員たちは恐怖ゆえ“表立って”憎めなかった。「憎めないヒトねえ」ではなくワンマンゆえの「憎めない」だ。偽装が発覚し「何を私がやましいことをした」「すべて従業員がやったこと」と開き直ったとき、社員の“憎たらしい”が炸裂(さくれつ)した。抑圧されていた感情が取材陣の目の前で流出した。罵声を浴びて、社長が自分の非を渋々認めたところで、悪は痴に落ちた。
<丸明社長と悪役男優の悪役ポジショニング図
うなぎ養殖など類似事例はいくつも思い浮かぶ。勧善懲悪好きのニッポン社会、悪役企業は長続きせずバッシングされる。悪役が経営者だけか、会社組織までか、立ち直りの可否はそこが分かれ道だ。
会社はしょせん昼間の演技さ
粉飾決算事件で悪役となったライブドア。悪役退出後、残されたライブドア社員は“知的で憎たらしい”ポジションからの再出発であった。案外その立ち直りは早かった。なぜか。悪役という強い負のイメージは究極のブランド力でもある。その近寄りがたいエッジの効いたイメージは、善にはない存在感だ。悪役結審も間近で、さらに追徴課税もされているが、“こんなに一生懸命です!”と純なところを訴求し続ければ、立ち直り反転力には磨きがかかるのである。
悪に落ちた企業とはいえ、しょせん会社は昼間の演技に過ぎないのだから。
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