■ビジョンスローガン
やがて、いのちに変わるもの。
人が泣いています。人が笑っています。人と人が出会い、人と人が恋をし、
結ばれ、子供が生まれ、育ち、ふたたび新しいドラマが始まってゆく。
人は歌い、人は走り、人は飛び、人は踊り、絵を描き、
音楽を生み、壮大な映像をつむぎ出す。
食べものとは、そんなすばらしい人間の、一日一日をつくっているのです。
こんこんと湧き出す、いのちのもとをつくっているのですね。
私たちがいつも胸に刻み、大切にしているのは、その想いなのです。
どこよりも安全なものを。どこよりも安心で、健康で、おいしいものを。
やがて、いのちに変わるもの。
それをつくるよろこびを知る者だけが、「限りない品質向上」を
めざせる者であると、私たちは心から信じています。
ミツカン商品にみる進取の気性
愛知県に本社を置くミツカンは、200年以上の歴史を誇る老舗食品会社であり、筆者も昔から注目していた企業だ。もともと興味を持ったのは、その事業展開のユニークさである。ミツカンというと、「お酢」や「みりん」関連の商品を想起される方も多いだろうが、実は、ミツカンの商品は一般の消費者が想像する以上に多岐にわたっており、例えば以下のようなラインナップを擁している。
・「おむすび山」シリーズ(ふりかけ)
・「味ぽん」シリーズ(調味料)
・「金のつぶほね元気」シリーズ(納豆)
・「金のつぶにおわなっとう」シリーズ(納豆)
中には、「これってミツカンの商品だったの?」と思われるものも多いだろう。これは、ミツカンが商品ラインの拡大にあたり、「酢」のイメージとの連関を和らげるために、「企業ブランド」ではなく「商品ブランド」を前面に打ち出すマーケティング政策を採用していた結果でもある。
ミツカンの特筆すべき点は、単に商品ラインを拡大してきただけではなく、クリエイティブな商品を他社に先駆けて生み出したり、海外進出にも積極的に取り組むなど、進取の気性に富むことだ。メーカーが海外進出すること自体は珍しいことではないが、自動車や電化製品などとは異なり、習慣や嗜好が国ごとに大きく異なる「食」の分野では、日本企業の海外展開は決して容易ではない。
例えば、クリエイティブな商品としては、「金のつぶにおわなっとう」がある。多角化の一環として納豆事業に取り組んだミツカンは、「納豆が臭うのは当たり前」という業界の常識にチャレンジし、ニオイの成分を出さない納豆菌を発見、商品開発につなげた。
最近はまた、「納豆のパックにタレ入りの袋と納豆を覆うフィルムが入っているのは当たり前」という常識を覆し、タレをゼリー状にし、フィルムも取り除くことで、「手を汚さずに食べられる納豆」として「あらっ便利!」シリーズを展開している。海外展開について言えば、2008年現在、世界11カ所に拠点を持っている。
言葉の力が人を動かす
こうした進取の気性、チャレンジ精神は、ミツカンのDNAとも言えるもので、現社長の中埜又左エ門和英氏(「又左エ門」は歴代社長に世襲されている)をはじめ、これまでの経営者が常に奨励してきたことでもある。そのミツカンが、創業200年を機に、2004年に新たに策定したのが冒頭のビジョンスローガンだ。非常に興味深いものだが、筆者が特に興味を持った点を二つ挙げよう。
第一に、改めてチャレンジや創造性を明示的にうたうのではなく、「安全、安心、健康、美味しい」「品質」といった、顧客や世の中に対して創造したい価値を打ち出した点だ。もちろん、ミツカンがチャレンジや創造性を軽視しているわけではない。
(競争が激しい食のビジネスにおいて)こうしたビジョンを実現するためには、自ずとチャレンジや創造性が求められる——それは言わなくてもわかるだろう、という「大人の対応」と、チャレンジや創造性という言葉が往々にして顧客視点ではなく自己満足に陥りがちな点を意識しているように思われる。まずは顧客や社会に対する価値提供、それが実現できれば、自ずと数字や自己実現もついてくるという発想をそこに感じる。
第二に、「いのちにかわるもの」という印象深い言葉だ。人間、誰しも世の役に立ちたい、意味の大きな仕事をしたい、という根源的な欲求がある。その際、関わっているビジネスをどう定義づけするかは非常に重要だ。例えば、土木業であれば、「人々の生活のインフラを作る」という表現もあろうが、「地球の彫刻家」「地図と歴史に残る仕事」のような表現のほうが、人々のそうしたニーズに訴えかけるだろう。
ミツカンのケースでは、「泣く」、「笑う」「出会う」「恋をする」……と人生の素晴らしさを描き、その命の根源となっているのが我々の商品だという表現をとっている。
これをレトリックの問題と考える人もいるかもしれない。
しかし、人を動かすのはやはり「言葉の力」である。筆者は、個人的に、ミツカンのスローガンは「言葉の力」という観点でよく練られていると感じる。ビジョンステートメントのような重要な文章において、この練り込みが重要なのは論を待たない。
こうした新しいビジョンをバックボーンとしつつ、ミツカンがこの激動の時代をどう乗り切っていくか、今後とも注目したい。