2011年東日本大震災を機に起業した、アグリテックスタートアップの株式会社GRA。1粒1,000円のブランドイチゴ「ミガキイチゴ」を軸に、農産物の価値をより高める“農業の6次産業化”※で成長してきた。
そんな同社が2023年9月29日、農薬大手上場企業とのM&A合意のプレスリリースを発表した。グロービス経営大学院の修了生でもあり、2012年には卒業後の類稀な活躍を称える“アルムナイ・アワード”も受賞したGRAの代表取締役CEO 岩佐大輝氏にその真意を聞く。聞き手はグロービス経営大学院 副学長の田久保善彦。(進行=知見録編集部、文=中山景)(全2回、前編)
※6次産業化:農林漁業者(1次産業)が、食品加工(2次産業)、流通・販売(3次産業)にも取り組み、それによって農林水産業を活性化させ、農産物などの生産物の価値をさらに高めることで、農山漁村の経済を豊かにしていこうとするもの。(農林水産省HP参照)
目的でなく、手段として選択したM&Aという出口戦略
田久保:GRAが上場企業とのM&Aを合意したということで、おめでとうございます。
岩佐:ありがとうございます。
――まずは、今回のM&Aの詳細について教えていただけますでしょうか。
岩佐:これまで支えてくれていたINCJ(当時:産業革新投資機構)はじめ事業会社、VC(ベンチャーキャピタル)、エンジェル投資家がエグジット(株式売却)し、新たな株主としてクミアイ化学工業株式会社(以下、クミアイ化学)が65%、私およびGRA役職員が株式の35%を持つ形でクロージングしました。
シリーズAの資金調達をした2015年から7年間のCAGR(年平均売上高成長率)は30.5%を達成し、2020年のシリーズBでは時価総額36億円でクロージングしています。今回、売却価格は非公開となりますが、今期(2023年9月期)はさらに高い成長率での着地を見込んでいます。なお、今後も変わらず、私が主要株主および代表取締役CEOとしてGRAの経営により深くコミットしていきます。
田久保:プレスリリースが公開されて、周りからの反応はいかがですか。
岩佐:想像以上の反響で、自分自身も驚いています。農業界では、ある程度のポジションを確立し貢献してきたという少なからずの自負がありますが、上場企業とのM&Aで改めて次のステージに向かう覚悟が決まりました。
意外に多いのが、私に経営の自由度がなくなってしまったのではないか?という心配の声です。実態は、経営の独立性を保ったまま、中長期でじっくりと農業の課題に取り組める強固な体制を作ることができました。
――スタートアップにとっては「エグジットをいつ、どうやってするか」が大変重要な観点とされています。いつ頃から出口戦略を考え始めましたか。
岩佐:GRAには「農業を強い産業とすることで、世界中の地域社会に持続可能な繁栄をもたらす」という大きなミッションがあります。宮城県山元町発の技術を世界に展開していくためには、新しい仲間も強い組織基盤も必要で、シリーズAの資金調達以降、特に連結での売上高が10億円を超えた頃から強く出口戦略を意識するようになりました。具体的には、M&AとIPOを両睨みで検討していました。
また、この12年間必死に取り組む中で、農業における地域社会の課題、そして世界的な食料問題について強い危機感を抱くようになり、よりスピードをもって我々が培ってきた独自ノウハウを還元していく必要があると考えていました。今後、GRAが国内外への農業経営支援を加速し、農業界で強いリーダーシップを発揮していくために、この業界で確固たる信頼と技術基盤を持っているクミアイ化学とのM&Aを決断しました。
M&Aで農業全体に新風を巻き起こす
田久保:クミアイ化学は畑作や米穀向けの農薬の製造・販売を事業の中核としていますよね。おそらくはそうしたクミアイ化学の「本業」とのシナジーというよりは、持続可能な未来に向けての「新たな仲間集め」としての声かけだったのかなと、勝手に想像しているのですが、その辺りはいかがでしょうか。
岩佐:まさにその通りです。化学農薬と聞くと不安に感じる方もいるかもしれませんが、日本は農薬基準がとても厳しい国です。クミアイ化学は基準に基づき高い安全性を実現する農薬開発技術を持っていて、安全・安心な製品を提供しています。
対して私たちGRAは、農薬を減らすために非常に新しいタイプの農法を取り入れています。例えば、IPM(総合病害虫防除)という仕組みで天敵となる害虫をやっつけたり、CO2ガスや紫外線を照射して病害虫を予防したり。農薬を極力使わずに、かつ現場負担とコストを減らした上で農業をやっている企業です。
