仕事を進める上で感じた違和感。上司はそれでも「やれ」と言う。会社の命に従いYesと言うのか、それとも直感を信じてNoと言えるのか――。グロービス経営大学院の研究科長(Dean)を務めるベック氏が、自身の半生を振り返り、人生やキャリアに必要なエッセンスをひも解く連載企画第4回。(このコラムでは、読者の皆様の様々な意見や経験談をお待ちしております)
コンサルタント時代に犯した最大の「罪」
マイクロソフトで最高執行役員を務めたロバート・ハーボルドは、卓越したアイデアをもった優秀な若い社員についての興味深い話を語っています。その社員がアイデアを実施するにあたって仕事を押し進めていたところ、社内の各レベルの管理職が少しずつアイデアを修正させました。最終的に、アイデアとしてはマイクロソフトの社内受けするものになりましたが、市場には受け入れられないものになってしまいました。プロジェクトが開始されると、市場では失敗に終わりました。この若い社員は社内の根回しには成功しましたが、その過程で、市場を見極めることをないがしろにし、ビジネスを進める判断能力が失われてしまったのです。
このエピソードを聞いた時、若かったころの体験を思い出さずにいられませんでした。
コンサルティング会社でキャリアをスタートした私が、リーダーとして初めて携わった仕事は、コンサルタントチームを率いて、二つの企業間で進められていたジョイントベンチャーの戦略策定を支援することでした。プロジェクトがうまく進展しておらず、コンサルティング会社に声がかかったのです。プロジェクトはそのときすでに、スタートしてかなり時間が経過していました。
早速インタビューを行い、そのプロジェクトについて情報収集を始めると、プロジェクトの背景にある根本的な前提に歪みが生じている(戦略が誤っていた)ので、順調に進展していないのは私の目から見て明白でした。また、彼らがプロジェクトについて何かを隠している。そんな気配も感じ取っていました。
ジョイントベンチャーを進める双方の会社に、私の意見を伝えようと必死になりました。一方は問題があることを認めていましたが、私の会社を雇ったもう一方の側は、彼らが望む方法でプロジェクトを進めることを、断固として譲ろうとしない。彼らを納得させる方法がないか、なんとかプロジェクトが機能するよう、数カ月に渡ってあらゆる角度から分析を試みました。しかし、良いアイデアを見いだすことができず、最悪の戦略を受け入れなければならないようでした。
私はCEO(私をコンサルティング会社に雇い入れてくれた人物)のオフィスへ行き、この仕事を継続する上で良い戦略を思いつかないと伝えました。彼はそのときに、いくつかの重要な“アドバイス”をくれました。私がこのプロジェクトを辞めると決意すること(特にプロジェクトリーダーとして)は、コンサルティング会社の中での最後の意思決定になる。そして、即座には解雇されないが、社内では身の置き場がなくなるだろうと言われました。それは、解雇されるよりも最悪の状況です。さらに、プロジェクトリーダーとしての責務を途中で投げ出すことは、最大の「罪」に値するとも言われました。
クライアントの元へ戻ると、2週間に渡って、最悪と感じていた戦略を何とかしようと模索しました。悩みに悩みました。自分の直感はこの戦略にNOと言っている。そして、何かを隠されている気配も気になる。しかし、辞めると言えば、キャリアは道を閉ざされる……。
自分の直感をどこまで信じられるか
絶望するような気持ちを抱えたまま、ついに、プロジェクトチームから去ることを決断しました。仕事を仕上げようとしている他のコンサルタントを残したまま立ち去ることに罪悪感がありましたが、納得のいかない仕事を続けることは、私の良心に反することでした。
私には社内のプロジェクトが与えられ、その後数カ月は続けてプロジェクトに関わりました。しかし、社内のどのディレクターも私と一緒に仕事を行うことを望んでいませんでした。
結局、クライアントのビジネスは開始されましたが、業界のメディアからは、最悪のアイデアと酷評されました。コンサルティング会社は、その最悪のアイデアに関わった企業として名指しで批判を受けました。ビジネスが開始されてから数カ月後のことです。さらに重要なニュースが飛び込んできました。なんと、ジョイントベンチャーのマネージメントチームが、偽って二重帳簿をつけていたことで、起訴されたのです。
私がプロジェクトに携わっていた間、いつもどこかに問題があるような奇妙な印象を感じていました。「何かにおうな」という感じです。ただ、それがなんであるか分かりませんでした。その問題が発覚したために、社内での厳しいまなざしから突如解放されることとなりました。私は再び仕事をすることができるようになったのです。
ビジネスを開始してからわずか1年後に、ジョイントベンチャーは閉じられました。誰もがそのプロジェクトは無駄な投資だったと考え、社内の多くの人(CEOを含む)が私の元を訪れ、私に行った対応について謝罪し、もっと意見に耳を傾けるべきだったと、言ってくれました。
私は会社にそれほど長く留まることなく退職しましたが、一緒に働いていた人たちとの友人関係は残りました。12年後に、会長(プロジェクトを辞める決意をしたときに私のキャリアに忠告を与えてくれたかつてのCEO)の「シニアアドバイザー」として指名されました。彼とは、書籍を共同で執筆するほどの仲です。
かつてハリウッドスターのボディーガードを務めたギャビン・デ・ベッカーは、その著書“The Gift of Fear(恐れという贈り物)”の中で、私たちが直感的に何かが不自然だと感じたときの対応について語っています。薄暗くても歩き慣れた道であれば恐怖感を感じることはないでしょう。しかし、ある晩、同じ状況の道にも関わらず、突然、違和感を覚えたとします。そのようなときには、その感覚に十分注意を払う必要があります。その感覚を打ち消そうとしない方がよいというのです。彼は、私たちが意識的に処理できる物事以上に、脳は潜在意識の中で多くのことを処理しているからだと忠告しています。違和感は、危険な状況を察知した情報に基づいているかもしれず、そのような感覚にも注意を払うべきなのです。
教訓:仕事の中で、家庭の中で、そして人生の中で、私たちは自分の想いと周囲の期待との間で、妥協を迫られます。妥協点のほとんどは、おそらく正しい判断であり、良い選択であったことでしょう。社会の一員である以上は、必要な部分なのです。しかし、忍耐すべき一線を越える何かを感じるならば、軍隊で単に命令に服従するように意思決定するのは、最高の解決策ではありません。ときに、もっとも倫理的であり、正直であり、安全な行動は、単純に「No(できません)」と言うことなのです。そのような発言をすれば、周囲の人たちの感情を害し、怒らせるかもしれません。仕事を失うことになるかもしれません。しかしそれは、「自分自身に正直であること」を守ることであり、自分の考えや夢にも正直な態度かもしれません。そして、あなたが伝える「No」という言葉は、社内で起こりうる最高の出来事になるかもしれないのです。