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ファッションを、もっと自由に。26億円赤字撤退からの“倍返し” —ジーユー・柚木治社長【後編】

投稿日:2014/01/27更新日:2021/11/29

柚木 治/ユノキ オサム

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株式会社ファーストリテイリング上席執行役員、株式会社ジーユー代表取締役社長

1988年3月一橋大学経済学部卒業
1988年4月伊藤忠商事株式会社入社
1999年1月GEキャピタル・コーポレーション入社
1999年12月株式会社ファーストリテイリング入社
2000年3月同執行役員
2002年9月株式会社エフアール・フーズ代表取締役社長
2004年5月株式会社ファーストリテイリング執行役員
2007年12月株式会社ユニクロ執行役員
2008年9月株式会社GOVリテイリング取締役副社長
2010年9月株式会社GOVリテイリング代表取締役社長
2011年9月株式会社ジーユー代表取締役社長

野菜事業で26億円の赤字を出し敢え無く撤退。出した辞表はオーナーの柳井正から“金を返せ”と突き返された。あれから10余年。その柚木治氏率いるファッション衣料ブランド「GU(ジーユー)」が気を吐いている。オンシーズンに低価格でトレンドを身に着けられるというコンセプトが若者を魅了したのだ——。孤高さすら感じさせるユニークネスと、多くの者の共感を呼び揺り動かすビジョン。一見、相矛盾する要素を兼ね備え、圧倒的な価値を生み出す“バリュークリエイター”の実像と戦略思考に迫る連載第3回後編(前編はこちら)。

売上高580億円、利益50億円(※取材時。直近に発表の2013年度業績は売上高837億円、利益76億円))。急成長を続ける低価格のファッション衣料ブランド「GU(ジーユー)」を率いる柚木治氏には実は、同社リーダーとしての登用を辞した経緯があった。前編ではダイエーなどGMSで単にユニクロより安い衣料を売るという事業モデルを脱し、ジーユーが独自の個性を身に着けた経緯を見た。後編ではその後の同社の成功の経緯と柚木のキャリアヒストリーを見ていく。

「ユニクロは優等生のお兄ちゃん。ジーユーはドジでやんちゃ、だけど可愛い妹」

柚木のポリシーは「迷ったら、怖い方を取る。走りながら猛烈に考える」。2011年春には、「beagirl」というファッションに訴求したカプセルコレクションを打ち出す。「カプセルコレクションっていうと意味がありそうでしょう。実際は準備期間が短くて小さく始めることになったんですけれども」と笑う。

同年秋には、AKB48の前田敦子を口説き落としてテレビCMの放映に踏み切った。この時、ジーユーの店舗数は150。本来なら店舗数が倍ないとテレビCMは割に合わない投資になるが、商品面だけでなく、広告宣伝面でも思い切ってリスクを取ったことになる。翌2012年春は、銀座に旗艦店をオープンし、知名度を一気に高めた。このシーズンも、ゆるパン、マキシワンピースなど「トレンドのど真ん中」を商品化し続けている。

その後は、モノトーンが流行った2012年秋には、CMキャラクターをきゃりーぱみゅぱみゅに変更。ファッション・モンスターに扮したきゃりーぱみゅぱみゅが、ダサい人をおしゃれに変えていくストーリーで、ブランドのコンセプトを広く訴求した。ユニクロの安い版は、全く別の新しいブランドに生まれ変わった。

ここまでに実現してきたのはトレンドのど真ん中をユニクロの半額で提供することによる、事業の棲み分けと新しい客層の掘り起こしだった。柚木に言わせれば「擬人化するならユニクロは超優等生で生徒会長のお兄ちゃん。ジーユーは少しドジでやんちゃだけど可愛い妹」といった具合だ。これは、商品コンセプトだけでなく、店舗運営にも当てはまる。ユニクロが店舗を移すと、跡地にジーユーが入ることが多いからだ。ジーユー初の大型店、大阪・心斎橋や知名度を上げるきっかけとなった銀座店は、いずれもユニクロの跡地だった。「お兄ちゃんの後をついていく」から、商圏のことを教えてもらえる。「家具も置いて行って」という代わりに店舗を居抜きで譲り受けるというわけだ。

