シンガポール出身の社会起業家が挑む、地域とグローバルをつなげる事業【BOUNDLESS/デニス・チア氏】

今回取り上げるのは、シンガポール出身の若き社会起業家、デニス・チア氏だ。東日本大震災を1つのターニングポイントとして、日本の地域の魅力に気付いた彼が始めた、世界のグローバル人材と、日本の地方を繋げる事業。そこから見えてくる日本における新しい地方創生の取り組みと、彼自身の長期的な夢とは。前後編でお伝えする。

東日本大震災を機に、日本の地方に深く入り込む

長川:まずはグローバルとローカルを繋ぐ活動に取り組む社会企業、BOUNDLESSをなぜ日本で興したのか、教えていただけますか。

Dennis私はシンガポール出身で、ずっと日本に留学することが夢でした。13歳の頃から日本語の勉強を始め、念願かなって日本の大学に入学することができました。元々、新しいものに出会ったり、新しいことを学んだりすることが好きなので、在学中は休みのたびにお金を貯めて旅行に行きました。47都道府県の全てを回りました。とりあえず有名な観光地に行くことだけを目的にしていたので、歴史も知らないし、地元の人と話もしない。いわゆる「観光」だけして満足していました。

そんな私の意識が変わるターニングポイントがいくつかあったのですが、1つ目は大学4年生の時に起きた東日本大震災でした。7週間後ぐらいに石巻にボランティアで行きましたが、被災地として訪れた石巻は、4年間回ってきた観光地とは真逆の状況でした。でも、皮肉なことに観光地では体験できなかったことを体験したんです。

例えば、地元の人の家に泊まったり、地元の人の話を聞いたり、地元の文化を知ったり。その時に、今まで4年間回ってきて何もその土地について知らなかったんだなと、初めて気が付きました。もっと日本をちゃんと知りたいと思い、今度は地元の人と話せるような体験を求めて旅をすることにしたんです。

長川:東日本大震災によって帰国を選択せざるを得なかった留学生は多いと思いますが、日本に残る決断をし、そしてそれが日本の地方により興味を持つきっかけになったというのは珍しいですね。

Dennis日本が好きっていうのはずっとありました。当時の自分には迷いはなく、「絶対何かやらなきゃ」って思ったんです。もっと日本の地方とか、日本の文化を深掘りするような体験を求めて色々回りました。例えば1番深く入ったのは、伝統産業。伝統工芸品の翻訳を始めて、それきっかけに伝統産業を知るようになって、職人さんに会いに行ったりしました。あとは農家さんに会ったりもしましたね。

実は、伝統産業がもう1つのターニングポイントなんです。和蝋燭と和紙の職人さんの家に泊まらせてもらい、夜中に何人かで一緒に話をして。そのときの会話を、未だに鮮明に覚えていて。日本伝統産業の奥深さに感動した一方で、同時に衰退の危機にあることを初めて知りました。

もしかしたら、日本全国でそうなんじゃないかと思った。その事実に震災前は蓋を閉めて見えないようにしていた。震災をきっかけに、私も含め、みんな初めてそのことに気が付いたように思います。日本の地方に深く行けば行くほど深いところも見えてくるし、同時に日本の社会課題も見えてきたことが、私の気付きでした。

社会課題に本気で取り組む人たちとの出会い

長川:その後、なぜ起業という選択をしたのでしょうか。

Dennisまず、留学生だったから就職しないとビザがおりないという状況がありました。日本に残りたかったので、最初は会社に勤め始めました。転々として、1年半の間に3社。3社目を辞めた時に、これはさすがにまずいなと思って。このまま転職しても続かないだろうし。でも、振り返ってみれば勉強は好きだったから、とりあえず進学しようと大学院を受験して合格しました。入学まで時間が空いたので、ピースボートでインターンを始めたことが、3つ目のターニングポイントとなりました。

何となく社会問題に興味はあったものの、ピースボートで初めて実際に社会問題を解決しようと活動している人達と出会い、驚きました。みんなすごく優秀で、熱心。私がそれまでに見てきた、会社の中でつまらなさそうにしている人たちとは全然違っていて、このギャップは何だろうと思いました。インターンシップは大学院とも並行しながら、週2回ほど続け、すごく刺激をもらいました。

長川:大学院では何を研究テーマに選んだんですか?

Dennis災害と地域社会の研究です。インドネシアとフィリピンと東北、石巻の3つの地域の比較研究をしました。それが4つ目のターニングポイントです。当時、インドネシア、フィリピン、東北に調査に行こうと思い、世界銀行が作成したアンケートを少しアレンジして持っていったんです。ところが、アンケートは現地の人のニーズに全くかみ合わず、そこにすごく違和感を覚えました。世界銀行は政策を、地元の人は現地の課題を見ていたので、両者には距離があったのでしょう。

そのころ、ちょうど「地方創生」というキーワードが出てきて、色々調べてみると、地方創生と私が経験したことが似ていると気が付きました。地方創生も、日本政府が出している政策と現場のニーズがあまりかみ合ってないので。

大学院を修了した時、就職するか、進学するか迷いました。働きたかった組織とNPOがあったのですが全部落ち、博士課程はさすがに考えられず、でも日本には残りたかった。だとしたら選択は1つ、「起業するしかない」と。それで起業しました。

グローバルとローカルをつなぐ道の始まりは、日本に残りたいという強い思い

Dennis2017年、1人で起業しました。会社を設立してビザを取ってから考える、というのが始まりでした。当時は全くビジネスモデルもないし、経験もないし、知識もないから。とりあえず何か形にして、どうするか考えようと思いました。

長川:起業した当時、現在の事業の1つである地方創生パートナーズのような、「地方創生」というキーワードは、どうやってできたのでしょうか?

