JR九州、危機を乗り越えるリーダーシップVol.3 多角化戦略が導いた成長する組織

第1「脱・国鉄の組織変革」第2回「新規事業に挑む」では288億もの営業損失を抱え、危機に陥ったJR九州が多角化という手法で経営を立て直してきた様子を見てきました。第3回では、いよいよ本業の鉄道事業において行った大改革を取り上げます。そこから我々は「どのように組織の能力を拡張していくか(オーバーエクステンション)」を学ぶことができます。

軌道に乗り、事業規模が拡大していく多角化戦略

JR九州は、1991年の中長期経営計画として「アクション21」というプランを策定しました。当初、余力人員の活用を目的に新規事業に注力しましたが、いくつか事業が育ち始めたことで、その段階から脱却し、自立可能な事業展開を図ることを重点課題に置いたのです。新規事業から育ってきた3つ「開発事業」「流通事業」「新規サービス事業」を「新鉄道業」と位置付けました。こうして本業の運輸事業と、新規事業とが好循環で事業を成長させるようになりました。

創業当初に控えていた駅ビル開発のような、投資規模が大きい事業も少しずつ推進していきました。九州各県で大型駅を新たに建築したり、リニューアルを行ったりし、駅としての機能に加えて、時間とお金を消費できる場へと発展させていったのです。

沿線では住宅地やマンションを開発する住宅事業を広げていくことで、運輸事業との相乗効果も目指しました。駅や線路を作る鉄道会社として一級建築士が多数在籍しており、住宅事業を展開することで、その人的資源を活かすことにもつながります。

鉄道会社の住宅事業と聞くと、保有していた土地の再開発というイメージがあるかもしれませんが、JR九州では新たに用地を取得して開発を行っていきました。加えて、デベロッパー任せではなく自前で商品企画や設計を行っていたため、ヒトや時間のリソースを割かれ、事業成長のスピードはなかなか上げることができませんでした。1988年に始まったマンション事業の販売物件は、9年間で7物件に留まっています。

しかしながら、この苦しい期間に少しずつ知見を貯めたことで、用地取得について短期間で判断できる仕組みが整ってきました。その後、商品企画と販売力が成長したことで、販売戸数も順調に増えていきました。現在ではJR九州が手掛ける「MJRシリーズ」は九州トップクラスの供給戸数(20年3月期で分譲マンション引き渡し戸数累計7,564戸)を誇る人気ブランドへと成長を遂げています。

多角化戦略の中から他にも事業として成長するものが出てきました。JRグループの中で初めて取り組んだ日本と韓国を国際航路で繋ぐ船舶事業もその一つです。1991年に就航した福岡~釜山間の高速船事業は、そのスケールの大きさから、プロジェクト段階では無謀とも言われていました。

就航を決めた当時のことについて現JR九州会長の唐池恒二氏が著書の中で振り返っています。

「福岡と釜山はたった200キロしか離れていないが、その間には、荒海で名高い玄界灘がある。一万トンクラスの大型フェリーでも荒れた玄界灘を渡るのはたやすいことではない(中略)その海路に、フェリーよりもはるかに小さな高速船を投入することは当時の常識からは無謀そのもの。船の経験者は、こぞって反対した」

ビートルと名付けられた高速船は福岡と釜山を約3時間で結びました。当初、社内には船舶事業に詳しい人材は一人もいませんでした。そこから始め、難関を乗り越えての就航です。しかしながら、1991年の就航時には集客に非常に苦戦し、赤字の期間も長く続きました。その後、旅行会社との商品開発や日韓の様々なイベントを契機に利用者は増加し、2000年についに初の黒字を達成します。

同航路は、就航から年間約20万人が利用し、2020年までの約30年間の累計で650万人を超える人が利用しています。残念ながらコロナ禍で運休となり、現在は厳しい状況下にありますが、JR九州が手がけた船舶事業は日韓の往来活性化に大きく貢献しました。

1987年の初年度には約1500億円だったグループ全体の売上高は1996年度に約3000億円まで伸び、JR九州は石井氏が社長を務めた10年の間に大きな進化を遂げました。また、当初JR九州グループ全体の売上高にみるグループ企業(連結子会社合計)の売上高比率は18.2%でしたが、42.6%まで成長しています。この数字からも石井氏が試みた新規事業立ち上げがどれだけ成功したかがわかります。

