人はどのようにして、リーダーとして目覚めるのか――。活躍中のリーダーたちに「その瞬間」を問い、リーダーシップの出現メカニズムを解き明かす本連載。第4回は、350万人ものユーザーを持つ全自動家計簿アプリ「マネーフォワード」を運営し、企業や個人事業主向けのサービスも次々とリリースしている、株式会社マネーフォワードの辻庸介氏にお話を伺いました。(文: 荻島央江)
<プロフィール>
2001年京都大学農学部卒業、2011年ペンシルバニア大学ウォートン校MBA修了。ソニー株式会社、マネックス証券株式会社を経て、2012年株式会社マネーフォワード設立。個人向けの自動家計簿・資産管理サービス「マネーフォワード」および中小企業向けのクラウドサービス「MFクラウドシリーズ」(会計・請求書・給与計算・マイナンバー・消込・経費精算)を提供。マネックスベンチャーズ株式会社 投資委員会委員、一般社団法人 新経済連盟 幹事。
来たボールはとにかくすべて打つ
伊藤:マネーフォワードではどんなサービスを手掛けているのですか。
辻:個人向けと法人向けサービスをご提供しています。個人向けでは、全自動家計簿アプリの「マネーフォワード」をご提供しています。3000以上の金融機関と連携して、銀行口座やクレジットカード、電子マネー、証券などの利用履歴や残高を自動で取得できるというのが特徴です。これらの機能は無料で、現在ユーザー数は350万人を超えています。一方、中小企業会計事務所、個人事業主向けに、会計・給与・請求書・経費・マイナンバー等の「MFクラウドシリーズ」をご提供しています。MFクラウド会計と確定申告の登録ユーザー数は40万を超えました。
伊藤:今日は起業に至るまでの道のりをうかがいたいのですが、社会人としてスタートはソニーの経理部でしたね。なぜソニーだったのですか。
辻:単純なんですけど、世界中で使われているプロダクトを持っているのってかっこいいと思ったのと、世界で通用するビジネスマンになりたくてソニーに入りました。ただ理想と現実は違った。インターネットビジネスをやりたかったのに、配属されたのは全く希望していなかった本社の経理部。上がってきた領収書に記載された金額をひたすら打ち込んでハンコを押して……、という毎日でした。
伊藤:最初はショックでも、仕事自体は一生懸命に取り組んでいたのですか。
辻:石の上にも三年と思って、まさに3年間は前向きに頑張りました。簿記の資格を取ったり、ハワイまでUSCPA(米国公認会計士)の試験を受けに行ったりしましたよ。USCPAには落ちちゃいましたけど。
伊藤:その後、マネックス証券に出向したのですね。
辻:社内公募制度に応募しました。もともと学生時代から、使ったお金を勘定するのではなく、稼ぐほうをやりたい、何か新しいものをつくるほうをやりたいと思っていました。この頃は、その思いがマグマみたいに溜まっていましたね。
伊藤:そもそもなぜ稼ぐ側で仕事をしたいと思ったのですか。
辻:進学塾で起業した先輩がいて、仕事を手伝っていたのですが、めちゃくちゃ楽しかったんです。大学3、4年の頃かな。それが起業の原体験かもしれません。もう1つは、経営者をしていた祖父の影響があると思います。祖父は新興国に工場を建設し雇用を生むなどしていました。残念ながら祖父は僕の創業を知らずに亡くなりましたが、もし今、生きていたら経営者の先輩としていろいろな話をしたかったですね。
伊藤:ビジネスを手掛けたいというマグマを抱えつつ、マネックス証券のCEO室に出向されたわけですね。
辻:当時のマネックス証券は社員40人ぐらいのまだまだ小さな会社でした。僕が異業種の会社にぽんと入って、まず苦労したのが金融用語。「議事録を取れ」と言われてもちんぷんかんぷん。とりあえずノートに単語だけメモして、会議終了後にネットで検索する。そんなレベルでしたから最初はアウトプットが全く出せませんでした。
伊藤:成果を出せるようになったのはいつ頃ですか。
辻:ものになるまでに2、3年ぐらいかかった気がします。最初はCEO室で新卒採用などを担当しましたがイマイチで、もっと現場に行けという感じでマーケティング部に異動になりました。そこでネットマーケティングや買収した子会社の立て直しなどをしました。成果はともかく、とにかく来たボールはすべて打っていましたね。誰だったか「食わず嫌いせず全部食え。全部を食える胃をつくれば、どんなボールでも打てるようになる」と言われたのを覚えています。
松本(大)さんは年齢や性別に関係なく、やる気のある人間にどんどんチャンスを与え、アウトプットをちゃんとフェアに評価する。やりがいがあって、僕はすごく楽しかったです。
自己評価は他人の評価の2倍は高い
ただ来た球をすべて打っていると、自分の能力不足を痛切に感じました。「偉そうなことを言っているわりに、俺はここまでしかできないのか。口だけだったな」とか。自己評価って他人の評価の2倍ぐらい高いですからね。それで現実を知って、もっと勉強しないといけないと思うようになりましたね。
伊藤:その後、米ペンシルバニア大学ウォートン校にMBA留学されています。マネックスの留学第1号ですよね。
