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議論オタクのソクラテスはなぜ「哲学の祖」に祭り上げられたのか

投稿日:2016/01/05更新日:2023/07/12

ソクラテスとはどういった人物?

今回は、最も知名度が高い哲学者の一人、ソクラテスを取り上げます。

一般的なソクラテスに関する知識や認識は、以下のようなものではないでしょうか。

  • アポロンの神託所の巫女に、「ソクラテス以上の賢人はいない」と告げられ驚いた。自分のことを全く賢人と思っていなかったからである。それをきっかけに、アテネ中の知識人に論戦を挑み、彼らは実際には無知であることを発見した
  • 「無知の知」を提唱した。知らないことを知っていると思っている人よりも、知らないことを知らないと自覚している人間の方が知があると考えた
  • いわゆる「ソクラテス問答」をあちこちで仕掛け、多くの人間に自分自身の無知を悟らせた
  • 告発され、公開裁判にかけられ、死刑を言い渡された。脱獄を勧められたが、「悪法も法なり」と言って死を受け入れた(その裁判の様子を記したのが、弟子のプラトンが記した名著『ソクラテスの弁明』)
  • プラトンや、その弟子のアリストテレスがソクラテスの考えを受け継ぎ、哲学を発展させていった

特に西洋のメインストリームにいる研究者はこのようにソクラテスを捉え、我々も教科書でそのように習ってきました。こうしたことから、ソクラテスは非常に謙虚で、自身の生死より真実を重んじた哲人というイメージが定着しています。

ソクラテスは本当に優れた「哲学者」なのか?

ところが、こうしたソクラテス像は、かなりの部分が脚色、あるいは都合のいい断面だけを取り出して作り上げた虚像であったという説もあるのです。実は私自身、ソクラテス関係の本を読んだ時、「この人って本当にそんなにすごい哲学者なの?」という感想を持ったことが何回かありました。そこで、今回はあえてこちらの説を紹介し、ソクラテスの別の顔について検討してみます。

まず、ソクラテスは自分自身では何も書き残していません。これは当時の哲学者としても異色です。また、何も新しい仮説や概念を提示していません。「無知の知」についても、弟子のプラトンらが脚色した可能性があるのです。「書くことは人を確かにする」は後世のフランシス・ベーコンの言葉ですが、その行為をソクラテスは行っていないのです。

プラトンは天才的な哲学者にして文筆家でした。現在、世に伝わるソクラテス像は他人が描いたソクラテスですが、その中でもプラトンの著作は資料として一級品です。『ソクラテスの弁明』はプラトン28歳の時の作品ですが、若きプラトンが過剰にソクラテスを持ちあげた可能性は低くありません。ちなみに、プラトンも歳をとるにつれてソクラテスの影響が薄まっていきましたし、ソクラテスとは直接面識がなかったアリストテレスは、ソクラテスの論法は評価する一方で、「中身はない」と評しています。

ソクラテスは「ソクラテス問答」で有名です。しかし、知識人や若者に論戦を挑んでは無知を悟らせると言えば聞こえはいいのですが、最終的な結論に至ることはほとんどなく、ただ単に議論の抽象度を上げて煙に巻いていただけのようにも見えます。少なくとも、現代のビジネスシーンにおける「グッド・ファシリテーター」「グッド・コーチ」ではありません。むしろ、人々が具体的なアイデアを欲しているときに上げ足をとったり、抽象度を上げて結論から遠ざけているのです。

現代の事例に例えれば、具体的な就職先で悩んでいる就活生に、「仕事とは何か?」「幸福とは何か?」「やりがいとは何か?」「愛とは何か?」などとたたみかけていって、最後に矛盾を引き出し、「君は何も分かっていない」とやるようなものです。これが「善く生きること」を重視した哲人の態度と言えるかといえばはなはだ疑問です。

ソクラテスがこのようなアグレッシブな態度をとった背景には、「美」が善とされた時代に、ソクラテスの容姿がかなり見劣りするものであった(これはかなり確度が高い事実)からという説もあります。それがコンプレックスとなって、若くて容姿に恵まれた若者や、富を持つ知識人に論戦を挑んだというのです。

最も重大なポイントは、裁判の最後の場面において、哲学者らしい弁明をしなかったことでしょう。当時の裁判では司法取引的なことが当たり前でした。最初の判決は追放だったので、その気になればさらに罰金程度に減刑させることもできたのですが、肝心のこの場面で、「自分は名誉にこそ浴すべき人間であり、このような判決は不当だ。反省する気はない」というようなことを言ってしまいました。これがいたく陪審員の心証を悪くし、2度目の判決で死刑となってしまいました。最初の弁明まではそれなりにロジカルではあったのですが、なぜか最後に身を滅ぼすようなことを言ってしまったのです。

これも、ソクラテス擁護の人間は、当時の混乱した社会制度に対する抗議の意味があったとか、自分の信念を貫くことの方に重きを置いたなどと理由づけをしていますが、どれもいま一つという感じがします。あえて死の危険を選ぶ必然性はなかったように思えてなりらないのです。

これはあくまで私の推論ではありますが、ソクラテスは哲人というよりも、ファンの多い議論オタクかつ頑固者だったのではないでしょうか。そう考えれば納得のいく部分が多々あります。ただ、そのファンになまじプラトンがいたがゆえに、後世の人には実物よりも巨大に見えてしまったというわけです。

では、後世の研究者はなぜその見方を変えなかったのか?これも推論ですが、キリスト教の教義は、プラトン哲学に強く影響されています。したがって、キリスト教徒でもある後世のソクラテス研究者たちは、立場上、プラトンの師でもあるソクラテスを否定することができなかったというのが実際のところではないでしょうか。こうして、議論オタクだったソクラテスは、哲学の祖の座を今も占めている、という推理も成り立つのです。

今回はあえてソクラテスの別の側面にスポットライトを当ててみました。「穿った見方だなあ」と思われた方もいるかもしれません。しかし、(歴史上のあらゆる人物に言えることではありますが)教科書で習った人物像が、本当の人物像とは限りません。「変だな?」と思ったら自分なりに他の可能性を考えてみることも、思考実験として非常に有効なのです。

このケースからの学び

このケースから、我々は以下のことを学べるのではないでしょうか。

・ちょっとした疑問や矛盾を大切に。そこに意外な真実発見の発端がある可能性がある
・いったん根付いた見解は、確証バイアスなどでますます強化される
・書くことはやはり大切。書かないと、どんどん自分の言いたいことや実像が曲がってしまう可能性がある

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