多忙だからといって根本的な仕事をしているとはかぎらない
先日、『リーダーシップの旅 見えないものを見る』(野田智義・金井壽宏著、光文社新書)を再々読していたときに、あらためて目に留まった言葉があります。
それは、「アクティブ・ノンアクション(active non-action)」です。行動的な不行動、不毛な忙しさ、多忙ではあるが目的を伴う意識的行動をとっていないことの意味を含む概念です。
この言い回しは、もともとは、哲学者ルキウス・アンナエウス・セネカが言及した「ビジー・アイドルネス(busy idleness)」、つまり「あくせくしながらも結果として何もしないこと、怠惰な多忙」を起点にしているのだそうです。
セネカが約2000年前の人物だということを考えると、人類の“不毛な忙しさ”問題は、古今東西を貫く一大問題なのかもしれません。
確かに私たちのビジネス生活は多忙さに追い立てられ、それが止むことがありません。雑多な業務を器用にこなせるようになり、そこそこの知識やスキルが身につき、それで何か仕事をやった気にはなります。しかし、そうして1日が終わり、1ヶ月が過ぎ、1年、3年、5年が経って自分を振り返ってみます。そのとき、根本的に意義のある仕事をつくり出し、残していたかどうか……。
ルーチン業務に追われて後回しにしていることとは?
また、同様の興味深い言葉として、ノーベル経済学者ハーバード・A・サイモンが言及した「計画のグレシャムの法則」もあげられます。
これは「悪貨は良貨を駆逐する」という有名なグレシャムの法則をサイモンが応用したもので、「定型の処理的な仕事は、非定型の創造的な仕事を駆逐する」というものです。確かに、既存の体制を維持させるためだけのルーチン業務に追い立てられると、私たちはついつい長期的・根本的な計を立てる業務を後回しにしてしまいがちです。
こうした“不毛な忙しさ”の罠に落ちないために、時間を次の4つのマトリックスに分けて管理せよと提言するのが、スティーブン・R・コヴィーです。
最も熟考し、手を打つべきは、もちろん「第二領域」です。コヴィーは、忙しいさなかでも第二領域にきちんと着手することで、結果的に第一領域に振り回されることが少なくなってくると言います。「なぜなら、あなたは問題の根っこに働きかけているのであり、問題が発生する以前に、それを防ぐ活動をしているからである。これは時間管理の用語で言うと、パレートの法則というものである。つまり80%の結果は20%の活動から生み出されるということである」(『7つの習慣』より)。
『ウォールデン 森の生活』で知られるアメリカの思想家ソローは、「アリやミツバチだって忙しい。問題は何で忙しいかだ」と書きました。
“忙しさ”―――-忙しいからこそ、立ち止まってきちんと向き合わねばならない問題です。