クミアイ化学は主要株主にJA全農がはいっており、農業者の視座を持った企業です。また近年では、農薬に限らず農業、そして社会への価値提供を志向し、取り組みを広げています。そんな背景があり、クミアイ化学が掲げる中長期的にサステナブルな世界を目指す仲間として、GRAを選んでくれたのです。
田久保:クミアイ化学は今75年目の企業で、この先100年企業をめざすにあたって、新たにGRAと手を組んだと。今回の前にも1社、アグリテックスタートアップをM&Aしていますよね。
岩佐:アグリコアという、ワサビを特別な培養土で作る福島県の企業です。ワサビを取り巻く環境は厳しく、どんどん作り手が減ってきている。そこへ本格的なアグリテックのノウハウをもって取り組む企業の株式を、GRAの前に取得しています。クミアイ化学がサステナブルな農業を本気でやろうとしている姿勢を感じました。
クミアイ化学という農業界を代表するトラディショナルな会社と、私たちGRAというスタートアップが組むことで、国内外の新しい地域、作物に展開できる可能性が広がります。今回のM&Aで、農業界全体に新しい風を送り込めること、そして世界の食料問題へサステナビリティに一緒に貢献していけることを期待しています。
田久保:GMフード(遺伝子組み換え食品)のような話もあれば、低農薬、有機農法など、いろいろあると思いますが、地球規模で人類にとっての最適解(できるだけ安全なものを、できるだけ長期間に亘って)を求めようとした際に、いきなり農薬ゼロも現実的ではなくて。高い視座をもって中長期的に取り組むにあたって、より強固な経営基盤を要する。クミアイ化学はそれを希求できるパートナーだということですね。
覚醒せざるを得なかった原体験
――ここまでのあゆみを考えるにあたり、創業当初を振り返っていただきたいと思います。GRAはどのようにして生まれたのでしょうか。
岩佐:私は、2010年にグロービス経営大学院へ入学しました。その後、在学中の2011年3月11日の東日本大震災が発生。直後から、出身地である宮城へボランティアに行き始めたんです。ただ、1人ではどうしようもない状況で、仲間を連れていこうと動き出しました。グロービスの仲間たちもどんどん増えて、やがては200人くらいでボランティアをするようになりました。田久保さんとの出会いも、ボランティア仲間として来ていただいた時ですね。
田久保:確か2011年3月の終わりごろですね。
岩佐:そこから活動をGRA(General Reconstruction Association)というNPO法人にしたときには、理事に就任していただきました。その後、株式会社GRAを立ち上げて、アグリテックスタートアップとしてテクノロジーに張っていこうと決めた時も、田久保さんには社外取締役として引き続きメンタリングというか、相談相手になってもらっていました。
――当時の緊張感や不安感ははかりしれない大きさだったのではないかと思います。そんな状況の中で岩佐さんはどういうリーダーだったのか、田久保さんの眼からお話しいただけますか。
田久保:岩佐さんのご自宅には津波の被害はなく、ご両親もご健在でいらっしゃった。ですが岩佐さんが使っていた最寄駅は、陸橋が残っている以外は何もなくなってしまい、小学校もぐちゃぐちゃで、1カ月後に行ったら廃車の山、という状況でした。
その中で岩佐さんはずっと、「ビジネスリーダーになっていく人は、この光景を見ておいた方がいい。ここから未来を作らないと何も始まらない」と言い続けていらしたことを記憶しています。
岩佐:あの時はかなりきつかったですね。自分のアイデンティティをすべて失ってしまった感覚でした。
田久保:想像できないほどの精神状態だったかと思いますが、表向きの岩佐さんはとにかく前向きで、みんなの希望の光のように周囲を照らしていました。被害を受けた仲間たちの苦しみと悲しみを全て抱きかかえるように巻き込んでいって。悲壮感を人前では一切見せない人でしたね。多分、それがトップとしての自覚だったのだと思います。
岩佐:学生時代に起業し、それまでも自分はリーダー気質ではあったのですが、エネルギーのレベル感やスピード感は、あの時を機に変わったと思います。
――そこから12年。当時、企業としてのビジョンはどのように描いていきましたか。
岩佐:1年ぐらいボランティアをやっていたのですが、自分はやっぱり起業家なんですよね。
ある時、ボランティア作業中に地元のおばちゃんから「あんたら、経営者だったら自分たちの子どもや孫が働ける場所を作ってくれないと、本当にこの町は終わっちまう」と言われて。そこから、0から1を作る、そこで役に立つべきだと強く思うようになり、今のGRAのビジョンの「10年、100社、10,000人の雇用機会の創出」という言葉が生まれました。
