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岩佐大輝×伊藤羊一(1) 震災直後にスマートアグリで爆速起業、ヒット商品を生むまで 

投稿日:2015/12/04更新日:2021/10/20

人はどのようにして、リーダーとして目覚めるのか――。活躍中のリーダーたちに「その瞬間」を問い、​リーダーシップの出現メカニズムを解き明かす本連載。第1回は、震災直後に宮城県山元町でスマートアグリを駆使したスタートアップを始め、1粒1000円のミガキイチゴを販売するなどして話題の株式会社GRAのCEO、岩佐大輝氏。リーダーとしての旅路はいかに。(文: 荻島央江

スマートアグリでイチゴを栽培

伊藤: 岩佐さんと初めて会ったのは2011年の5月でしたね。震災後の復興をどうするかというテーマで開かれた、グロービスのパネルディスカッションでした。岩佐さんはそのとき、雇用を生まないといけない、山元町を人が集まる基地にしたいと話していました。「確かにそうだけど、どうやるのかな」と思っていましたが、着実に実現しています。まず現在手掛けている事業について話していただけますか。

岩佐: 農業生産法人の株式会社GRAのCEO(最高経営責任者)がメインの仕事です。宮城県山元町に国内最大級の太陽光利用型の植物工場を建設し、イチゴを生産、販売しています。イチゴは「ミガキイチゴ」というブランドで、全国販売しています。ポイントはスマートアグリです。ちなみに、イチゴの苗を植えてから収穫するまでどのくらいかかるか分かりますか?

伊藤: 3カ月ぐらいですか。

岩佐: 20カ月かかります。親株を植えて、そこから子苗を採る。その子苗を植えて増殖させたら、定植します。定植から収穫・出荷、苗の刈り取りまでが20カ月。つまり、1回のビジネスを回すのに20カ月かかるわけです。ビジネスの精度を高めるには、とにかく失敗と成功を繰り返して、PDCAを回すしかないと思っていますが、それが20カ月に1回しか回せないわけです。

ではどうするか。そのためにスマートアグリを駆使しています。例えば、従来、経験と勘でやってきた「匠の技」みたいなものを数値化、データ化して高品質ないちごを安定的に作れるようにしたり、ロボティクスを使って収穫効率を上げたりしています。

2011年9月に最初のハウスを建てました。このときはまだ任意団体でしたが、2012年1月に農業生産法人として登記をして、翌月が初収穫でした。とはいえ、スマートアグリでおいしいイチゴを作った、で終わりではありません。次に、それをどう価格に転嫁するかという課題をクリアしなければなりません。スマートアグリならではの固定費を回収するには、どうしても価格を上げる必要がある。そこで独自地域ブランドの「ミガキイチゴ」を作ったのが2012年の冬。これが最高で1粒1000円で売れています。

その次のフェーズとして、インドのムンバイで、イチゴの生産販売を手掛ける現地法人GRAインディアを立ち上げました。2012年7月末頃に2週間ぐらいバンガロール、プネーなどの都市にある農業生産法人などを回り、農業ができるかどうか、アライアンスの可能性があるかどうかを探りました。

伊藤: 当初から、岩佐さんの頭の中には、横展開で海外へというイメージはあったのですか。

岩佐: インドに行ったときにはその覚悟は持っていましたね。2012年11月に物品を送り始めて、11月から12月にかけてインドに行って、現地の人と一緒にハウスを作りました。初収穫は翌2013年の3月です。

もう1つ、GRAアグリプラットフォームという会社を経営しています。どこかの企業が農業をやりたいといったときに、GRAで得たノウハウとブランドを提供するというものです。これはNECとJA三井リースのほか、産業革新機構というファンドからお金を調達して取り組んでいるジョイントベンチャーです。

農業は初期投資が1億円単位でかかるので、自分たちだけでやるのには限界がある。だから外部から資金を調達する。もっと言うと、我々は雇用を増やすために経営体を増やさなければいけない、経営者を育てなければいけないという思いがあります。

農業経営体をたくさんつくり、彼らが農業で地方を支えていく。そうした基盤をつくることをミッションとしていて、それをフランチャイズで横展開しようという発想が出てきました。ファンドなどと話を始めたのが2012年ぐらい。発表したのが2015年3月です。

新規就農したいという企業や個人を集めて、その人たちにイチゴ栽培って面白いですよって説明して参入してもらう。本社がある山元町で研修を1年やってもらって、独立してもらう。のれん分けみたいなものですね。こうした事業をGRAアグリプラットフォームで手掛けています。

農業は流動費ビジネスなので、基本的に個人の農家さんに研究開発に投資する余力はありません。でも、100人のチームとして農業をやれば、100軒の農家からデータが集まる。ビッグデータと同じ考え方で100軒の農家が集まると、すべての農家が1軒で100年かかる経験を1年で得られます。高速PDCAがそのチームの中で回していけるという発想です。

伊藤: そのイメージは、GRAの山元町の農園をつくった段階からあったのですか。

岩佐: もちろん。つくるずっと前からありました。

伊藤: 山元町まで多くの人が1年間研修に訪れるというところも?

