氣は、何かに対して、向けることができる。
内向的に自分自身に向けることもできるが、外部に向けて発することもできる。いずれにしても、鍵となるのは、心も対象を向き、身体も対象に向けて、しっかりと良い態勢を取ることだ。
現代社会では悪い例をいくらでも見つけることができる。例えば、テレビを視ながら勉強する。例えば、スマホを触りながら友人と食事する――。どちらも身体は勉強、食事の姿勢を取っているものの、心はテレビやスマホという別対象に向かっている。これでは、自分自身の最高のパフォーマンスは出せない。また、食事を共にしている友人にも良い印象を与えない。大切にされているとは思われない。
良い態勢とは、身も心も対象に全て向かっている状態を言う。
そんなことを考えたのは、この春、デンマーク大使館において講演をする機会を得た時だった。デンマークから来日したリーダーたちを前に、日本人のリーダーシップの系譜について講演させていただいた。話の題材として、時代背景が異なる3人の日本人リーダーを選んだ。
1人目は、西郷隆盛翁(1827~77年)。島津藩(現在の鹿児島県)の重臣で、明治維新に際して新政府軍参謀として徳川幕府の勝海舟と交渉して、第15代将軍徳川慶喜を水戸・駿河に逃し、世界に類を見ない近代無血革命を成し遂げた英雄である。
2人目は、写真フィルムの巨人米コダック社が倒れる中で、富士フイルム社を生まれ変わらせた敏腕経営者、古森重隆氏(1939年生)である。
3人目は、今を時めく女性社会起業家の山口絵理子氏(1981年生)。バングラデシュで大学院を卒業、当地のジュート麻を用いた鞄を日本で販売するマザーハウスを創業。日本のお客様が「かっこいい」「かわいい」と思う製品を提供しつつ、途上国経済に貢献している。
この3人を選んだのは、時代、環境の変化が日本人のリーダーに求められるスキルベースを変えてきた、という仮説をお話しようと思ってのことだったが、3人の著書をじっくり読み返してみると、中心となる生き方の哲学が驚く程近いことに気づいた。
人への関心・共感・思いやり、使命感、自らの身心の用い方が、酷似しているのである。身体の用い方について言えば、西郷氏は友人月照のために身投げを行い、西南戦争では自らの命を私学の若手のために差し出した。古森氏は、会社が撤退すると決めた偏光板保護フィルム事業を担当した1960年代後半に、事業所に何日も泊まり込んで戦略を練り、会社の活路をつないだ。山口氏は、最貧国の現実を自分の眼で見たいという一心でバングラデシュに飛んだ。日本の消費者が喜ぶ鞄を作ろうと現地で体当たりの挑戦を続けている。3人とも身も心も全てを懸けた生き方をしている。
言うは易し、行うは難しである。そのような崇高な状態に、どうすれば近づくことができるだろうか。「氣」の観点からのアドバイスをしたいと思う。
まずは、身体を整えよう。肩の力を抜き、重力を感じるように自然に立つ。
心を100%対象に向けるように意識しよう。その際、身体を物理的にそちらに向けよう。視線を対象に向けて動かし、身体も正対させ、その対象に没入する。
例えば、部下から仕事上の相談を受けたなら、部下の話を一生懸命に聞く。それ以外のことは一切しない。上司としての評価のことなど考えない。部下の状態を真剣に観察しよう。肩に力は入っているか、呼吸は一定か、表情は豊かか――。このような観察から、この相談の機会の活かし方(意味)を考える。方法論を伝えるか、心構えを問うか、一緒に一つの解法を実践するか。個人的には、時間の猶予があれば自身の身心が部下のそれと一致するということで後者をお薦めしたい。
身体と心が対象に100%向いていると、「時」と「場」は100%が対象と共に在る。
「身体」と「心」と「時」と「場」を100%揃えることができたならば、あなたの感度は飛躍的に高まる。「氣」が満ち溢れる瞬間である。
対象に自己を投影することによって、自身の身体が「喜び」や、逆に「痛み」を感じることがあるかもしれない。当事者意識が溢れ出てインスピレーションが生まれる。複数の事象が繋がり合って、新たな意味を帯びてくることもある。
西郷さん、古森さん、山口さんという3人の日本人リーダーを「氣」の観点から見つめ直したことで、新たな気づきを得ることができた。身心と時と場を一致させることを意識して、良い人生を生きましょう。デンマークのリーダーにも氣のメッセージを伝えられたと信じる。