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何がカジヤ兄弟を育てたのか(死生観の宿る場所)

投稿日:2015/05/27更新日:2019/08/30

4262 種子島のタクローとヨースケ。カライモ(サツマイモ)ちぎり。

「生きるとは、死と直面して戦うことである。そこに真の生きがいがある」 (岡本太郎)

カジヤ兄弟は種子島に生まれた。

兄はタクローと言う。

星空を見ながら育った。ロケットの打ち上げを何度も見た。一瞬生き、一瞬で死んでいく「人間」という生き物は何だろうと考えた。

小学生の頃、農業を手伝った。サトウキビやサツマイモを育てるために、雑草を抜いた。農業は生と死の連鎖だった。

農業だけでない。種子島では畜産も盛んだった。人間が命をいただく。そのために家畜の命が育まれていた。

いつしかタクローには、独特の死生観が宿った。

宇宙の星々の中で一瞬生き、一瞬で死んでいく生物たち。その連鎖の中で生かされている、人間。

虚無感を感じた。

その虚無感と戦い、自身の「いただいた命」を使う方法を考えた。

種子島は、サトウキビと畜産の農家が多かった。しかしどちらも収益率の低い事業だった。

畜産を営んでいたタクローの知人は、救いのない生活に耐えられず、自ら死を選んだ。

タクローは衝撃を受けた。この社会を変えなければならないと思った。畜産農家がもっと幸せになれる仕組みがあるはずだと考えた。

タクローは慶應大学の総合政策学部に進学した。社会の問題を解決するために、個人がどう行動すべきかを教える学部だった。

大学に通いながら、タクローは日本各地の和牛農家を訪問した。共に食事し、寝泊まりして生活を体験した。家畜を殺して解体する食肉センターにも行った。街角の肉屋を訪問した。

さらにタクローは、オーストラリアの畜産農家を訪問した。悠悠と人生を楽しむオーストラリアの農家を見た。

日本の苦しむ畜産家が、もっと楽になる仕組みがあるはずだと思った。

それを知るためには、まずは組織が収益を叩きだす仕組みを学ばなければならないと思った。

タクローはGEに就職し、ファイナンスを学んだ。その後に、グロービスに転職した。MBAプログラムに通い始めた。

その時、東日本大震災が起きて、タクローの人生は転変した。

ボランティアとして、何度も東北の被災地を訪れた。同じように現地に入った仲間たちと語り合った。

自分の強みを活かして貢献したいと思った。

彼は自ら手を上げ、グロービス仙台校を立上げる責任者になった。東北のビジネスパーソンを輝かせるために、自分の命を使おうと決めた。

グロービス仙台校でクラスが始まった。タクローは多くのビジネスパーソンたちを集めた。中には、被災地で新しい事業を作るために起業家として奮闘している人も多かった。

熱い生態系が、東北に生まれた。

4262 21 種子島の大地に育てられた タクローとヨースケ

タクローには、弟がいた。ヨースケと言う。子供のころからひょうきんで明るかった。

種子島を出て東京の大学に行き、卒業後は楽器の小売店で働いた。お茶の水の店舗に勤務。圧倒的な商品知識を持っていた。

しかも店舗に立つだけでなく、YouTubeでギターを実演し、その魅力を紹介した。

おそらく日本で一番ギターを売った販売員は、当時ヨースケだった。

エラが張っているので、「エラさん」と呼ばれ、日本のギターファンの間では有名な存在となった。「2ちゃんねる」では「エラさん」について語るスレッドがいくつも立ったほどだった。

震災後、そのヨースケがお茶の水のお店から忽然と姿を消した。

「2ちゃんねる」の愛好者たちは騒然とし、「エラさん」がいないことを嘆いた。

「久しぶりに(動画を)観たけどやっぱりエラさんのインパクトはんぱねえ」
「本当エラさんは俺たちに途轍もないインパクトを与えて行ったよな」
「もはやレジェンド 」
「好き嫌いは別にして一度見たら忘れられねえもんな」
「グランジロックを進化させ新しいジャンルを開拓した人物だからな。」
(以上、2ちゃんねるより引用)

当時ヨースケの思いを知っていた人は、ギター愛好者の間でもほとんどいなかった。

ヨースケは、奥さんと一緒に仙台に転居していた。

グロービス仙台校に通った。ビジネスプランを描いた。ダイムラー日本財団のスタートアップ基金を手にした。

そして2014年11月に仙台の一番町で自身のギター・ベース販売店をオープンした。

そして2015年、津波の被害の大きかった女川町で、ギターの自社生産を始めようとしている。

「自分の販売力で一次産業の従事者を助ける事業を立ち上げたいと、震災の前から思っていた」とヨースケは語る。その志に、被災地への思いが加わって、今の計画に結実した。

被災地でギターを生産すれば、絶対にその地域を良くできる。そしてその仕事は、日本一ギターを売ってきた自分にしかできないと考えた。

明るく飄々としているが、決意に満ちた行動をとるヨースケ。

彼に死生観を聞いてみた。

「人間はすぐ死ぬものだと思っている」というのが、ヨースケの答えだった。

子供の頃、種子島でしばしば集落の葬式に参列した。死は日常的だった。

そんな経験がヨースケに、「自分もひょんなことから、明日死ぬかもしれない」という感覚を与えた。

特に悲壮感はない。ただ「使命感」はあって、ヨースケを起業家的な行動に駆り立てている。その使命感は、地域が育んだ「死生観」に裏打ちされている。

(参考)
梶屋陽介氏の店舗「GLIDE」のFacebookページ

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