Dennis実は、ピースボートでのインターンを始めたのと同じ頃に、周りの留学生や友人を連れて東北に行ったんです。当時思ったのは、今もスローガンに掲げている、「グローバルとローカルをつなぐ」ということでした。それがBOUNDLESSのモットーであり、スローガンであり、大学院でフィリピン、インドネシアの調査をした背景でもありました。つまり、「グローバルとローカルは距離がある」と思ったんです。

様々な国を見るために飛びまわる側と、現地でこつこつ活動している側にはすごく大きなギャップがある。そのギャップに、私はずっと違和感を覚えていました。東京大学の大学院生がインドネシアに行って、結局何も知らないことに気が付くんです。地方創生という言葉はある意味バズワードだったので使いましたが、別に地方創生じゃなくても、グローバルとローカルにはすごい大きなギャップがあるから、それを繋ぐ何かをしたいなと思ったんです。

長川:その思いがBOUNDLESSという名前に込められているんですね。

DennisBOUNDLESSの意味は2つあります。1つは「境界線のない」という意味。グローバルとローカルの間に壁がない繋がりを作る、ということです。

もう1つは、少し哲学的な話です。仏教に「色即是空」という言葉があります。分かりやすい話でいうと、本を読んで知識を得ると、本を燃やしてもその知識は残る。形に拘らず、中身を大事にする、という話です。人間もそうなんじゃないかと思います。日本とか地方とかは、形でしかない。でも、地方にあるものは違う文化、違う国の人にも通じるものが、中身の部分ではあると思っています。

日本の地域と海外のグローバル人材を繋ぐ地方創生パートナーズ

長川:起業をされて3年たちましたが、どんな事業をされているのですか。

Dennisこの3年間、ローカルとグローバルが繋がるような事業であれば、基本的に受けてきました。事業の1つである地方創生パートナーズは、留学生を始めとするグローバル人材と地域をつないで、その地域の魅力だけではなく、課題も知ることができるような企画をして、実践してきました。

例えば北海道の下川町や浦幌町、宮城県の石巻市や愛媛県の西予市に留学生と一緒に行き、観光だけではなくてちゃんと地域の課題と、地域の人と交流をする。これが大事です。エリートが地域に行って偉そうに見て回るだけじゃなくて、地域に入り込んで地域の課題を知れるようなチャンスを作りたかった。

長川:どんな留学生が参加しているんですか。

Dennisまず、学習意欲の高い人が多いです。あとは単純に、地方が好き、ということですね。ほとんどの人は地方創生という言葉は知らずに、とりあえず日本の地方を見てみたい、という単純な理由で参加をしてくれます。留学生の中でも経済的に余裕のある人や、文部科学省の奨学金をもらっている留学生が多いですね。

その中の1人は、今でも事業のパートナーとして関わってくれています。彼はスペイン出身で、日本語学校に通っているときに参加してくれました。彼の専門は、町づくりでした。日本語学校を終えて、博士課程に進学した彼は、研究のテーマを地方創生にして、対象地域を私の活動地域の1つにしてくれました。今は彼と、彼の研究室を巻き込みながら活動をしています。彼は学問的な目線から、私は社会的な目線から地方創生を見る、そんな関係性です。

長川:どのように事業を継続させているんでしょうか。

Dennis当時この事業を始めた時は、地方行政からお金をもらっていました。周囲からは、「助成金はいつか切れるから覚悟をしとけ」とよく言われました。でも「あるうちはもらっとけばいい」と思ったので、まずはそれに頼りながら活動して、留学生を連れて行きました。当時は単発的なものが多かったです。でも頭の片隅では、助成金が終わったときのことを考えて、次に何をやるか決めないといけないとずっと考えていました。

実は、2020年は助成金が切れる年です。今年からやろうと思っているのが、この3年間できた様々な地方と留学生のネットワークを生かしたビジネスです。

例えば現地の団体と組んでお金を調達することも、少しずつ始めています。徐々に地方行政に頼らずにやっていけるような形にしたいですね。あともう1つ、日本の高校生を地方に連れて行くことも、他社の事業に関わる形でやっています。私のかかわり方は講師のような、プログラムのサポートのような位置づけです。シンガポール国立大学の学生と、青森の市町村を繋ぐ大手の事業ですが、そうすると地方行政に頼らずに事業を回すことができます。

今後は持続的にビジネスとしてやっていきたいという思いを持っています。正直、不安が多いです。でも、これは正しい方向性だと信じているので、突き進むしかないですね。

 

後編:シンガポール出身の社会起業家が考える地方創生とは?【BOUNDLESS/デニス・チア氏】(6/17公開)

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