東京国際声楽アカデミー、通称「TIVAA(Tokyo International Vocal Arts Academy)」が開催するオンラインオペラコンサートは、日本、そして世界3大陸から集結したトップアーティストたちの手により創りあげられた舞台だ。オンラインだからこそ、質にこだわった、全く新しい音楽ビジネスのつくりかたについて、自身も東京二期会の声楽家でもある異色のマーケター、武井涼子氏に聞いた。(全2回、後編) *前編はこちら
“解説つきオペラ”で向学心旺盛な人々を惹きつける
―音楽家のために「表現の場」をつくりたいと、TIVAAが4月26日に開催したオンラインコンサート。初回のテスト版ということで参加費無料だったそうですが、反響はどうでしたか。
武井:予想通り、解説も大好評で手応えがありました。それに、やってみて「なるほどな」と思ったことが2つありました。1つは、いつもなら遠くから見る歌手やピアニストが間近に見えること。歌っているときの表情や、鍵盤を弾く指がはっきりと映る。もう1つはお客様が気軽に参加できること。ミュートさえかければ子どもが騒いでいても問題なく視聴できます。そういう敷居の低さもオンラインコンサートの魅力になると感じました。
―そして、5月17日に第2弾のオンラインコンサートを開催したのですね。
武井: 今度は事前に録音し、調整した音声と画像を流しました。料金は2000円で、進行はキャスターの桑原りささん。案内したのは300名のみだったのですが、チケットを購入した方は50名。参加率はかなりの割合に上りました。
考えられる成功要因は2つ。1つは、コロナ禍でエンターテインメントの供給量が激減しているなか、自宅で安全に楽しめて、ある程度高尚なエンターテインメントに人々が飢えていたことです。もう1つは解説と字幕をつけたこと。クラシック初心者には「音楽だけ聴いてもなんだかよくわからない」という人も多いのでは。でも、クラシックに関心を持たれる方は向学心旺盛な方が多いので、音楽家の解説や歌詞の字幕は心に響いたようです。
これならばいけると、6月6日にアメリカ、イタリア、ドイツ、そして日本と世界各国からアーティストが集うコンサートを開催しました。メンバーはTIVAAの芸術監督であるホルヘ・パローディ氏が選んだ受講生とTIVAA関係者。音響スタッフも入れ、台本はニュース番組を手掛ける台本作家に依頼。司会はキャスターで経済ジャーナリストの谷本有香さん、解説はニューヨーク在住の音楽ジャーナリスト、小林伸太郎さんにお願いしました。これまでTIVVAのコンサートに協力いただいた世界的に有名な演出家の方々にも一言ずつお話いただくことに。「コロナを越えよう」ということで、みなさん快く協力くださいました。
(オンラインコンサート打ち上げの様子)
上質なオンラインだけが顧客満足に結びつく
武井:6月6日公演の試みで特徴的だったのはプロダクションそのものが何よりですが、広報とプライシングもそうでした。従来のクラシックコンサートの広報手段といえば専門誌、新聞、テレビ、ラジオの広告。あるいはDMを郵送するか。年配のお客様が多いので、紙媒体が頼りです。でも今回はオンラインということで、新しい顧客層を開拓できるのではという期待がありました。そこで、オペラに興味がある人をターゲティングし、Facebook広告も展開しました。SNSによる展開は広告のみならず非常に反響がよかったです。チケット販売ページへの流入元もFacebookやTwitterなどのSNSからが多くを占め、購買に結びつきました。通常のクラシックのコンサートでは見られないことです。
-プライシングではどんな工夫をしたのでしょうか。
武井:これだけの陣容のコンサートですから、通常のコンサートホールで聴くのであれば料金は1万円は超える額になります。しかし、オンラインではどうしても音楽の根幹である音が減じてしまうことと、参加の敷居を低くしたいという意図で、3800円としました。ただ、無料という選択肢はなかったですね。それは今後も同じです。
ホールのコンサートより制作には時間がかかりますし、録音機材やソフト、アプリも必要です。出演者は、コンサート前に芸術監督のホルヘ・パローディ氏のコーチングや細かな指示を1人ひとり受けています。通常の公演以上に丁寧に手順を踏んで準備を重ねたわけです。プロの真剣な仕事としての音楽を鑑賞していただきたい。だからお金を払ってほしいと思っています。
-オンラインコンサートという取組み自体が新鮮なので、「面白そうだ」と注目された面もあったかと思いますが、中身の質も非常に高いものなんですね。
武井:そのとおり。大事なのは中身です。おかげさまで「3800円は安かった」と多くの方に行っていただくクオリティを実現できました。マーケティング業界でも最近よく言われることですが、今まで「オンラインは安い」と思われていた。でも違うんです。オンラインだからこそ良質なコンテンツを提供しないと。デジタルコンテンツが溢れていますが、質が担保されていなければ、顧客満足には到底結びつかないんですよ。
クオリティが低ければユーザーは見向きもしない、あるいは、すぐ離脱してしまいます。しかも、オンラインはテレビなどと違ってコンテンツごとのオーディエンスの数が少ないうえに、ターゲットごとにコンテンツを作り分けなければならないものです。届けたい人に価値を届けるには当然、手間もコストも必要です。つまり、一見総額は“オンラインは安い”わけですが、1人当たりコストで考えると“オンラインは高い”んです。コンテンツの質そのものが問われる「コンテンツ至上主義」の時代が到来していることに、日本企業もそろそろ気づくべきだと思います。
(オンラインコンサート当日のオペラの一幕)
-今後はどんな展開を考えていますか。
武井:まだまだリアルのコンサートは再開できませんし、6月6日ほどの規模でなくても、続けたいと思っています。7月5日に、ハワード・ワトキンス氏とホルヘ・パローディ氏と共に再びコンサートを企画しています。それから、オンラインコンサートは情報をたくさん伝えられるうえに敷居が低く、アウトリーチとしては大変意義がある。オペラはグローバル・ビジネスパーソンにこそ役に立つ教養でもありますので、オペラ初心者のビジネスパーソン向けのオペラ講座をシリーズでやる。全12回で10万円ぐらいを考えています。
-そんな講座、聞いたことがないです。新しいですね。
武井:教養と言ってしまうとちょっと違う気もしますが、オペラを知っていると西欧の歴史や価値観に感覚的に触れることができ、グローバル・ビジネスには顕著に役に立ちます。趣味のあるビジネスパーソンのほうが仕事ができるという調査もありますしね。今、ビジネスパーソン向けのオペラ入門書を執筆していますが、文章だけで説明する難しさを感じていました。オンライン講座で補完すれば、ことに初心者にとってさらにオペラがわかりやすくなるのではと期待しています。
-最後にひとつだけ教えてください。たとえば今、仕事がなくて困っている音楽家の人たちも、TIVAAのようなオンラインコンサートにチャレンジできるでしょうか。
武井:6月6日の公演でみなさんに知ってほしかったのは、「オンラインコンサートは誰でも開ける」ということ。制作には高い機材などは使っていません。関わった音楽家たちはこれでだいたいのノウハウがわかったと思います。音楽家の皆様みんなに真似していただきたいですね。もちろん、私たちも常に新しいアイディアを取り入れたり改善したりしながらオンラインコンサートを進化させていきます。7月5日は、課題であった音質をより改善するためにプラットフォームを変更してまたオンラインコンサートを行う予定です。
コロナによって変化したお客様のニーズを考えながらつくらなければならないので、マーケティング的にいえば、「新しいカスタマージャーニー」をゼロから考えるべき時代が来たんだな、と痛感します。
●次回、7月5日(日)15:00~のコンサートはこちら