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JR九州、危機を乗り越えるリーダーシップ Vol.2 新規事業に挑む

投稿日:2021/09/02更新日:2021/09/06

第1回「脱・国鉄の組織変革」では、外部環境の変化に伴い、運輸事業だけでは経営危機に陥ると危機感を持ったトップの石井幸孝氏が、多角化戦略にかじを切り、どのようにそれを現場に浸透させたか。そして、現場にこだわるトップの姿勢の重要性について学びました。本稿では、当時のJR九州が多角化戦略を推し進めるために取り入れた具体的な施策について見ていきましょう。多くの新規事業を立ち上げ軌道に乗せてきたJR九州の手法は、新規事業を生み育てることに苦労している多くの企業にとって大変参考になるのではないでしょうか。

組織変革のために、複数の施策を組み込んでいく

多角化戦略実現のためには、多くの社員が様々な事業を展開していく必要性を理解しなければなりません。国鉄時代は、運輸事業が主力事業であり、関連事業は傍流として軽んじられる傾向にありました。

石井氏は関連事業の重要性を高めるために、ボトムアップの風潮が生まれるよう改革を断行していきました。トップの指示のみで動く組織文化では、現場での自主的な成長が生まれないことを理解していたのです。

JR九州では、時間軸を踏まえながら、複数の施策を組み込み変革していきました。この一連の流れについては、「レヴィンの変革プロセス」のフレームワークで見るとより理解を深めることができます。

心理学者であるレヴィンは改革のために必要な3つのプロセスを以下のように定義しています。

  1. 解凍:揺さぶりをかけ、過去を忘れさせる…メンバーに新たな心の変化の必要性を理解させ、安定した均衡状態とも言える現状を突き崩し、変化に向けて準備をする段階。
  2. 変革(移動): 向かうべき方向を共有する…変化のための具体的な方策を取り入れ、新たな行動や考え方を学習させていく段階。
  3. 再凍結:共有化された方向に向かって進み続ける…新しく導入された変化を定着させる段階。

それでは、多角化戦略に向けた石井氏の取り組みを、このプロセスに重ねて見ていきましょう。

1.解凍:2割の社員を地場企業へ出向させる

末期の肥大化した国鉄は多くの余剰人員を抱えており、1987年のJR九州の発足時も1万5千人の社員のうち実に3千人が余剰人員でした。この状況に対して石井氏はJR九州で給与を負担しながら、社員を積極的に九州の地場企業へ出向させるという取り組みを実施しました。社内の人数を適正にするという目的もありましたが、出向を活用して多角化に向けて他企業のノウハウを取り込むことを目指していたのです。

出向先には、地場企業の中から中小企業を中心に選定しました。石井氏は、大企業と異なり、中小企業のほうがビジネスの全体像をつかみやすいことを理由として挙げています。JR九州は、社員の出向を通じて運輸事業以外のビジネスモデルや、コスト意識、顧客サービスといった知見を学び、自組織に蓄積していったのです。

石井氏自身も出向社員のための激励会を頻繁に開催し、幹部も参加する場で多角化戦略がいかに重要であるかを説き続けたのです。これによって出向していく社員たちのモチベーションを高め、同時に会社に残る社員に対しても、他社から学ぶことの必要性を強調していったのです。

2.変革(移動):新規事業立ち上げを次々と支援、5年ルールで大きく育てる

JR九州発足からまだ1年も満たない2月には「あなたも社長に!」というキャッチコピーのもと「ニュービジネスコンペ」も開催し、賞金付きで広く事業化できるアイデアの募集を開始しました。派遣先の企業で様々なノウハウを吸収し、約2年の出向から戻ってきた社員たちからも新規事業のアイデアが多数出てきました。大きな投資を必要とするものは社長決裁として慎重に行いましたが、投資額の低い事業に関しては次々に実行していきました。

当時は、様々な飲食業態から小売、不動産、農業、畜産と多岐に渡る事業を立ち上げたため「JR九州のダボハゼ経営(何にでも手を出すことの例え)」と言われていました。しかしながら新規事業は大小にかかわらず5年以内の収益化といったルールも決められていました。立ち上げ時は当事者の自主性を尊重するものの、5年間で結果が出ない場合は撤退となります。

実際に、小売事業として参入したアイスクリームの販売事業は一時店舗を拡げましたが、売上が苦戦し、早期撤退となりました。対照的なのがトランドールというパンの製造販売のブランドです。1992年には分社化するほど成長し、現在でも23店舗が営業しています。石井氏は、パン事業の成功について、朝早くからマニュアルに則ってパンを焼く仕事は、早朝から働いてきた鉄道マンと相性が良かったのではないかと振り返っています。

JR九州では、新規事業に対して5年間全力でサポートを行ってきました。そのため、最後まで結果が出なかった事業の担当者も最後には納得して撤退を選択することができたと言います。数多くの事業を小さく産んで、成否を見極めながら育てる社内イノベーション創出の仕組みがJR九州で回り始めました。

3.再凍結:関連事業での成功を人材マネジメントに組み込む

出向は現場社員だけでなく幹部社員にも適用されました。従来幹部社員は、主力事業である運輸事業に従事し、定年前後の年齢となってからグループ内の関連会社へ出向することが一般的でした。石井氏はこの慣例を一新します。

幹部候補であるキャリア組の社員に対して、本人の特性を見極めながら積極的に出向させていったのです。優秀な中堅社員を他の企業や関連事業の要職へ出向させることで、今後の経営を担う人材たちに様々なビジネスモデルを習得させ、多角化の布石としました。

さらに、石井氏は出向を幹部の人材マネジメントにも連動させます。関連事業で成果を出せないと昇進できないような評価制度を取り入れ、幹部が必然的に関連事業を重視するよう動機づけていったのです。

後に4代目のJR九州社長となる唐池氏も、出向を通じて多彩な経験を積んだひとりです。JR九州発足1年目の1987年、当時30代で、ファッション百貨店として知られていた丸井へ出向。運輸事業とは全く異なる流通事業を経験し、顧客サービスの重要性を学びました。その後も船舶事業や外食事業といった関連分野で成果を出し続け、トップへの道を歩んでいきました。

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第2回では、ボトムアップ型で多角化戦略を推進していくための様々な改革について、レヴィンの変革のプロセスを通して学んでいきました。単発で施策を行うのではなく、組織全体が新しい文化に適用できるよう、時間軸に沿って複数の施策を組み合わせることが重要になるのです。次回は多角化戦略と並行して運輸事業でも改革を続ける中で、いかに組織の能力を拡大させるかという点を学んでいきます。

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