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【古事記】むすひ、 万物生成を司るエネルギー

投稿日:2015/04/14更新日:2019/04/09

日本のことを「ものづくり大国」と呼ぶ日本人は多いと思います。戦後復興を成し遂げ、高度成長を牽引したのは確かに製造業の躍進によるところが大きかったと思います。さらに昔に遡れば、大陸を経由して伝えられた各種技術を積極的に取り入れ、日本の風土や気候にあった固有の技術に進化させるなど、ものをつくること、そのための技を極めることに対する日本人の情熱は計り知れないものがあったと、私は思っています。

その源流はどこにあるのか――。今回は、『古事記』に登場する「むすひ」という名前を持つ神々に注目してみましょう。

日本の製造業に受け継がれる“ものづくり”のメンタリティ

「むすひ」の神とは、「天地(あめつち)初めて発(あらは)れし時に」で始まる『古事記』の上巻冒頭に登場する、三柱の神のうちの二柱タカミムスヒカムムスヒのことを言います。天(あめ)と地(つち)が初めて現れたときに、一緒に現れた神たちでした。その後、十数柱の神々の登場を経て、イザナギイザナミの男女二柱の神が現れ、地(つち)に降り立ち、日本の国土となる島々を生み、石、雨、海、風、木、山、野、火といった自然現象の神を次々と生み出すことで、国土を形成していきました。

図1: 神々の誕生と国土造り

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そして、オオクニヌシに国造りに引き継がれたことは、これまでにも述べてきたとおりです。

参照:
【古事記】日本に強力なリーダーが少ない理由は?(前編)
【古事記】日本に強力なリーダーが少ない理由は?(後編)

『古事記』では、冒頭から数えて7番目までに登場する神は、男女両方の性を有しながら、現実の肉体を隠してあらわさない神とされ、その後は登場しません。しかし、タカミムスヒカムムスヒは例外で、この後も何度か登場します。例えばカムムスヒは、オオクニヌシの国造りを手助けするために自分の息子を派遣します。タカミムスヒは、天(あめ)の側を治めるアマテラスの参謀として登場します。第4回【古事記】日本的「話し合い」の底力で紹介した、アマテラスがオオクニヌシに国の統治権を譲るよう迫った際のことです。

江戸時代の国学者本居宣長(もとおりのりなが)は、タカミムスヒカムムスヒの二柱の名に表れる「ムスヒ」の「ムス」は、「うむ(生む、産む)」「むす(苔が生す)」「うぶす(産す)」など、生成をあらわす語とし、むすこ(息子)、むすめ(娘)なども、そこから派生した語と考えました。また、「ヒ」は霊力をあらわす語とし、「ムスヒ」は万物生成を司るエネルギーと考えました。

冒頭の「天地(あめつち)初めて発(あらは)れし時」に、万物生成を司るエネルギー「むすひ」の名を負ったタカミムスヒカムムスヒが現れたことで、イザナギイザナミといった国土造りを担う神々出現の素地を作った。その後、オオクニヌシが国の礎を固める、国を譲るといった新しい局面を迎えるときに、再度この二柱が登場することで、万物生成のエネルギーを与え、国のあり方を更新していった。宣長はそう考えたのです。

図2:葦原中国に対するムスヒの神の関与

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“ものづくり”は元来、魂を込める行為だった

その後、民俗学者の折口信夫(おりくちしのぶ)はこの宣長説をベースに、「むすひ」の神とは「むすび(結び)」の神であるとし、魂と肉体を結びつける呪術的な力を司る神として位置付けました。

水を「掬う(すくう)」ことを「掬ぶ(むすぶ)」ともいうように、「むすび」とは本来、両手を合わせて何かが外に洩れ出ないようにする行為と考えられていました。この「むすび」を行うことで、肉体の外側に存在する魂を肉体に込め、肉体の外に魂が洩れ出ないようにすることで、初めて人間が誕生する。折口はそう考えました。つまり万物生成を司る「むすひ」の神に、魂を植え付ける力を見出そうとしたのです。

宣長や折口のこれらの説は、様々な観点からなお検討の余地ありとされていますが、私自身は、日本人の“ものづくり”に対する特別な思いを説明するのに有効なのではないかと考えています。

子供のころ、母が手でにぎってくれたおむすび(人によっては「おにぎり」というかもしれませんが)と、お弁当用の三角の型に押しつけてつくったおむすびの味があまりにも違ったことが、気になっていました。母が手でにぎってくれたおむすびと比べて、型を押し付けてつくったものには味や風味といったものが感じられなかったのです。長い間、その理由をにぎりの強弱や味付けの面から、あるいは「母の手料理」という心情的な文脈から考えていました。ところが、宣長や折口の説に触れたとき、すとんと腹に落ちたのです。

「おむすび」とは、炊いたお米を手と手をむすび合わせることによってできるものです。その行為、所作から、私は本能的に「魂」が込められていると感じ、同じお米のかたまりでも、魂が込められた方を「おいしい!」と思ったのです。手と手を合わせてつくられたものには魂が込められることを実感した瞬間でした。

何かをつくるという行為は単に外側の物体をつくるだけではなく、必ずそこにつくり手の魂が込められる。そういう考え方を、私たち日本人は受け継いでいるのではないでしょうか。日本において職人の仕事に憧憬や敬意が集まるのは、このような理由からかもしれません。

現代のビジネスにおいて、何かをつくり魂を込めるという行為は特に製造業に従事する人々の矜持、こだわりとして受け継がれ、製品の高い品質や性能、それを実現するための高度な技術に体現されているのではないかというのが、今回の仮説です。

「むすひ」「むすび」の心を忘れないことが日本の競争力

しかし、アジア諸国や新興国のメーカーの台頭によって、性能や機能を絞り込んだ安価な製品が提供される。一方で、アップルのiPhoneやテスラモーターズの電気自動車ように、人々のこれまでの経験、習慣、社会のインフラを一変させる新しい製品が創造されている。世界の“ものづくり”は、猛烈なスピードで変化しています。

地道な技術革新と改善の積み重ねによる高品質な製品と手厚いアフターサービスを売りとしてきた日本メーカーの勝ちパターンは神通力を失い、各社の試行錯誤と努力が続いています。

その状況を脱するための新しい方法論は、まだはっきりと見えていません。ただ、「魂を込める」という「むすび」の視点を忘れてはいけないのではないかと私は思うのです。

戦後の焼け野原から数多くのメーカーが興り、日本を世界有数の経済大国に押し上げました。私たちの生活を、安全で、便利で、健康的で、豊かなものへと導きました。何もかもが足りない中で、そこに日本人の「魂」、あるいは「思い」が込められていたからこそ、道が拓けたのではないでしょうか。

今までとはずいぶんやり方が変わることでしょう。魂を込める対象も「製品」「物」という有形物に限らず、「サービス」や「おもてなし」という無形の価値にも拡大していくでしょう。ただ、社会や経営を取り巻く環境が変わる中で、太古から受け継がれてきた「むすひ」「むすび」の心を忘れないことが、日本人が日本人らしく、世界に向けて新たな価値を生み出していくための原動力になるに違いないと思います。

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