出典:JR九州20年史 : 1987-2006(2007.9出版)

運輸事業の変革~「理性的価値」と「感性的価値」

ここまで多角化戦略の話を続けてきましたが、石井氏は多角化と並行して主力部門である運輸事業の改革にも取り組んでいます。顧客のニーズを的確に見極め、ダイヤ改正や新駅開設などを次々に進めていきました。石井氏はこうした利便性の改善による向上を「理性的価値」と表現しました。

この「理性的価値」と対になるのが、列車にデザイン性や話題をもたらすことで、顧客のニーズを創り出す「感性的価値」です。石井氏は民営化直後から新型車両を投入することでJR九州の新しいブランドイメージを創り出すことに挑戦しました。石井氏の狙いは当たり、特徴的なデザインと新機軸を盛り込んだ新型車両はJR九州の新しいイメージとして注目を集めることに成功しました。

JR九州は「乗ったときから観光」というコンセプトで、戦略として車両のデザインに注力していきます。この車両のデザイン戦略の柱を担ったのがデザイナーの水戸岡鋭治氏です。それまで自社で車両のデザインを行っていたため、外部のデザイナーを入れることには社内の大きな反発もありました。

石井氏が起用を決めた結果、福岡近郊を走るアクアエクスプレスという普通列車を皮切りに、現在も人気を誇る観光列車「ゆふいんの森」といった成功事例が生まれました。当時の由布院(大分県)は観光地として総合的な発展を目指すべく地域で様々な活動が行われており、石井氏もこの取り組みに呼応して1989年から博多~由布院間においてゆふいんの森の運転を開始しました。

大分県出身の建築家、磯﨑新氏が設計した由布院駅の駅舎も話題となり、ゆふいんの森は30年経った現在でも高い人気が継続しています。デザイナーの水戸岡鋭治氏との関係はその後も続くこととなり、同氏がデザインした特徴的な観光列車は九州各地で人気を博しています。

近年で最も有名なのは、2013年から運行するクルーズトレイン「ななつ星in九州」でしょう。九州を巡る豪華寝台特急は現在でも予約が抽選になるほどの人気を集めています。石井氏の目指したデザイン性や話題を大事にする姿勢が、1997年に石井氏が社長を退いた後も代々の社長に受け継がれているのです。

チャレンジを通じて組織の能力を成長させていく

運輸事業と関連事業を相互に成長させるために、次々と新しい事業にチャレンジしていくJR九州の戦略は、困難を承知で組織全体が背伸びをしていく戦略と言えます。経営学者の伊丹敬之教授はこのような戦略を「オーバーエクステンション戦略」と称しています。

オーバーエクステンション戦略とは、短期的には過度だと思われるくらいの戦略や投資を組織に課すことで組織の学習を進め大きな成長に繋げていくという考えです。一時的に組織の能力と戦略に不均衡が生まれますが、市場に挑戦するからこそ深いノウハウの獲得が期待できます。

<参考>伊丹敬之/加護野忠男(2003)『ゼミナール経営学入門 第3版』より

もちろん無謀なチャレンジを推奨するわけではなく、オーバーエクステンション戦略を実現させる要諦として、伊丹教授は以下のようなポイントを挙げています。

  1. どの分野での挑戦なら、組織が深い学びを得られるかという見極め
  2. 組織として学びの成果が最大化されるような仕掛け
       (例えば、学習に向いた人選、学習の結果をシェアする仕組みなど)
  3. なぜこの挑戦が必要かというトップによる大きなビジョンの提示
  4. 現在の企業の体力の範疇で行われており、無謀な挑戦ではないこと

JR九州は、運輸事業と関連事業で様々な試みを行いましたが、オーバーエクステンション戦略の要諦に沿って、組織全体として成長したと言えるでしょう。

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第3回は、関連事業と運輸事業でどのような成功事例が生まれてきたかを見ていきました。組織が規律を持ちながら、難しいチャレンジを行うことで内部に様々な経営資源が蓄積されていくのです。連載最終回の次章では石井氏のインタビューを通して、トップが失敗と向き合うためのリーダーシップについて学んでいきます。

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