今、ビジネスの現場では、女性が結婚や出産、子育て、介護といったライフイベントを迎えながらも、長く安心して働き続け、キャリアを形成していくための制度が各種整えられつつあります。また政府の成長戦略では、役員や管理職に占める女性の割合を2020年には30%にまで引き上げようという政策を打ち出し、女性リーダーの育成に力を入れています。
男性も女性もその力を十分に発揮することで組織や国の力を上げていこうと、社会全体の機運が高まっているわけですが、実はいにしえの『古事記』を振り返ってみると、男と女の神は協働しながら「国造り」という国家事業を成していこうという発想が既にあり、女性は男性に勝るとも劣らない活躍をしていたのです。さっそく、紐解いてみましょう。
イザナギとイザナミ: 必然だった男女のエネルギー均衡
男女の神、イザナギとイザナミが、神々の命令によって天(あめ)から地(つち)に降り立ち、その交わりによって、日本の国土となる島々を作り出しました。さらに石、雨、海、風、木、山、野、火といった自然現象の神を次々と生み出すことで、国土を形成していったのです。実際に国土や自然現象の神を生み出したのは女の神イザナミですが、実はこの後、イザナミの死と再生をめぐって一騒動があった末に、男の神イザナギから1日1500人の人間と多くの神々と三柱の子供が生まれます。
ある研究によると、男の神から子供が生まれる話は他の文化にもあるようですが、この物語で特徴的なのは、女の神が国土や自然現象の神を数多く生んだのに対して、男の神が人間や多くの神々を生むという関係になっており、男女のエネルギーのバランスを図っているということです(※1)。男だけが、女だけがという構図ではなく、男女が同等のエネルギーで世界を形作っていこうという発想があると考えられます。
アマテラス: 国の統治の一角を担った女神
その後、イザナギは三柱(みはしら:神は「柱」で数える)の子供たち、アマテラス(女の神)、スサノオ(男の神)、ツクヨミ(性別不詳)のそれぞれに治めるべき国を与えるのですが、アマテラスという女の神を統治者から外すことや、男の神のスサノオに全ての国を任せるというような発想はありませんでした。しかも、アマテラスが任されたのは、「天地(あめつち)初めて発(あらは)れし時に」現れた原初の神々がいる高天原(たかあまのはら)の統治であり、天地(あめつち)を司る最高神となることを意味しました。
後にアマテラスはタカミムスヒという神と協働して、マツリゴト、すなわち祭祀(神々の声を聞くこと)と政(神々の言葉を伝えること)を行い、天地(あめつち)の秩序を作っていきます。タカミムスヒは正確には性別を持たない神なのですが、この関係が古代の村落共同体にも受け継がれ、祭祀(神々の声を聞くこと)は女が務め、政(神々の言葉を伝えること)は男が務めたと言われています。
図1 マツリゴトの世界観
アメノウズメ: 舞踊に秀でた女神が世界を救う
アマテラスが高天原(たかあまのはら)の統治を始めてからしばらくして、弟のスサノオがやってきて乱暴狼藉をはたらきます。怒り悲しんだアマテラスが岩屋に隠れてしまい、世の中が闇に閉ざされてしまう緊急事態が発生します。有名な「アマテラスの岩戸かくれ」です。ある神によって事態解決のための作戦が立てられ、腕力、言葉の力、占い・祭祀の力など、様々な能力や技術を持った神々が招集されます。
その中のアメノウズメという舞踊に秀でた女の神が、滑稽な踊りを神々の前で披露し笑わせ、岩屋に隠れたアマテラスを招き出すという重要な役割を担います。それにより、「私が不在なのに、どうして神々は楽しそうに笑っているのかしら?」と不審に思ったアマテラスが岩屋の戸から顔を出した瞬間に、腕力に秀でた神がアマテラスの腕をつかんでひっぱり出すことに成功したのです。
また、国として完成した葦原中国(あしはらのなかつくに)に神々が降り立つ際には、このアメノウズメは道中を守る従者の一人として任に当たります。途中、不審なものが道を塞いでいるという情報を受けて、リーダーの神がアメノウズメに、「お前は女の神であり武力で相手を倒すことはできないが、睨むことで相手を打ち負かす力を持っているので、道を塞ぐものの様子を探ってくるように」と命じます。
アマテラスを岩屋から引き出す作戦を立てた神がアメノウズメを始めとする固有の能力や技術をもった神々を登用したことや、このリーダーの神の命令は、男の神に限らず、女の神であっても持てる能力を活かそうという発想に裏打ちされていたと思うのです。
さて、『古事記』が書かれた時代、つまり天武天皇から桓武天皇(西暦680~780年)くらいの時代には、天皇の政務と日常の生活を支える仕事や、それに関連する行政の仕事には、多くの女性たちが官僚として職務に就いていたことが、これまでの研究で明らかになっています。
少し時代は下りますが、朝廷内の業務内容を職位ごとに細かく定めた文書には、「男性官人と共に考え図るように」や「女性官人と共に考え図るように」とあり、業務は男女共同の労働であったことが伺えます。また、「勤務評価等については、男性官人と同じ扱いとするように」との詔(みことのり、 天皇の命令)もあり、女性も勤続年数と業績評価によって管理職に登用されていたことも分かりました。中には、個別の技能と併せて指導力やリーダーシップなどが評価された女性もいたようです。(※2)
当時の朝廷が女性の官僚を男性の官僚と同等に扱ったのは、アマテラスが「祭祀」(神々の声を聞く)を行い、タカミムスヒが「政」(神の言葉を伝える)を行い、協働してマツリゴトを行った古代の村落共同体のあり方に基づくものだと考えたとき、この時代の天皇の政務や行政の場に女性は欠かすことができない存在だったと思えるのです。
日本には古来より「男女協働」の発想が織り込まれていた
いかがでしたか?
男女は協働し、女性も固有の能力や技術を発揮して、国造りに貢献していくというマインドと経験は、現代の私たちの精神の古層に織り込まれているのではないでしょうか。本来的には、日本の社会や文化はそれを実現しやすい素地を持っていると思うのです。戦後から続く男性を中心とした社会の仕組みは、大局的に見れば、一過性の特異な現象だったのかもしれません。
日本古来の男女協働の発想に立ち返れば、女性の働き方、女性のキャリアを取り巻く環境はきっとあるべき姿に向かっていくような気がするのです。
※1 『神話と日本人の心』(河合隼雄著、岩波書店)
※2 『古代の女性官僚 女官の出世・結婚・引退』(伊集院葉子著、吉川弘文館)