「聴く」に対する誤解を乗り越え、相互に信頼関係を構築していく

前編では、オンライン1on1サービス「YeLL」を展開するエールの篠田真貴子さんに、聴く力をどうすれば身に付けられるのか、1on1を効果的な場にするにはどうすればよいか等、お話を伺いました。後半は、グロービスの五十嵐苑子が聴き手となり、「聴く力」についてさらに掘り下げていきます。

聴くに対する誤解を乗り越えると、捉え方のレイヤーが広がる

五十嵐:お話ありがとうございました。さて、「聴く」に対する私の問題意識は大きく2つあります。

1つ目は、私自身いろんなメンバーと一緒に仕事をしている中で、「それ、もっと早く言ってくれればよかったのに」とか、別の方向から情報を聞いて「そんなこと一言も聞いてなかったよ」と思うことがあります。いわば、自分が聴き切れていなかったんだなという反省ですね。

もう1つは、自分がプロジェクトを担当している時に、お客さまの声を聴き切れていなかったという反省があります。「お客さまに本当に寄り添うというのはどういうことなんだろう」というのを考えたくて、企画しました。

篠田さんからお話しいただいた、聴くに関する誤解の、「聴くは従うである」「聴くのは受動的である」「聴くは怠慢。話さないと価値がない」については、私も含めて、大半の人が共感するところではないでしょうか。一方で、この誤解を乗り越えるのは結構勇気が要るというか、時間がかかるところだと思うんです。

篠田さんが誤解を乗り越えた先に得た変化は、仕事のやりやすさなのか、意味合いなのか、ご自身の存在価値なのか。「聴くを重視することによって、こう世界観が変わりました」みたいなものがあれば、共有いただければと思います。

篠田:世界がちょっと広がった感じはします。それは情報面と、自分の感情の面、異なるレイヤーで広がりがあるなというふうに、質問を伺いながら感じていました。

情報とか知的なところは、「言ってくれればよかったのに」とか、「聞いてなかった」ということがゼロにはなりませんが、以前の私よりは減っていると思います。それは、会話の中で相手が沈黙した時に、カットインせずに3秒我慢したことで、相手が「それから」と話を続けてくれたことで、「それからがあるのね」と分かったこともあります。そして、その1回のじっくり話を聴く機会を持ったことで、お互いの信頼関係が深まって、その後のチャットベースでもスムーズなやり取りになり、日常のコミュニケーションロスが減ったという面もあります。

感情的な広がりは、どちらかというと私の主観の問題です。「相手に誠実でいようとしている」ということに関して、以前よりちょっと自信が持てているのかもしれません。

私が「良かれ」と思うことと相手の方の考えは、他人だからずれることが多いわけですが、仮にずれていた場合に、以前の私だと「何それ、私の話をなぜ聞かない」と、つい感情面で入りそうなのが、「それもあるかもね」と、ちょっと緩和されている。「私はそこまで踏まえられなかったけど、その方が今いる環境からするとそういう捉え方になるのね」というように、起きるコンフリクトを自分のせいに過剰にしすぎず、ちょっと客観視して「なるほど。じゃあどうやっていこうかな」という考え方になった。そういう、感情的なロスが減るという意味での広がりがあるような気がします。

五十嵐:情報面は、リモートワークの環境でも活かせそうですね。非対面だと相手との距離感がつかみづらく、沈黙が怖くてしゃべり出してしまうことありますよね。沈黙を恐れず、「まだ何か抱えているんじゃないかな」と、表情や合間を読み取るというのは、リアル・オンライン問わずに取り入れられることだと思いました。

感情面についても、客観視する点は、なるほどと思いました。というのも、グロービスは、年齢、性別、職歴など、多様なバックグラウンドを持つメンバーの集まりであるため、価値観の衝突は「あって当然」というのが前提としてあります。「どちらが正しいか」ではなく、主観は一旦横に置いて、客観的に見るというステップが広がりをもたらすのですね。

議論のフェーズで「聴く」と「仮説検証」のモードは変える

五十嵐:われわれはコンサルティングという仕事柄、お客さまに対して仮説を持った上で対談、面談に臨むことが多くあります。面談において、仮説検証モードで臨むのと、徹底的に聴こうというモードで臨むのだと、全然アウトプットが違うと思います。

丸腰のまま「さあ、何がお困りですか」といっても、意見がなかなか出てこない。仮説を持った上でも、モードとしては「聴く姿勢」がよいのか、あるいは「仮説検証モード」と「聴くモード」をミックスしながら面談するのがいいのか、モードの使い分けについて、ご経験や考えを教えていただきたいです。

