原田マクドナルドの新たなる一手
7月14日付日本経済新聞に「マクドナルド一人ひとりに異なる値引き新型クーポン1000万人に配信購買履歴を分析」というタイトルの記事が掲載された。同社の抱える携帯電話サイトに登録している約2000万人の会員のうち、おサイフケータイ機能を持った約1000万人が対象だという。
会員の特性に合わせたクーポンの例も挙げられている。「土日の昼にコーヒーを頻繁に購入する→週末の朝にコーヒーが無料になる」「一定期間、来店していない→従来よく購入していたハンバーガーなどを割引」「来店頻度は高いが、新発売のハンバーガーを購入していない→新発売のハンバーガーを大幅に割引」「ハンバーガーのセット商品の購入頻度が高い→アップルパイなど1品加えても手軽に食べられるメニューを割引」などだ。
同記事にも書かれているが、日本マクドナルドは90年代後半から2000年代初頭にかけて最安値ではハンバーガーを50円台で販売するなど、極端な価格政策を展開してとブランド価値の棄損を招いた。その反省から、一時期は「クーポンは禁じ手」とされたこともある。転機が訪れたのは、携帯電話の普及だ。それ以前の96年に日本マクドナルドのWebサイトが開設された時から顧客自らがプリントアウトして来店する「Webクーポン」が実施されていたが、さらに顧客の携帯電話にクーポンが配信されるしくみに進化した。それをさらに磨き上げ、「2004年以降、計300億円をかけて顧客情報などを分析するITシステムを構築。来店客の購買パターンなどのデータが一定程度蓄積されたため、本格的な個人向けサービスに踏み切る」(同紙)のだという。
安値攻勢の反動で苦しんだ日本マクドナルドは、現在の原田泳幸社長体制となってからは「売上=客数×客単価」の基本を徹底して行っている。コーヒーや飲料、ナゲットなどの無料や100円販売は「コマセ」の施策として「客数増」のために実行。定番メニュー・セットの定価は決して値引きすることなく静かに「定置網」のように販売しつつ、BigAmericaシリーズやチキンメニューの中〜高価格帯メニューは針を仕込んだ「喰わせエサ」として投入する。「定置網」と「喰わせエサ」は「客単価」の維持と増加のための施策だ。
また、ハレ(非日常)とケ(日常)のマーケティングを駆使しているのも特徴だ。原田社長が2004年に着任して最初に手を付けたのは、QSC(Quality,Service,Cleanliness)の向上。簡単に言えば、「お客様に気持ち良く美味しいものを食べてもらう」こと。クオーターパウンダーやBigAmericaシリーズなど、ハレのマーケティングがどうしても目立つが、ケのマーケティングがしっかり構築されており、ハレ⇔ケのグッドサイクルが回っていることを忘れてはいけない。
デフレ下の外食産業で独り勝ち状態の原田マクドナルド。もはや、「ハンバーガー業界の王者」であるだけでなく、「1000円以下のカジュアル外食のリーダー」企業であらんとして戦っている。そして、事実、チキンメニューではシェアNo.1となっている。
しかし、決定的な弱みがある。同社が、「日本」マクドナルドであることだ。
カスタマイズクーポンの背景、可能性とは…
200円台前半まで低価格競争が進んだ牛丼業界では、戦いの場を中国にも拡大している。吉野家のホームページに以下のような記述がある。「2010年末、吉野家の海外店舗は全体で439店舗、なかでも香港を含む中国が261店舗と半分以上を占めます。中国においては速やかに1000店舗を達成することが当面の目標です」。すき家を運営するゼンショーも中国進出に力を入れはじめた。
牛丼チェーンの狙いは明らかだ。人口の縮小が加速化する日本市場より魅力的な中国市場を拡大する。しかも、北京の吉野家では牛丼並盛が13.5元(日本円にして約190円)という現地としては高価格で販売されている。利益の出ない価格で限られたパイを奪い合う日本での戦いとは大きく様相が異なる。
日本マクドナルドの営業エリアは日本市場に限られる。外食産業総合調査研究センターによると、2008年の国内外食市場は前年比0.5%減の24兆4315億円と、ピークの1997年から16%も縮小している。市場の縮小を前提とした戦略を立てねばならない。戦略の基本としている「売上=客数×客単価」の客数、新規顧客の伸びはもはや期待できない。「(のべ)客数=顧客数×利用回数」「客単価=商品単価×注文数」にもう一段階分解して展開を考え、その方策として利用回数と注文数を増す、「一人ひとりに最適化されたクーポン」を配信するのではないだろうか。
日本の人口動態の変化は日本マクドナルドにとってフォローの風も吹いている。人口縮小はもはや止めようもないが、2015年までは世帯数の増加が予想されている。ナゼか。それは単身世帯の増加によるものだ。晩婚化、少子化、高齢化・・・結果的に「お一人様需要」が増えている。昨今のマクドナルドの店舗を見れば、一人でも気兼ねなく食事ができる「お一人様用席」を増やしていることがわかるだろう。また、中食需要の高まりや家庭内での個食化もテイクアウト利用を増すことになる。マクドナルドではドライブスルー併設店は昨今、利用が2桁の伸びであるという。その、フォローの風を受けて、さらに売上上昇につなげるために「個別クーポン」が効いてくるのだ。
人口動態や食事に対するニーズの変化という社会的な変化ばかりではない。今、新クーポンをリリースするのは、技術的な成熟度の観点からもタイミングが合っている。前掲の記事の内容にあるように、対象となるのは「約2000万人の会員のうち、おサイフケータイ機能を持った約1000万人が対象」だ。携帯電話はスマートフォンへの買い換えが進んでいる。主力のiPhoneにはおサイフケータイ機能は搭載されていないが、おサイフケータイ機能を利用可能にするFeliCaシール、「電子マネーシールforiPhone4」がソフトバックBBから発売されている。AndroidOSを搭載した国内勢も従来の携帯電話=ガラケー(ガラパゴス携帯)の機能を取り込んだ「ガラスマ(ガラパゴススマートフォン)」で巻き返しを図りはじめた。おサイフケータイ機能非対応の携帯電話利用ユーザー1000万人もスマートフォンへの買い換えでクーポンの対象会員となるかもしれない。
先ほどのハレとケで言えば、ケの部分に当たる。地味なインフラ整備。だが、革新的だ。購買履歴を基に商品をレコメンドし、値引きクーポンで購入を促す仕組みが、どこまで顧客の心をつかむことが出来るのか、という観点からも面白い実験になる。アマゾンなどを筆頭にネットではすっかり当たり前になった感があるが、リアルの場面で、人間でなく、システムが購入をレコメンドする仕組みは、あまり聞いたことがない。今回の試みが成功すれば、恐らく野火のように広がっていくのではないだろうか。それは、私たちの消費行動、マーケティング活動を大きく変える可能性を持つし、その応用可能性を考えれば、日本のサービスが世界で一歩抜きんでるチャンスのようにも思える。
商圏が限られている。商圏内人口が縮小している。逆風をはねのけるため300億円を投じた原田マクドナルド入魂の施策が、どのような実を結ぶのか注目である。