石組みとブロック積み
武田信玄は「人は石垣、人は城」と言いました。一人一人違った個性が心をひとつにして石垣、城となれば、難攻不落の基地ができあがるとの信念です。
さて、石垣を造るのに、1個1個形状の違う石を組み合わせて完成させるのは、技術的に難しいし、手間や時間がかかる。しかし、いったん巧みに組んでしまえば、なかなか崩れません。それに比べ、レンガブロックを積み上げる建造法は、形状と質を規格化したブロックを扱うため、技術的には容易で、スピーディーに柔軟的に建造ができます。しかし石垣ほどの頑強さは出ません。
事業組織もまた、実に多様な個性をもつヒトの集まりです。一人一人の働き手を、1個1個形の違う石として活かし、事業という建造物を組み立てていくのは、経営者にとって、人事担当者にとって、上司にとって、とても手間がかかるし、煩わしいし、忍耐と根気の要る作業となります。しかし、そうして成就させた事業というのはとても強いものになります。
その一方、働き手を組織の要求する人材スペックの枠にはめ込み、技能・資格を習得させ、ある価値基準に従わせる――つまりヒトを規格化し、均質化したブロックにすることで、事業目標をスピーディーに効率よく達成させるという方法もあります。経営者にとって、人事担当者にとって、上司にとって、働き手をブロック化したほうが何かと扱いがラクになります。しかし、人びとの関係性は粘りのあるものでなくなり、失うものも多い。
もちろんこの2つの考え方は両極であって、実際の組織はこの間のどこかで、ヒトをある割合は「石」ととらえ、ある割合は「ブロック」ととらえながら用いていきます。組織にとって大事なことは、一人一人の働き手を極力個性ある「石」として活かすことです。ヒトをいたずらに「ブロック」化して、取っ換え引っ換えやればいいと考える組織は、早晩、ヒトが遠ざかっていくでしょう。
また、働き手にとって大事なことは、他と代替のきかない「石・岩」となって輝くことです。決して没個性な「ブロック」になってはいけません。組織にとってブロックは使い勝手がよい反面、同時に取り換え勝手もいいのです。
考える補強材料~宮大工棟梁の言葉から
西岡常一さんは、法隆寺の昭和の大修理(1300年ぶりといわれる)を行った宮大工の棟梁です。『木のいのち木のこころ〈天〉』(草思社)から、彼の含蓄に富んだ言葉を少し長めですが引き出してみましょう。
「口伝に『堂塔建立の用材は木を買わず山を買え』というのがあります。飛鳥建築や白鳳の建築は、棟梁が山に入って木を自分で選定してくるんです。それと『木は生育の方位のままに使え』というのがあります。山の南側の木は細いが強い、北側の木は太いけれども柔らかい、陰で育った木は弱いというように、成育の場所によって木にも性質があるんですな。山で木を見ながら、これはこういう木やからあそこに使おう、これは右に捻(ねじ)れているから左捻れのあの木と組み合わせたらいい、というようなことを見わけるんですな。これは棟梁の大事な仕事でした」。
「そうした木の性格を知るために、木を見に山に入っていったんです。それをやめてどないするかといいましたら、一つは木の性格が出んように合板にしてしまったんですな。合板にして木の癖がどうのこうのといわないようにしてしまったんですわ。木の性質、個性を消してしまったんです。
ところが癖というのはなにも悪いもんやない、使い方なんです。癖のあるものを使うのはやっかいなもんですけど、うまく使ったらそのほうがいいということもありますのや。人間と同じですわ。癖の強いやつほど命も強いという感じですな。癖のない素直な木は弱い。力も弱いし、耐用年数も短いですな。
ほんとなら個性を見抜いて使ってやるほうが強いし長持ちするんですが、個性を大事にするより平均化してしまったほうが仕事はずっと早い。性格を見抜く力もいらん」。
……さて、どうでしょう。西岡棟梁の言葉は、現代のビジネスリーダー・マネジャーにも鋭く深く刺さってきませんか。材を生かして、財にしていく。とても大事な観点です。