篠田:プロジェクトのどのフェーズで、どの目的で、いま会っているかによりますよね。例えば、「このサーベイを仕上げるために、ここのところを聞かなきゃ」くらい具体的な話であれば、主に仮説検証モードのみがいいんでしょう。

一方、もうちょっと広く、「そもそもの課題は何なのか」という課題設定をしようとするタイミングでクライアントと対話を重ねる場合は、「仮説を持たないで聴きに行く」は駄目だと思います。それは、誤解が正解になってしまうケース。相手が話したいことをしゃべり、こちらは「はあ、そうですね」と言って帰ってくるだけになり、課題も論点もなんだかよく分からなくなってしまう。

課題設定をするフェーズでは、何らかの仮説、あるいは仮説に近いものを自分の中に持っておいたほうが対話は深まる。けれども、仮説は持っておきつつ、最後まで言わなくてもいい。自分の脳内でひたすら相手の意見と照らし合わせて、ちょっと質問してみる。

あと、「この人自分の仮説と全然違う話をしている」と感じたら、「実はこういうことかなと思って、ざっくりこんな仮説で来たんですけど、全然違いましたね」というふうに裸になっちゃうと、結構教えてくれたりします。

五十嵐:「これが御社の課題でしょう」というのを最初から出すのではなく、聴いて、聴いて、聴いた上で、自分の中で解釈しきれなかったところとか、自分の見解と違ったところを出してみると。

篠田:あるいは同じところも「こういうことだと理解したのですが、合ってます?」みたいな答え合わせをしたりします。やっぱり課題はクライアントの中にあるわけですし、クライアントさんが、最終的には自分で解決しないと駄目じゃないですか。

もちろん皆さんは課題解決のお手伝いをする仕事をされていますし、私もかつてしていましたし、今のエールもある意味そういうお仕事です。課題設定が多分一番難しいフェーズだからこそ、外部の知見が最も価値を生むのも課題設定のフェーズだと思うんです。そういう意味でも、仮説はあったほうがいい。

でも「こちらの仮説が正解であんたが間違っている。だから言うことをきけ」というのだとちょっと違う。「一緒に課題を見つけていく」ということを私は大切に思っているんだなと、五十嵐さんの話を伺い感じました。

五十嵐:「仮説検証型の聴き方」と、「相手の話を聴き切る」を使い分けるというよりは、うまくミックスしながらその時その時で聴き方を変えるという、そんなイメージですね。

篠田:そうですね。あとは、きっと何回か面談は重ねるんでしょうから、初めのほうではかなり聴くモードになっていて。だんだんこちらの仮設に確信が出てきたら、「今日私から話してもいいですか」という感じにして、5分10分でざっくり「こういうふうに見えるんですけど」といって、あとは相手の話を聴く。

「ちゃんと聴いてくれる」と思えると安心感が生まれる

五十嵐:クライアントとの面談に限らず、1on1の場合でもそうですけれども「今日はこういう形で聴かせてください」とか、「今日はあなたの意見を聴きたいんです」といった事前のこちらの設定や、お互いの期待値のすり合わせというのも必要なのかなと思います。

篠田:先日「聴く」に関する話をある高校で、ちょっとしたワークショップを実施しました。普段一緒にワイワイやっているお友達同士でのペアワークだったのですが、その感想の中に、「1分間自分の話をちゃんと聴いてくれると思って話すと、普段話しているのと全然感じが違って安心」というのがあったんです。それはビジネスの現場で、われわれ大人にも当てはまることではないでしょうか。

五十嵐:「1分間あなたの話を聴きます」というだけでちょっと信頼感というか、安心感があって、「今日は聴いてくれるんだ」というので話したくなるという、そういうことですね。場の設定、場の位置づけをちゃんとお互いに合意するというのが、すごく重要ですよね。

先ほどのお話の中で、最終的には自分の弱さと向き合うとか、知的誠実さという言葉がありましたが、「自分が正しいわけではない」「自分が聴きたくない意見も聴く」、そういう姿勢や心構え、覚悟みたいなものが必要なのかなと思うのです。それは人間として崇高というか、達観していく高いレベルというイメージがあります。しかし、われわれとしては聴く力をもっと高めるために、トライ&エラーでスタートしていくしかありません。

篠田さんから「失敗してもいいから頑張りましょう」というエールをいただけるとありがたいです。

篠田:おっしゃるとおりです。そんなことができたら宗教家として、開祖にでもなったほうがいいわけなので。われわれ一般人には非常に高い目標です。私も毎回それができているかというと、全くそうではない。