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柚木の頭にはもう一つ、意識していることがある。それは「ファストファッションは欧米の専売特許ではない」ということだ。すぐに買える価格ですぐに着たいものを提供しつつ、日本的な可愛らしさを忘れない。このあたりへのこだわりは、ファーストリテイリング入社以前の柚木の経験やキャリアから生み出されたものだ。

自信に充ち溢れていた野菜事業時代。「額に“Iam優秀”と書いている感じ」

柚木は1965年、兵庫県で生まれた。実家が八百屋を営んでいたため、自営業の大変さは身にしみて分かっていた。大学を卒業し、新卒で大手商社に行ったのは「八百屋と対極にあったから」と振り返る。ペルシャ湾の油田プロジェクトなど、文字通り「対極」の経験をしながら、少し違和感を覚えていた。「僕は、ここにいてもいいのかな」。

転職先は外資系ファンドだった。M&Aマネジャーとしてアメリカ流の資本主義を目の当たりにして「すごく勉強になった。でも、やっぱり、僕は日本人」と思い、ファーストリテイリングに入社したのは1999年、34歳の時だった。順調に昇進し、翌年、執行役員に。そして2002年、野菜事業をやるため、エフアール・フーズの社長になった。

野菜事業を始めたのは、それなりの理由がある。生家で野菜を扱っていたことに加え、単身赴任が長かったことがある。美味しいもの、健康なものを食べられる生活に憧れた。そして、自分のように「安全で美味しいものを求めている消費者に、SPA(製造小売り)方式で野菜を作って売ればうまくいく」と考えたのだ。

もちろん頭を働かせるだけではなく、足でも情報を取りに行った。食品スーパーに12時間も立ち続けて買い物客の様子を観察したり、良い食材があれば自腹を切って妻と2人でアメリカに行って確かめたこともある。真剣に取り組んだものの「それでもユーザーの気持ちを読み切れていなかった」と振り返る。ビジネスモデルから逆算して行ったアイテム数の絞り込みがその一つだ。「旬の美味しいものだけを届けたら、主婦の仕事は回らない。ナスもトマトもキュウリも同じ店で買いたい。実際にはアイテム数を絞りすぎると店舗全体としての魅力が下がるし、加工食品もないとダメだった」。この体験で学んだことは、これまで以上に徹底して消費者の声を聞くことで実行に移している。

「家でも仕事の話をするタイプ」という柚木。今も休日は自宅に妻の友人たちを招き、ケーキをふるまって自社製品の感想を聞くこともあるという。かつて以上に現場の声を聞くことを重視。250店舗全てをまわり、店長の名前と顔は一致している。「現場にしか真実はないと思っています。落ち込んだり悩んだりした時、スタッフやお客さんに会うと元気になります。若い空気を吸収するために店に行くんです」。

首都圏の郊外店の店長は、連休前のある日、柚木と交わした言葉を、今も覚えている。「明るい色を着ていていいね、とスタッフの服を褒められました」。客層に合わせて店長も若い。入社1年目の社員が店長として、20名強のパート、アルバイトを取りまとめるのは、当たり前の光景だ。「スタッフが、自分の上司に褒められると嬉しい」というこの店長の気持ちに、正面から応えるように、柚木は動き、話す。

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野菜事業の社長だった頃と今では、何が一番、違いますか。尋ねると、こう答えた。「野菜事業の時は、自分を相当優秀だと思っていました。額に“Iam優秀”って書いてあるようなイメージです。でも今は『僕だけでは分からないから、教えて』と心底思う」。

インタビュー中、よく出てきたキーワードは「みんな」。野菜事業撤退後に「一生フォロワーとして生きていく」と思っていたが、しばらくすると、首をもたげてきた欲求があったという。それは「みんなで勝つことの楽しさ」だった。子どもの頃、ドッジボールで勝った時。高校生の頃、サッカーをしていた時。みんなで勝つことの楽しさをもう一度経験したい…そんな気持ちを内に秘めながら、ジーユーのリーダーになったのだった。

ある部下は、柚木を指して「一緒に始末書を出してくれるような上司ですね」という。一度、辞表を出したことがある柚木にとって、みんなで勝つために、始末書なんて怖くはないのだろう。

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