■NFLのフィロソフィー
〜Parity(戦力均衡)〜
スポーツの魅力とは最高のレベルで戦力の均衡したチームが繰り広げる競争状態である
(NFLジャパンのホームページより)
米国No1スポーツを支えるParityという理念
本連載では、これまで個別企業の理念やビジョンについて触れてきた。今回は、一企業を超えた「業界」に相当するコミュニティの理念について紹介する。「国対国」「市場対市場」といったコミュニティ間、社会システム間の競争が注目を浴びる昨今、何らかのヒントを得られるはずだ
今回取り上げるのは、米国のプロフットボールリーグNFL(NationalFootballLeague)である。日本では大リーグ(MLB)や欧州サッカーに押されて人気の面では苦戦気味であるが、米国ではアメフト、バスケ、野球、アイスホッケーという4大プロスポーツの中でも、最高の人気と収益性を誇っている。
マスメディア(特にテレビ)の有効活用や、コミッショナーの卓越したマーケティングセンス、数度にわたる競合リーグとの切磋琢磨など、リーグが繁栄してきた背景としてさまざまなことが語られるが、その中でも最も重要な要素が「Parity(戦力均衡)」に対する徹底的なこだわりである。
私事で恐縮だが、筆者は四半世紀に及ぶNFLファンである。NHK-BSやGAORAの放映、もちろんインターネットもない時代から、専門誌や民放の深夜放送など、いまから思えばとてつもなく限られた情報に群がっていたものだ。「ジョン・リギンズやジョー・サイズマンの頃からのレッドスキンズファン」と言えば、分かる人には分かっていただけるだろう。本サイトの書籍紹介コーナーでも以前、NFLヘッドコーチの書籍を紹介した。
面白いもので、マイナースポーツ(もちろん日本での話だが)のファンになると、1つの特定チームではなく、リーグ全体について強い関心を持つようになる。そしてそれはプレーだけに限定されず、リーグ運営の仕組みや哲学といった部分にも及ぶことになる。筆者自身、そうした中で分かってきたのが、冒頭にも触れた、信仰的ともいえるまでのNFLのParityへのこだわりだ。
Parityを具現化する仕組み
NFLは具体的には、以下の施策によってParityを実現している(他にも細かな工夫はあるがここでは割愛する)。
1.RevenueSharing(レベニューシェアリング)
2.HardSalaryCap(ハードサラリーキャップ)
3.WaiverDraft(ウェーバー式ドラフト)
4.CommonOpponent(コモンオポネント方式)
1のレベニューシェアリングは、例えばリーグがテレビ局と結んでいる放映権料を各チームに公平に分配するというものだ。2のサラリーキャップは、1チーム当たりの選手の給与の総額に一定の枠をはめるものであり、NFLは米国のプロスポーツリーグの中では最も厳格に(ハードに)これを適用している(プロバスケットボールのNBAにもサラリーキャップはあるが、NFLに比べるとかなり緩い)。この二つの施策により、MLBとは異なり、大都市の金満チームだけが優勝候補、という事態を避けている。
3、4はParityのスピードを速めるための施策だ。3のウェーバー式ドラフトは、前年度の成績が悪いチームから優先的にアマチュア選手のドラフトの選択権を得る仕組みである。直接支配下のマイナーリーグを持たず、カレッジの有力校がトッププロスペクト選手の供給源となるフットボールの世界にあって、上位の選択権を持つ意味はベースボールに比べると極めて大きい(ちなみに、NFLはMLBにおよそ30年先駆けてドラフト制度を導入している)。
4のコモンオポネント方式は、試合数の一定部分は、地区最下位チームなら地区最下位チームと、地区優勝チームなら地区優勝チームとなど、前シーズンの成績が近いチームとの対戦を割り当てるものだ。この二つの施策によって、弱かったチームでも早期に勝利を稼げるようになるし、また何よりシーズン中に点数が拮抗したクロスゲームが増えるようになる。
よく考えられた仕組みだとは思うが、筆者が最初にこれらの仕組みを知ったときに感じたのは、「アメリカらしくない。まるで社会主義のようだ」という印象である。競争の自由を保証することこそがアメリカの精神ではなかったのか?なぜここまでParityにこだわるのだろう?