やはり自分が人間として成熟していきたい、プロフェッショナルとしても自分を高めていきたいということに照らしたときに、この目標というのは一生到達しないんでしょうけど、自分には常にリマインドをしますし、したいなと思っています。

すごく大変なので、むきになって反論してしまったり、相手が何を言っても心のシャッターがガラガラと下りることはしょっちゅうです。落ち着いて独りになった時に「あれは…」と思ったり、議事録をまとめている時にだんだん整理されてきて「そういうことをしちゃっていたのか」と思ったりします。最近だと、Zoomの打ち合わせは録画できるので、後で見返して「あの時、相手はこういう視点で言っていたのに、やっちゃったな…」みたいなこともあります。

そういう場合は、議事録やお礼のご連絡の中で、「あの時は申し訳ございません、勘違いをしていたと思います。こういう意図で言ってくださったんでしたね」というふうにお返しする。その場では難しかったことは、後で挽回できると思って自分を慰めています。

五十嵐:それも誠実さの表れですね。友達との喧嘩、それこそ夫婦喧嘩も一緒なのかなと思います。善くあろうと思っても、どうしても人間なので感情的にカチンとくることはあるし、ちょっと頭を冷やしたら自分の落ち度に気づく。そこで相手に謝れる人と謝れない人では、全然その先が違うんだろうと思う。そこでちゃんと正直に自分の感情と、なぜそう思ったのかを相手に話せる人でありたいなと思います。

篠田:そうありたいですね。私自身は、実際はほとんどできていない気がしますけれど。ただ、自分の意地みたいなものを「自分がどういう人でありたいか」に掛けることで、結果的にいい人に少しずつ近づけるのではないかと考えています。よいというのは、善人ということもあるし、プロフェッショナルとしてより効力があるものになれるんだったら、その目標は自分に課しておきたいなという感じです。

五十嵐:たぶん、その最後のアクションがあるかないかで、相手との信頼関係が縮まるのか広がるのかの境目になるのでしょうね。

【質疑応答】

質問者1「聴くけど対応する気はさらさらないよ」という部分についてもう少しお伺いしたいです。これは、篠田さんが大事にされている知的誠実さと一見矛盾するように聞こえます。どうやって「聴く」ということを使い分けているのでしょうか。

篠田:おっしゃるとおりです。これはロジカルに1つの統合された理論でつながるというものには、私の中ではまだ至っていません。

その上でまず、私の事例でお伝えします。前職で自分は管理部門を見ていたのですが、上司と部下の関係性の中で、部下の希望や悩みを聴くという場面です。「みんなが経理で売掛金をやりたいというと、買掛をやる人がいなくなっちゃう」、そういう話のレベルです。そこにおいては、「分かった。みんな売掛やりたいのね。だけど同時に、会社としてはこれ全部やらなきゃいけないから、どうする?」という形で、もう一回渡し返す。

そうすると例えばチームの中で、「じゃあローテーションにします」とか、何かアイデアが出てきます。そうやって「みんなの希望はここにある。でもみんなの共通の課題はこっちだよね」という意味でのフレームを渡すことを自分が心掛けることでつじつまを合わせていく、こういうことかなと思っております。

質問者2人の話をガンガン切るタイプです。時間的な余裕があれば最後まで聴きますが、例えば時間内にある論点に対して結論付けなければいけないのに、論点から少し遠い話題が始まった場合は、途中で切ってしまいます。「聴く」と「時間内に論点を整理する」のバランスはどのように考えたらよいでしょうか。

篠田:ありますよね。これもちょっと場面次第ですけれども。もうそれまでの経緯の中で十分議論が尽くされているな、あるいはその人の話は個別に聴いていて互いに信頼関係ができているなと判断した場合は、私も同じようなことをします。「ちょっとその話は後で聴かせてもらっていい?」みたいにして。完全に無視というよりも、「ちょっと時間を分けようか」「今この話でいいかな」というふうな整理はしているかもしれません。

一方、私のほうに「これは最終的に話がどこへ向かっても、こうやって着地させることができそうだ」という自信がある場合は、むしろわざと自由に話してもらうこともあります。ちゃんと聴いて、脳内で「これは関係のない話かも」と思いながらも、「なるほど。そういう点もあるね」と。

これは、ばかにしているとかではなく、相手の方は良かれと思って話している、相手の肯定的な意図を信じて、相手の方が何を理解して、何を気にしているかを、知りたい。この話はジャッジの目的には有用ではないかもしれないけれど、その後の関係性にはすご大事なヒントになるなと思って聴いています。

