今回は中国の官僚登用制度の柱であり、現代日本にも大きな影響を及ぼした試験制度、科挙について見ていきます。
科挙とは
科挙とは、過去の中国における高級官僚を登用するための試験制度のことです。6世紀の隋(遣隋使でもお馴染みです)の時代に、始祖の文帝によって初めて導入され、1904年の清朝末期に廃止されるまで、1300年以上続きました。優秀な人間を選抜するとともに、皇帝の権力を強化するのが目的でした。
家柄や出自に関係なく、ペーパーテストの成績さえよければ高級官僚として登用するというのは、世界的に見ても画期的なことでした。事実、18世紀くらいまでのヨーロッパでは、高官は貴族の世襲が当たり前でしたから、中国の科挙は非常に優れた制度として紹介されていたようです。
この科挙ですが、最も効果的に機能したのは宋(960年-1279年)の時代だったというのが一般的な評価です。宋に先立つ隋や唐の時代はまだまだ貴族階級の力が強かったのですが、宋代にもなると、彼らの力は衰えます。宋の時代には、科挙の試験に合格することが、高級官僚へのほぼ唯一の道筋となりました。
カンニングや替え玉受験も横行?なぜ科挙合格を目指すのか
中国における高級官僚の地位は、現代の日本のキャリア官僚などに比べると比較にならないくらい強大なものでした。古代の中国では伝統的に公金と私財の区別はありません。賄賂も当然のものでした。官僚は、税や付け届けで集めたお金や供物の中から一定額(一説には、集めたお金のたかだか1%以下と言われています)さえ皇帝に上納すれば、あとは私財とすることが可能でした。
時代にもよりますが、今の日本の金銭価値にすると、兆円から数十兆円単位の蓄財をした官僚も数多くいました。百億円程度の蓄財しかしなかった高級官僚が「清廉な人物」とされていたというのですから、あとは推して知るべしでしょう。出自を問わず、ペーパーテストに合格すればこの地位を得られるのですから、優秀な人間が科挙合格を狙ったのも当然と言えます(その分、カンニングや替え玉受験も横行し、見つかると罰せられたといいます)。
科挙の試験内容や難易度
とは言え科挙は、宋代までは、実際に優秀な実務者を選ぶ機能を果たしました。科挙の首席合格者が有能な宰相になったという例も少なくありません。南宋の三忠臣の1人とされる文天祥などがその例です。その理由には諸説ありますが、宋の頃まではペーパーテストとはいえ出題範囲も広く、また「志」を育むような文章も勉強しなくてはならなかったという説が有力です。
趣が変わったのは明(1368年-1644年)の時代です。この頃になると朱子学の影響が強くなり、出題範囲は四書五行(論語、孟子、大学、中庸、易経、詩経、書経、礼記、春秋)に限定されます。ひたすらこれを暗記したものが科挙に合格するようになったのです。
では、どのような人が科挙に合格するかというと、記憶力が良く、親がお金持ちで、子どものころからひたすら科挙合格に時間を使った人です。時代によって制度も変わるのですが、科挙にはいくつかのステップがあり、概ね30代後半で最終試験に合格するというのが、合格者の一般的なパターンでした。子供のころからカウントすると、30年以上ひたすら科挙合格に向けて頑張った人間が合格するわけです。合格できない人間は、60歳、70歳まで試験を受け続けたとも言われます。一族からの期待があまりに高かったため、期待に応えられずに発狂したり自死を選んだりした人間も多かったと言います。
科挙官僚を支えた宦官の存在
しかし、ひたすら儒学関連の古典を記憶した人間が実務者として優秀かと言えばそんなことはないのは容易に想像がつきます。実際、明代では、科挙に合格したからといって、実務者としては必ずしも優秀ではない人間が数多くいたようです。
それでも明の政治がそれなりに回った背景としては、そうした官僚の限界を補う一群の存在がありました。それは宦官です。宦官は男性器を切除された(想像しただけで寒気が走りますが…)、皇帝の世話役、補佐役です。日本人の感覚からはなかなか理解しにくい存在であり、中国からさまざまな文化を吸収した日本でも、宦官という制度を取り入れようとしたという話は、筆者は寡聞にして知りません。
宦官は、学(といっても四書五経に限定されたものですが)こそありませんでしたが、世間知に長け、また、科挙合格者にはない度胸や才を持ち合わせていました。中国史に残るトラブルを解決したのが宦官だったという話も多々あります。
宦官と科挙合格の官僚が絶妙のバランスで牽制しあい、難局においては協力したことが、中国の政治を支えたのです。
本来の目的を失っていった試験制度
しかし、科挙の制度は時代を下るにしたがって、どんどん自己目的化(=「科挙に受かる」こと自体が目的になる)し、本来の「優秀な人材の輩出」という機能を失っていきます。清代になると、古典を知っていることが最高のことであり、実際の政治は俗事として下に見なすようになったとも言われています。しかし、科挙の運営が科挙合格者によって運営されているのですから(名目上は皇帝直轄の試験ではありましたが)、その制度は容易には変わりません。
それでも中国一国で物事が完結しているうちはよかったのですが、19世紀になると、西洋の列強が科学技術なども武器にして中国に攻め入ってくるようになります。1840年のアヘン戦争がそのさきがけです。これには当時の科挙合格者は全く対応できず、宦官も役には立ちませんでした。その結果、19世紀後半、清は欧米列強の軍門に下ることになってしまったのです。
科挙が廃止されたのは、日清戦争に敗れて約10年後の20世紀初頭です。清朝末期の権力者、西太后の決定によるものでした。西太后は歴史上、必ずしも称賛される存在ではありませんが、この意思決定については、評価は高いようです。科挙の廃止を西太后に提案した康有為は、「科挙のない日本にも優秀な人は多い」と言ったとされています。
こうして科挙は1300年超の歴史に幕を下ろしたのです。しかし、その影響は、いまでも日本の大学入試や公務員試験に残っていることは皆さんご存知の通りです。それがいつどのように変わるのかは興味深いところです。
科挙の盛衰から学べること
今回の学びは以下のようになるでしょう。
- どんなに効果的な制度であっても、長く続くとそれが自己目的化し、本来の役割を果たせなくなる可能性が高い。その制度で恩恵を受けた人間がそれを監督すれば、その傾向はますます高まる
- 権力が集中化するのは危険。パワーバランスをとる何かしらの仕組みやガバナンスが必要
- 物事を変えるきっかけとして外圧は有効。しかし本来は、時代遅れのものは、外圧によらず、自発的に変える仕組みが内在化していることが望ましい。
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