確かに、コンタクトスポーツ(身体の激しい接触を伴うスポーツ)であるフットボールは、少しの体格差や能力差がワンサイドゲームを生み出し、試合の興をそいでしまうという側面はある。選手も危険だ。ボクシングが体重別にしないと成り立たない、ということを考えれば、Parityのある程度の必然性もわかる。しかしそれだけが理由ではない。
理念そのものが差別化の源泉
ここでもう一度「競争」について考えてみよう。すぐにわかることだが、NFLはMLBやNBAとも競争しなければならない。特にMLBはプロリーグに関して言えば先行者でもあるし、事実、1950年代まではMLBの人気のほうがNFLを上回っていた。先行者に勝つためには何が必要か。そうしたスポーツ間、リーグ間の競争戦略を考えた結論が、一見、自由競争からは遠いように見えるParityへのこだわりなのだ。
つまり、リーグ全体の繁栄を図るために、戦力は均衡化し、好試合が生まれる下地を作る。そして、その環境の中においては、徹底的に激しい競争をする。それがより高い視点で見たときに、リーグだけではなく、チームや選手、ファンにも恩恵をもたらす、という発想である。あるレベルでの競争の制約が、より魅力的な競争を生む、というパラドックス的な発想ともいえる。なかなか出てきにくい発想であるが、「必要は発明の母」だ。コンタクトスポーツと言う特性、米国における他スポーツとの競争環境が生んだ一つの答えだったのだ。
面白いのは、大きな社会システムを運営するときの理念は、通常の企業の経営理念以上に、ダイレクトに戦略に結びつくという点だ。理念そのものが差別化ポイントとなり、顧客を始めとするステークホルダーをひきつける。アメリカやシンガポールといった国家レベルの事象からも、それは再確認できよう。
さて、話をNFLに戻すと、先述したこだわりや施策が本当にうまく行くかどうかは、なかなか思考実験だけから証明することはできない。長年の実践による仮説検証が不可欠だ。ただ、現在のところ、米国におけるNFLの隆盛を見る限り、さまざまな紆余曲折はあったものの、このParityへの徹底したこだわりは、正解だったように見える。そして、その成功が、ますますParityへのこだわりを強いものにしているように見える。
しかしその一方で、欧州や日本といった巨大な市場になかなかNFL人気が浸透していかないという現実もある。アメリカンフットボールというスポーツになじみが薄いと言う理由もさることながら、海外のファンにとっては、ダイナスティ・チーム(長期にわたって君臨し続けるチーム)やスター軍団が生まれにくい仕組みが逆に弱点になっているという側面も指摘されている。サッカーにおけるマンチェスター・ユナイテッドやレアル・マドリード、野球ではニューヨーク・ヤンキース、バスケットではジョーダンのいたころのシカゴ・ブルズといったビッグクラブ、有名チームが海外でも大いに人気を博していることを考えれば、その意見も一理ありそうだ。
ある理念やそれを支える仕組みは、ある特定の環境下においてはじめて機能する。いついかなる場合にも有効となる理念や仕組みは存在しない。おそらく、NFLの理念や仕組みをいきなり欧州サッカーや日本のプロ野球に応用しようとしても、おそらく成功しないだろう。どのような条件が揃った時に、ある社会システムがその理念とあいまって繁栄するのか、そしてそのアキレス腱は何なのか、ぜひ多面的な視点を持ちながら考えていただきたい。そうした思考訓練は、企業の理念や仕組みを考える際にも必ず応用可能である。
そして同時に、皆さんの属するコミュニティや社会システムが、すぐれた理念と仕組みを持っているか、言い換えれば競争の軸を持っているかもあわせて考えていただきたい。もし持っていないなら、その構成員として、どのような行動をとるべきなのか、当事者意識をもって考えていただきたいと思う。グロービスが生み出したいリーダーは、ビジネスだけに閉じたリーダーではなく、世の中に良きインパクトを積極的に与えるリーダーだからだ。発言や行動がなければ何も変わらない。ぜひ、現時点で皆さんなりにとれるアクションをとっていただきたいと思う。
最後に、NFLの重鎮であった故ラマー・ハント氏の言葉を紹介することで本稿を締めくくろう。同氏は名門カンザスシティ・チーフスのオーナーとしてだけではなく、リーグ運営のご意見番としても活躍した。彼は言う。「理想は、各チームが8勝8敗の成績でレギュラーシーズンを終えることだ。もちろん、チーフスの優勝を願ってはいるが、それでも全チーム8勝8敗となることが理想の姿なのだ」。
先に、NLFのやり方をそのままプロ野球に持ってきても成功はしないだろうと書いた。それでも某プロ野球球団の関係者にぜひ聞いていただきたいセリフである。