質問者3上司と部下の1on1のシチュエーションにおいて、先ほどの「聴くけれども従う気はない」というのは、難しいと思います。部下としては、話したからには何か受け止めてほしい、何か変えてほしいと願っていると思うので。篠田さんはどうやってフラットな関係を築いていらっしゃるのでしょうか。

篠田:なるほど。そこは、なんで部下の方の思いを聴くのかに対しての期待値のすり合わせが大事なんだと思いました。上長が「何をしたい」とか、「どういうことに興味があるか」を聴くのは、もうちょっと長い期間をみたときに、部下の方の動機があるところで仕事を生み出せたらいいなという希望が明確にあります。そういう意味では、ぜひ聴かせてほしいです。それが同時に「あなたのためだけのチームではないので、全体の目的と他の人たちの関係性がある中でどうしたいのか、というのは分かるよね」という期待値も同時にあります。

だから私が上長のときは、そのベースラインはまず共有したいなと思います。その上で何かその方の希望とか動機をいかす仕事はどんなことなのか一緒に探しますか、というのが基本スタンスです。

でも短期的には、ラグビーの中竹さんもおっしゃっていたように、「とはいえ、今このポジションを本気でやってね」というところです。ここが合意できると、意外と今の持ち場でも、その方が自分の動機や得意をうまく埋め込む仕事のやり方を編み出したりできるので面白いんですよ。そんな感じです。

質問者4:成熟した人間になりたいという願望を持ったときに、自分が掲げた目標に対して自らをどう導くのかという話があると思います。自らを導く時、心のコントロールという内面的な話もあれば、情報とか知恵とかナレッジを増やすことで自分の認知を広げていくという方法もあります。内面性と情報、感情と知性のバランスについて、どのように考えているのか教えてください。

篠田:すっきりした答えはないのですが、2年くらい前に読んだ本をご紹介したいと思います。

元々は英語の本で、日本語の翻訳タイトルが『あなたの人生の意味』。タイトルだけ見るとややスピリチュアルっぽいんですけれども、そうではありません。著者の方はデイヴィッド・ブルックスというアメリカの政治評論家で、割と保守寄りなんですけれども、ウォールストリートジャーナル、ワシントンポスト、ニューヨークタイムズなど、メジャーなメディアで政治評論をしながら、ご自身の本も書いている方です。この本の基本的なフレームワークが、今のご質問の答えになっていくかと。本の内容は、元々はユダヤ教の司祭の方が言った話のようです。

まず、人間性には2面あり、それを「アダムⅠ」「アダムⅡ」と呼んでいる、と。アダムⅠはこの世の成功を求める、功利的に動く自分。アダムⅡは、より人格者であろうとする自分。この2つは、力学が真逆になることがあります。

アダムⅠは、私の成功を願う。「もっと昇進したい、もっとクライアントに褒められたい、もっといい会社、いい学校に入りたい」です。成功は是なんです。アダムⅡは、成功は必ずしも是ではなく、失敗して、その失敗の痛みから何をつかむかが人への成熟になっていくので、実はちょっとベクトルが違ったりする。

象徴的な問いとして、アダムⅠというのは、「私は人生で何を成したいのか」。アダムⅡのほうは、「人生は私に何を問うているのか」。このかなり方向性が違う2つとも、人間の成熟をドライブする駆動力としては大事で、「矛盾するけど両方を持つんですよ」というのが教えです。

この本の問題意識は、そういう知恵がアメリカの中には、永々とあったのに今はどうだろうか、ということです。1940年ぐらいのラジオ番組の事例を出して、実際アダムⅡの態度がアメリカの中でも強く見られたのに、現代のアメリカは、アダムⅠの功利的なものばかりが礼賛されているという問題意識のもと、このアダムⅡの側とはどういうことなのかを、いろんな事例で示した本なんです。

この考え方を知って、2つ目の観点というのが、自分のこれまでの意識では決して十分ではなかったと思いました。「人生は私に何を求めているか」というのは一見受動的ですが、それをちゃんと考えようと思うと、かなり広い視座が必要なんです。「いま社会はどう動いているのか」とか、「私はいま直接知らないけれども、実はこういう問題があって、こういう痛みを抱えた人がいる」とか、そういうことまで分かった上で、「この社会がよりベタープレイスになるには、小さな力かもしれないけど、自分の身をどこに置くのがいいのか」という問いだと思っているんです。

それをちゃんと自分に問うには、いろんな知識、見識が必要です。「そういうことなんだな」「そういうふうに自分を磨いていきたいな」と今は思っています。

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