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プロフェッショナルとは「誓いを立てた職業人」

投稿日:2016/01/28更新日:2019/04/09

民間企業や公的機関における不正・不祥事のニュースは絶えることがありません。犯罪的営利行為、非倫理的行為などの原因は組織ぐるみのものもあれば、一従業員や一管理者、一経営者によるものもあります。いずれにせよ根っこは、一人間の心の底に横たわる倫理・道徳観の問題に行き着きます。

倫理・道徳などというのは抹香くさいテーマで、日々の忙しい職場にあっては多くの人が敬遠したがるものですが、働くことを考えるうえではここを避けては通れません。特に「プロフェッショナル」と自認する人にとっては、です。なぜなら、「倫理を誓う」ことが「プロフェッショナル」の原義だからです。

“profess”=宣誓する

「プロフェッショナル」という言葉は、現在では拡大解釈され、いささか大安売りされている感がありますが、もともと「プロ」と呼べる職業はきわめて限定的でした。

ジョアン・キウーラ著『仕事の裏切り』(原題:The working Life)によると、プロフェッショナルという言葉は、“profess”=宗教に入信する際の「宣誓する」からきていて、やがてそこから、厳かな公約や誓いを伴うような専門的職業人をプロフェッショナルと呼ぶようになったといいます。

中世に存在した数少ないプロフェッショナルは、聖職者や学者、法律家、医者でした。彼らの仕事の特徴は、仕事における個人や組合・協会の高い自律性と、私欲のない社会奉仕精神・公約の精神でした。プロフェッショナルの仕事は無報酬を理想とし、お金を稼ぐために仕事をするのではなく、仕事をするために必要な経費だけを頂戴するという意識が強かったそうです。

米国の著名な社会学者タルコット・パーソンズは、「(こうしたプロフェッショナルの厳格な定義に照らすと)企業管理者は決してプロになれない」と主張しました。なぜなら企業におけるビジネスマンは、基本的に利己的な利益獲得行動に走らざるをえないからです。

我欲を排し利他を誓う『ヒポクラテスの宣誓』

欧米の医学会では、いまでも医師になるときに『ヒポクラテスの宣誓』を行なうしきたりを残すところがあります。

ヒポクラテスは、紀元前400年ころに活躍した人で、ソクラテスやプラトンと同世代のギリシャ偉人の一人です。「人生は短く、学芸は永し。好機は過ぎ去りやすく、経験は過ち多く、決断は困難である」との有名な言葉は彼のものです。ヒポクラテスは、当時の医術の発展に多大な貢献をしただけでなく、後世の医の倫理の礎を築きました。

彼は多くの書物を著し、そのなかの一つで「誓い」と題された短文があります。これが世に言う『ヒポクラテスの宣誓』です。彼はそこで医師の戒律・倫理を明言します。

『ヒポクラテスの宣誓』は、冒頭、医神であるアポロン、アスクレピオスらに誓いを立てる文面からはじまります。そして医を志す際の師弟の誓い、そして医師として患者第一とする利他的な精神、我欲を排する誓いをする内容です。

こうしたみずからが進んで利他の精神を誓い、みずからの能力を社会奉仕に使うことを喜びとする専門的職業人こそが、本来の意味での「プロフェッショナル」なのです。その観点からすると、現在、どれほどのプロ自認者が厳密にプロと呼べるのでしょう。

ところで近年、「ソーシャル・ビジネス(社会的企業)」とか「ソーシャル・アントレプレナー(社会起業家)」という言葉が頻繁に使われるようになりました。ここでの「ソーシャル」とは、社会的、利他的、共通善にもとづいた、というニュアンスを含んでいます。そもそもプロフェッショナルはソーシャルな意識に根ざすことを誓った職業人ですから、本来的には、彼らが行なう事業に「ソーシャル」という形容詞をつけることは不要なはずです。そこをあえて「ソーシャル」と付けなくてはならないほど、やはり利を追求するビジネス社会では、倫理・道徳に誓いを立てるプロの経営者・職業人が少ないということなのでしょう。

日本資本主義の父、渋沢栄一も商工業の経営者のそうした功利に傾きすぎる性質をよく見抜いていました。「商才というものも、もともと道徳をもって根底としたものであって、道徳と離れた不道徳、欺瞞(ぎまん)、浮華(ふか)、軽佻(けいちょう)の商才は、いわゆる小才子、小利口であって、決して真の商才ではない」「真正の利殖は仁義道徳に基づかなければ、決して永続するものではない」「徳は本なり、財は末なり」など、後世のビジネスパーソンたちへの遺言として『論語と算盤』を著していきました。

精神のない専門人と心情のない享楽人

もとより利益追求や利己主義は一方的に悪いことではありません。むしろそういう動機があってこそ現代の資本主義経済は回るようにできていますし、さまざまな創造や革新も起こります。要は、欲は善にも悪にもなりえ、問題は人間がそれをどうコントロールしていくかです。

マックス・ヴェーバーはいまから100年以上も前に、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1905年)の末尾において、資本主義の興隆で跋扈(ばっこ)し、うぬぼれるのは「精神のない専門人と心情のない享楽人」であると予見しています。

「精神のない専門人」が、プロフェッショナルまがいとして多量になりすぎると、ビジネスは単なる「利益追求ゲーム」へと成り下がり、その果ては、「圧倒的な富を得る1%の勝者」と「十分な富を得られない99%の敗者」をつくりだす社会にしてしまう危険性をはらんでいます。そこでは、経済が本来、“経世済民”として持っている「民を救う」という使命・目的が喪失されることになります。

欲望をエンジンとして回り続ける自由資本主義というシステムを、今後も持続可能にするためには、欲望の自制とそれを賢明にはたらかせる叡智が不可欠となります。そのとき、『ヒポクラテスの宣誓』の精神が、新しい光をもって多くのプロフェッショナルたちに見直されるべきものになってほしいと願います。

さて、もしあなたが「プロフェッショナル」を自認する人だとすると、何を天に“profess”(=誓う)でしょうか。

  • 村山 昇

    キャリア・ポートレート コンサルティング 代表

    人財教育コンサルタント・概念工作家。 『プロフェッショナルシップ研修』(一個のプロとしての意識基盤をつくる教育プログラム)をはじめ、管理職研修、キャリア開発研修、思考技術研修などの分野で企業内研修を行なう。「働くこと・仕事」の本質をつかむ哲学的なアプローチを志向している。 GCC(グロービス・キャリア・クラブ)主催セミナーにて登壇も多数。 1986年慶應義塾大学・経済学部卒業。プラス、日経BP社、ベネッセコーポレーション、NTTデータを経て、03年独立。94-95年イリノイ工科大学大学院「Institute of Design」(米・シカゴ)研究員、07年一橋大学大学院・商学研究科にて経営学修士(MBA)取得。 著書に、『キレの思考・コクの思考』(東洋経済新報社)、『個と組織を強くする部課長の対話力』『いい仕事ができる人の考え方』『働き方の哲学』(以上、ディスカヴァー・トゥエンティワン)など。

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