リーダーシップにはいろいろな形があります。東洋と西洋とではそのスタイルに大きな違いがありますし、時代の変化につれて求められるリーダー像も大きく変わります。とはいえ、文化や民族によって“変わらない何か”もあるのではないかとも思います。
日本人のリーダー観の根底に流れるものは何か――。『古事記』の国造りを牽引したオオクニヌシの物語を紐解いてみましょう。
「因幡の白兎」を助けたオオクニヌシの資質
オオクニヌシには数多くの異母兄弟がいました。異母兄弟が因幡に住むある女性に結婚を申し込むために因幡へ向かうことになり、オオクニヌシは従者として同行します。道中、騙したワニに皮を剥がされて苦しんでいる兎に出会うのですが、異母兄弟は嘘の手当てを教え、兎の傷をさらに悪化させました。一方、後からやってきたオオクニヌシは正しい治療法を教え、兎の傷は回復します。
兎はこう予言します。
「あなたの異母兄弟は、因幡の女性と結婚することはできないでしょう。あなたは従者のような粗末な身なりをしていますが、あなたこそが結婚することでしょう」
その予言どおり、因幡の女性は異母兄弟との結婚を拒否し、オオクニヌシとの結婚を宣言します。
これが有名な「因幡の白兎」の物語です。子供のころに読んだおとぎ話では、兎を救ったオオクニヌシの心の優しさが主題になっていましたが、実は、オオクニヌシが従者のような粗末な身なりをしていても、正しい知識を持ち、それを他者のために使うことができる聡明誠実なしかるべきリーダーであることを、兎が見抜き予言した物語なのです。
異母兄弟は、因幡の女性がオオクニヌシと結婚すると宣言したことに激怒し、オオクニヌシを亡きものにしようと策略をめぐらします。オオクニヌシはその策略で2度も命を落としますが、そのたびに母親がある神に懇願したことで蘇りました。
そして、異母兄弟たちの追っ手から逃れるために別の国に赴き、そこで出逢った女性と結婚します。女性はその国を支配する大神の娘でした。結婚の報告を聞いた大神は力試しの試練をオオクニヌシに与えます。オオクニヌシは娘の協力やネズミの助けによって数々の窮地を脱し、死と隣り合わせの試練を乗り越えていきます。最終的には大神にも認められ、大神の強大な力を得て、異母兄弟たちを退けることができました。
『古事記』では、男主人公が旅の途中で出会った女性と結婚するという話が何度も出てきますが、女性はその土地を支配する神に仕える巫女的な存在と考えられていたため、女性との結婚は、その土地の神の力を得ることであり、ひいては土地の平定を意味しました。
つまり、女性を魅了することのできる、「聡明誠実な人柄」や試練にくじけることなく立ち向かう「健全な精神」、それを体現した「端正な姿かたち」は、国造りや国土拡大を推し進めていくリーダーとして欠くことのできない要件だったのです。因幡の女性に続いて大神の娘を魅了したことは、オオクニヌシが国造りを担うリーダーであることの証と考えられたのです。
この後も、オオクニヌシは多くの女性と結婚することで多くの国を平定し、子供にも恵まれます。また、国造りの命を下した高天原(たかあまのはら)や海の彼方からも協力者を引き寄せ、国造りに邁進し、実り豊かな葦原中国(あしはらのなかつくに)を完成させました。
図: 『古事記』で描かれた国造りのリーダーに求められるバランス感覚
武力や権力だけではリーダーになれない
オオクニヌシは成長していくにつれて、出世魚のように呼び名が変化していきます。
オホアナムヂ(大穴牟遅)
アシハラシコヲ(葦原色許男)
オオクニヌシ(大国主)
ウツシクニタマ(宇都志国玉)
ヤチホコ(八千矛)
5つの名前には「力強い神」「国を治める神」「武勇に優れた神」といった意味合いがあります。
ある遠方の国の平定した物語では、オオクニヌシは、武力の喩えである「ヤチホコ(八千矛=数多くの矛)」という名前で登場します。大神に認められて強大な武力と権力を手にしたことが想像できるのですが、物語の中心は、歌を詠み交わすことによる女性への求婚です。オオクニヌシは、武力や権力で国や人々を平定したリーダーとして語られることはありません。あくまでも聡明誠実な人柄と健全な精神、それを体現する姿かたち、歌というコミュニケーションによって他者を魅了し、協力者を得て、国造りを成したリーダーとして語られるのです。
国の礎を築く大事業においては、武力と権力、すなわち「ハードパワー」を得ることは必要条件ではあるけれども決して十分条件ではない。むしろ武力と権力を得るためには、人々を魅了する力、人々から信頼と協力を得る力、「ソフトパワー」を持たなければならない。そうした人望、人徳あるリーダーの下に神々や人々が集まり、その働きによって、国はより一層栄えていく――。オオクニヌシの逸話は、そんなことを現代に伝えているのではないかと思うのです。