辻:そうです。2009年6月から2年間行っていました。クラスメートは約70人で平均年齢28歳。僕は33歳で、上から2番目でした。最年長は創業した会社を上場後に売却したという中国人で、戦闘能力がまるで違う。あの頃は本当につらかった。嫁さんと一緒に行ったのですが、「俺、学校に行きたくない」と言っていたら怒られました(笑)。
伊藤:どんなことがしんどかったのですか。
辻:まずは英語ですね。勉強してきた英語と教室で飛び交う英語が全然違う。速すぎて何を言っているのかさっぱり分からず、最初の授業のとき隣の席のクラスメートに「これ、英語?」って聞きましたからね。僕を含め、帰国子女ではない日本人は総じて苦労するようです。
ビジネススクールの授業は、教授がただ一方的に話すのではなく、教授と学生双方向で進行します。ウォートンの場合、授業中に発言しないと単位を落とされてしまいます。また宿題はグループ単位で議論、発表し、その内容が成績に直結します。よって学習はグループワークが中心になり、チームに貢献しないと居場所がないわけです。最初のうちは、何かいい意見を述べるとかそうした部分でチームに貢献できなかったので、会議室の予約をしたり、リポートのまとめを作成したりしていました。
でも会議室の予約は誰だってできるし、みんな優秀なのでまとめも5秒ぐらい眺めておしまい。たかがコミュニケーションツールの英語ができないことで、ここまで存在を無視されるのかと思いましたね。
留学前に上司から「年もいっているし、英語もろくにしゃべれない、お前になんて価値がない。まずそれを認識してからスタートしろ。飲み会は必ず参加しろ。最後までいろ。それで1人つかまえて話せ」というリアルなアドバイスをいただいたんですけどね。それでも大変でした。
伊藤:留学中の2年の間にどう乗り越えたのですか。
辻:とにかく毎日必死で勉強しました。朝3時に起きてMBAの課題をやる。夜はパーティーに行っていろいろな人と話し、休みは英語の勉強という感じです。おかげで英語力は大分向上した気がします。何となく言いたいことは分かるし、言いたいことをしゃべれるようになりました。
伊藤:英語以外で役立っていることは何ですか。
辻:僕は農学部の出身で、ビジネスについて体系立てて学んだことがなかったので、様々な教科を網羅的に勉強できたのはよかったですね。マネジメントや人事、組織論などは特に面白かったです。
そうそう、卒業時に全12クラス中、米国人以外で唯一のCohort Marshall(クラス代表)に選ばれました。卒業式のとき、先頭で旗を持って行進しましたよ。
伊藤:それは成績優秀だったから?
辻:いや、成績は下から数えたほうが早いです。クラスメートの投票で選ばれました。それは本当にうれしかった。お前の魅力は挑戦する姿勢と人間力だと言ってもらって。一番大事なものはノウハウやテクニックではなく、パッション、熱量だとその時思いました。これをどうしてもやりたい、やるんだという熱いパッションがあったら、聞いている人も引き込まれる。それに向こうはたとえ無様でもチャレンジしている人間を認めます。僕はよく突っ込んでいっては木っ端みじんになっていましたから(笑)。反対に、世の中やクラスに貢献しようとしない人間は評価されない。あの文化はすばらしいと思います。
インプットは終わり。次はアウトプット
伊藤:帰国後1年半くらい経って、いよいよ起業となるわけですが、どんなきっかけで決心に至ったのですか。思いから実際に行動を起こすまでにはそれなりのハードルがあると思いますが。
辻:マネックスに行った頃から、「お金に関して多くの人が悩みを抱えているのにいいサービスがない。『食べログ』や『クックパッド』のようなユーザーサイドに立ったサービスをつくりたい」とずっと思っていました。
伊藤:そのマグマはいつ爆発したのですか。
辻:留学先の米国から日本へ帰る飛行機の中で、フェイスブックの創業者であるザッカーバーグの本を読んだんですよ。その中に「世の中はオープンになることでよくなる」といった趣旨のことが書いてあって、この人がつくった価値はやっぱり大きいなと思いました。
ビジネススクールに行ったときに思ったのですが、ビジネススクールに来る人たちというのは、権威あるものに自分を認めてもらいたいと考えている人が多い。僕自身がそうでした。その点、スティーブ・ジョブズや孫正義、マネックスの松本さんもそうですが、既存の権威に頼らず自分で新しいことをどんどんつくっていける人たちはビジネススクールなんて行かない。僕はそれに渡米2日目に気付いて、辞めようかと迷ったものの、僕は凡人だからやめることもできずそのまま行きました。
でも、飛行機の中でザッカーバーグの本を読み、「世の中の今一流とされている教育は受けた。だからインプットはもう終わりにしよう。自分も、世の中に何か新しいものを生み出そう。アウトプットをとにかく出そう」と思いました。スティーブ・ジョブズがいたからMacやiPhoneが世の中に存在するように、僕が存在しているから何かできた、というものを世の中に生み出したい。そう固く決心したんです。
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