2008年7月11日、「iPhone」は華々しいデビューを飾った。午前7時、ソフトバンク表参道店には1500人の行列ができ、3日前から並んでいたという先頭の客は、ソフトバンク孫正義社長が出迎える中、開店のファンファーレとともにスモークの中を嬉々として店内に入っていった。マスコミ各社は、先進的なデザイン、斬新なインターフェースに機能満載のスーパー携帯電話であるiPhoneは、日本の携帯電話のビジネスそのものを変える画期的な商品であり、携帯業界の「黒船」であると報じた。
7月下旬、奇しくもソフトバンク表参道店近くの床屋に行った私は、店長がiPhoneを持っているのに気づいた。「よく買えましたね。並んだんですか?」と私。「いえ、湘南台*1のヤマダ電機でたまたま買えたんです。しかも発売当日に」。私が「使ってみてどうです?」と聞くと、店長は待ってましたとばかり話し始めた(ちなみに彼は、筋金入りのマックユーザである)。
「そうですね、携帯電話としては15年前に戻っちゃった感じですね」
そう言って、iPhoneを買ったことへの後悔をつらつらと語った。あまりに携帯電話としての使い勝手が悪いので、auに戻すことを本気で検討しているそうだ*2。そして、相当マックに詳しい自分でもこうなんだから、カッコよさに引かれてうっかり買い換えたユーザは大後悔してるに違いないと言った。彼の話をまとめると次のような感じである。
・今まで使えた場所で電波が入らない。電波の受信感度が悪い
・着信・発信履歴が混在し、分かりにくい
・すぐに電池が切れる
・メールアドレスが(Yahoo、Gmailのような)PCのドメインなので、(携帯電話で受信制限をかけている人などから)メールの受信を拒否されるケースが多い
・日本語変換がうまくできない。ライブラリもない
・どれか一つの機能が壊れたら、電話は使えても修理に出さなければいけない
・(六本木などの)キャバクラでも話題にならない
最後のポイントについて店長の話を補足すると、だいたい新型携帯は、キャバクラでの差し障りのない話題として上がることが多く、最近では「PRADA Phone」はさっそく話題になり、それを持っていれば15分は話が持ったが、iPhoneは全く話題にならず、トレンドに対して独特の鋭い嗅覚を持つ彼女たちが関心を持たないということは、流行の商品になる可能性も低いということになるそうだ*3。
店長のコメントを聞きながら、iPhoneは、結果として日本の携帯電話ビジネスを変える「黒船」にはならないのではと感じはじめた。その最大の理由は、iPhoneが携帯電話として発売されてしまったことにある*4。iPhoneを携帯電話として捉えた時、それは進化どころか退化した携帯電話であり、現在の携帯電話を基準に置いているユーザーの満足を得ることはできないと考えられるからである。
一般に、製品は「コア機能」と「付加価値」の組み合わせによって構成される(図1)。例えば、携帯電話であれば「受信感度」「電池寿命」「メール機能」などのパーソナルな通信デバイスとしての基本機能に加え、古くは「写メール」、「i-mode」、最近では、「音楽プレーヤー」、「ワンセグ」、「おサイフ」「ゲーム」など様々な付加価値群で構成される(図2)。これまで携帯電話は付加価値を増やし続けてきたが、それは、携帯電話としての基本機能を担保した上での高付加価値化であった。ところが、iPhoneの場合は、付加価値のために携帯電話としての基本機能が犠牲になっている。そして、付加価値部分の魅力が大きいだけに、よけい携帯電話としての存在感が希薄になっている(図3)。
「今年は携帯電話がインターネットマシンになる元年。今日は記念すべき歴史的な日だ」。iPhoneの発売に際して孫社長はそう語った。しかし私は、iPhoneがこれまでの携帯電話に取って代わることはないと思う。かつて、同じように華々しく登場した「Newton」*5のように、限られた人々に熱狂的に受け入れられるニッチな商品としてしか存在し得ないのではないか。そして携帯電話は、iPhoneのエッセンスも取り込みながら携帯電話としての進化を続けることだろう。
*1 この店長は、神奈川県の湘南台にも店を構えている。原宿に本店があることで、地方展開がやり易くなるのだという。
*2 他のキャリアに変更後2カ月以内であれば元のアドレスが使用できるというサービスがあるらしい。
*3 悪い点だけ書くのも不公平なので、店長が語ったポジティブな点を書くと、ソフトは素晴らしい。ゲーム機としてはニンテンドーDSやPlaystationに遜色ないとのこと。
*4 Phoneと名乗るからにはしょうがいないが、ドコモとのiPhone争奪戦のニュースが、よけいにiPhoneを既存の携帯電話の進化形であることを期待させた。
*5 Apple Newtonは、1993年にアップルから発売された世界初の個人用携帯情報端末(PDA)。