「オペラはホールで聴くもの」という常識を覆す試みが、SNSで話題を集めている。東京国際声楽アカデミー、通称「TIVAA(Tokyo インターナショナル声楽アカデミー)」が開催するオンラインコンサートだ。日本、そして世界3大陸から集結したトップアーティストたちが国や地域、さまざまな制約を飛び越え、まったく新しい舞台を創りあげた。コロナ禍における音楽ビジネスのつくりかたについて、自身も東京二期会の声楽家でもある異色のマーケター、武井涼子氏に聞いた。(全2回、前編、後編はこちら)
「表現の場」を失った音楽家たちを助けたい!
-まずコロナが及ぼした音楽業界への影響について教えてください。
武井:コロナショックによる音楽業界の損失は年間売り上げの77%に及ぶと言われています。(参考:ライブエンタメ市場 コロナで年間の77%損失に 「ぴあ」推計)公演開催までのスケジュールは企画から1年半~2年ほどで組まれるので、例年なら翌年の予約がもう入っているんです。それが今、完全に飛んでいる。
特にオペラを中心とする声楽業界は厳しいですね。お客様同士の飛沫感染も困るけれども、自分たちの飛沫感染が怖いから稽古もできない。地域の公民館などは6月1日から開館していますが、合唱などに関しては6月末まで禁止というところがほとんどです。許可が出たところで、マスクして歌はなかなか歌えないでしょう。しかもオペラは恋愛ものが多いので、人と人がくっついて演技しなければならない。どうしても3密になってしまいます。
どちらにせよ本番までだいたい3カ月程度は稽古期間が必要。「明日から公演やイベントをやっていいですよ」ということになっても、実際にオペラを開催できるのはずっと先の話です。
-生活苦に陥る人も出てきますね。
武井:今年3月、舞台関係者を対象に実施したNPO法人日本伝統文化交流協会のアンケート調査では、いつまで生活を維持できるかという質問に対し、「4月末まで」と回答した人が6割にのぼりました。今はみんな貯金を取り崩したり、借金をしたりしてしのいでいます。
-そもそも音楽家のみなさんは日頃、どんな仕事でどれくらい収入を得ているのでしょうか。
武井:クラシックの音楽家の平均年収は、ジャズやポップスの専門家に比べて高めなんです。収入の柱は出演料。中堅クラスの場合だと年間200万円強(https://note.com/minamotog/n/n5d6e787074cf)といったところでしょうか。多くの人は演奏だけではなく講師などをして収入を補填しています。
-日本はコンサートの開催数が多いそうですが。
武井:昭和音楽大学オペラ研究所・オペラ情報センターによれば、2018年のオペラ公演記録は756件。それだけ公演で食べていた人がいるということですよ。音楽自体をやめ、転職する人も出てきています。
問題は収入減だけではありません。音楽家が本当に求めている「表現の場」が今、失われている。誇り高い人達なので、お金の問題より音楽活動そのものができないことがつらいようです。なかには自分の歌や演奏をYouTubeにアップする人も出てきていますが、多くの音楽家は自宅で撮影・録音したものをそのまま配信することに抵抗感を抱いています。音響設備もない部屋で録ったデータが、下手すると死後も残ってしまうかもしれないということですから。「クラシックは無料で聴くもの」という印象が根付くのも困ります。
そもそもクラシックの音は、マイクなしで何千人もの人に音を届けるために発達して来たものですから、よほど性能のいいマイクでないと「倍音」などで出来ている音の響きが録音されないんです。ことに声楽家の声はオーケストラの音量を超えるために鍛えているものですから。
私も歌うと「窓ガラスがビリビリ震えている」といわれます。本来、マイクに乗らないような音を専門の技師さんが最高の会場と最新の機材で録音して、やっとギリギリDVDになるという世界なんです。ですから、最初はオンライン公演をやろうなんていう発想は全くありませんでした。
飛び越えられる、集められる――オンラインの新しい価値を発見
(オンラインコンサート当日の武井涼子氏)
―なぜ考えが変わったのですか。
武井:ニーズは絶対にあるはずだと思ったからです。「自粛期間中、全く音楽を聞かない人がいるだろうか、みんな音楽の力で何とかなっているところもあるんじゃないの?」と。ただ、オンラインの音はどんなに工夫したところで、ホールで聴く音には及びません。音という最大の価値はやはり下がってしまう。そこで、仲間の声楽家やピアニストと相談し、オンラインの最大の価値である「飛び越えられる、集められる」を活かしたコンサートをやろう、ということになりました。
オンラインだから国も地域も飛び越えて世界中どこからでもアーティストを呼べる。しかもホールの規模と関係なく、いくらでもお客様を集められます。それに、一期一会の緊張感こそコンサートの魅力であり、本質です。だから、いつまでも無制限に視聴できるものでは困る。そんなわけで、「今までのコンサートの良い点」「オンラインならではの良い点」「今までのコンサートにあって、オンラインのコンサートでは実現できない点」の3つのバランスを踏まえ、新しい価値を創り出そうと考えました。
―絶妙なバランスですね。だから、初回はリアルタイムでの視聴にこだわったコンサートにしたのですね。
武井:ええ、みんなの意見が一致し、4月26日に少人数のメンバーで第1回のオンラインコンサートを行いました。テスト版ですので視聴料は無料とし、そのかわり必ずコンサート後のアンケートに答えていただくことを条件としました。
運営母体はアメリカ発祥のオペラのワークショップ、TIVAA。毎年世界中のプロオペラ歌手が受講します。日本で最大の声楽団体、東京二期会の歌手の皆様も多く受講されていて、主演クラスの方も参加する会です。ファカルティ(指導陣)は、メトロポリタン歌劇場屈指のピアニスト、ハワード・ワトキンス氏、世界中のオペラハウスで指揮者を務めるホルヘ・パローディ氏など、錚々たるメンバーです。
4月26日は東京と静岡で同時配信を行ったのですが、このときひとつの実験をしました。一方は演奏したものをそのままお届けしたのですが、もう一方は事前に録音したものを調整して配信したのです。結果的に、生の音を調整せず配信するのは音質上、無理があることがわかりました。一方、事前に録音したほうはなんとかうまくいきました。パソコンやiPhoneで歌とピアノ演奏を別々に録り、ファイルを何回もやり取りして調整したものです。Zoomで画面共有したものを、最終的にパワーポイントに埋め込んで配信しました。
どちらも演奏の前後に解説を入れました。歌手は喉に多くの負担をかけられないので、通常のコンサートだと長時間のトークはできにくいのです。でも歌と別に収録するのであれば大丈夫。曲の解説の他、いつもどんなことを心がけて歌っているかといった裏話も披露し、これまでのコンサートにはない付加価値が生まれたと思います。
後編に続く
●次回、7月5日(日)15:00~のコンサートはこちら