田久保:この言葉はイベントの度にひたすらスライドで流して、それを語っていらっしゃいました。経営者として同じことを魂込めて語ってきたのが最初の数年間でしたね。
岩佐:ここに込めていたのは、地域が自立するためには、やはり強い産業そのものによってインパクトを作らねばという想いでした。震災で山元町で最も盛んだったイチゴ農業が95%も壊滅してしまった。だったらイチゴを復活させ、更には資本市場の中で農業の価値を高め、存在感を示す。そうすることで、大きなソーシャルインパクトを作りだせるのではないか、ということを考えたんです。
田久保:10年、100社、10,000人ということばに集約された構想力も、岩佐さんのリーダーとしてすごいところでした。裏側では悩むこともあったと思いますが、少なくとも表向きはすごく軽やかに、メディアにも「明るく楽しく前向きに」取り上げられていった。
岩佐:とにかく地域社会が落ち込んでいたので、モメンタムを作ることを最初に考えていたんです。当時はみんなシュンとしていて、イチゴ農家もなかなか復活しない、だったら自分がやってやろうという気持ちが大きかった。イチゴのことなんか何にも知らずに、ボランティアの人たちを集めて、私はお金を出して鉄パイプを買ってきて、イチゴのハウスを作ったのがGRAの始まりです。
1粒1,000円の値がつく「ミガキイチゴ」の裏の立役者たち
岩佐:GRAを始めたころ、一緒にやっていたのが、(当時行政側で働いていた)橋元くんという今の副社長と、イチゴ農家を40年やっているレジェンドのような方の3人でした。そのレジェンドの方にイチゴ作りを習いに行くと、「イチゴに話しかけたらわかる」と言われたり、時には「イチゴが風邪引いてるから、温度を上げろ」と言われて温度を上げると本当にイチゴの状態がよくなったり。農業がいかに勘と経験で成り立っていて、マニュアル化されていないかを痛感しました。同時に、過去の企業で身に付けていたIoTの専門性が使えるのではないかと思ったんです。
その後テクノロジーに大きく投資していったのは2012年ごろからです。銀行や投資家は、ビジネスプランよりも「この人は行動しているか」を見ています。1年目に数字ができるとやはり銀行の与信もつきやすくなる。あとはその保証を使って調達して、設備投資やテックに張っていきました。そうして、匠の技×ITによる「ミガキイチゴ」ができあがっていきました。
田久保:岩佐さんの行動力と求心力に、知らない間にみんな巻き込まれていましたね。私もこの人のためにどうにかしようと思って、大昔の私のクラスを受講してくださった当時の伊勢丹の労働組合のトップを繋いだら、「伊勢丹がどうにかします!」と言って、ひと粒1,000円のイチゴを売り始めて、「伊勢丹の1階に置こう!」と、どんどん話を動かしていってくださいました。
岩佐:伊勢丹の労働組合が手伝ってくれるようになって、大きなサポートをいただきました。
――成長や成果が出るまでに時間のかかる農業関連のスタートアップには、投資家も限られる傾向にありますね。最初の投資家はどのようにして見つけられたのでしょうか。
岩佐:田久保さんにグロービスの山中礼二さん(KIBOW社会投資ファンド 代表パートナー)を繋いでいただいたのがキッカケです。山中さんはGRAをプロボノ※で支援してくださり、その過程で農業に出資してくれるファンドはいないかと相談しました。そこで紹介いただいたのが、今までリードの投資家として2度も出資してくれた産業革新投資機構(現:INCJ)でした。また、日本電気(NEC)やJA三井リースといった事業会社も資金を入れてくださいました。確かにあの頃、農業にお金を出す投資家は貴重だったのでとても感謝しています。
※プロボノ:専門家が持つ職業上の知識やスキルを無償提供する社会貢献活動全般
田久保:KIBOWも震災を機に2011年3月14日に有志が集まり、被災地のために何をできるか話し合った末にできた社会投資ファンドです。まさに岩佐さんのような起業家に手を差し伸べることを使命感としての動きだったのでしょうね。
そこから8年が経ちました。今回のタイミングでのM&Aには、いろいろ思いを巡らせたのではないかと思いますが。
岩佐:そうですね。タイミングには迷いましたが、何より大事なのは農業にコミットしてくれる企業とのM&Aであるということです。GRAのミッションに立ち戻って考えると、更なる加速のためによい決断ができたと思います。M&Aしたといっても、私自身は起業家マインドを持ち続けつつ、GRAはもちろん、農業界を引っ張っていくリーダーとして挑戦を続けます。
(後編に続く)
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