岩佐: そうですね。交流人口が増えることと、山元町で就農する人が増えることを目指して始めたわけですから。震災から4年半たちますが、恐らく人口の20、30%がいなくなっている。とにかく人に来てほしい。素敵なビジネスがあって、ミガキイチゴみたいなものが作れて、そこに住んでいこうという若い人たちが集まってくることが、地域活性化につながるという思いがある。今では、我々が土地を手当てして、山元町で農業をするための場所を確保するという定住支援もしています。

もう1つ、NPO法人GRAという顔があって、そこでコミュニティーデザインや子供たちの教育を手掛けています。ビジネスをつくる、ビジネスを担うための人をつくる、その人がつくる町を活性化させるためのコミュニティーをつくる。そんなサイクルをぐるぐる回していくことを目指しています。

すぐ動ける人と動けない人の違い

伊藤: 岩佐さんと初めて会ったのは震災直後ですが、当初はまだ農業生産法人をやっていくとか、横展開の話などはなかった。あっという間に農場を作り、海外に行き、ジョイントベンチャーを始めた。いろいろなことを矢継ぎ早にやっている。展開の爆走感はものすごい。そのスピードを生み出す原動力というか、エネルギーは何だと思いますか。

岩佐: 何でしょうね。1つには危機感があります。スタートアップは初めが肝心です。最初の段階で加速をつけてやっていくことで、認知度が高まり、深く浸透していく。間が空くとそうはいかない。だらだらやっていたらすぐに忘れられてしまう、そういう危機感はあったかもしれません。

あとは人生の一回性。人生は一度きりだし、30代から40代に入ろうとしているジェネレーションでこんなに飛び回れるときって一生のうちにもうない。今やらなくていつやるという人生観、これがもう1つあるかな。

もう1つが使命感です。今、自分が東北で始めた事業が多くの方に認知いただいていて、農業従事者が増えたり、勇気付けられたりしたという方が増えている。我々が失速したのでは東北、あるいは日本の農業全体のエネルギーの失速につながってしまう。東北という地域や日本の農業を盛り上げるべく、ずっと旗を振っていなければいけないという使命感があります。

伊藤: その使命感は東北に対してですか。

岩佐: 最初は山元町でしたが、その次に東北、日本の農業へと広がりました。最近では世界にも目を向けています。地球全体で考えると、人口はいずれ90億人に達し、食料不足の時代に突入していくわけです。世界規模で農業をどうしていくかという課題にも興味があります。

伊藤: 僕たちが最初に出会ったパネルディスカッションが実施されたのは2011年の5月です。実を言うと、「震災からすでに2カ月も経ったこのタイミングで、これまで僕らがやってきた話をして意味があるのかな」と少し疑問に思っていました。でも、「パネラーの話を聞いて、何か自分も動かなきゃと思った」「自分の持ち場でやれることをやらなければ駄目だと気付いた」という声をたくさん聞いた。案外動いている人は少なかったのだなとあのときに感じたんですよね。

岩佐: ああいった局面で、すぐ動ける人と動けない人がいます。自分は社会の一員であって、その中で自分がどういうふうに役に立てるかということを体の中に落とし込めていない人は動けないでしょう。

伊藤: そういう社会とのかかわり感みたいなものを持っているから、さあ、行かなきゃとなる。自然に体が動いている感じは確かにありますよね。

岩佐: 誰かに言われたからじゃなくて、脊髄反射みたいに動く。

ビッグピクチャーというビジョンを示す

伊藤: そこでちょっとお伺いしたいのは、震災の経験が岩佐さんの人生に影響を与えたというのは間違いないと思いますが、パーソナリティーも変えるくらいのインパクトがあったのか、それともあまりそういう意識はないのかという点です。

岩佐: パーソナリティーは全く変わっていないと思います。

伊藤: ただ使命感はある程度、育まれた?

岩佐: そうですね。当時、在籍していたグロービス経営大学院の仲間をなぜ被災地に連れていったかというと、社会のリーダーとしてこれから日本を引っ張っていくような人たちは、僕が震災直後に見たあの風景を見ておくべきだと思ったからです。

伊藤: それって極めて自然な行動なのでしょうね。見せたら、皆、やるべきことが見えてくるだろう、と。

岩佐: 実際、僕自身、たくさんやるべきことが出てきたわけです。じゃあ、それをやるぞと。最初は泥かきをしていました。そのうち次は産業復興だと。僕らはビジネスパーソンなのだから一番役に立てるのはビジネスだということで、山元町で一番大きな産業だったイチゴ栽培を、MBAの知識をフルで注入してもうかるビジネスにしようと考えたのです。

伊藤: 具体的にどう取り組んだのですか。目の前のことを一つひとつやっていったという感じでしょうか。

岩佐: 泥かきをしていたときから、町のキーパーソンを呼んでディスカッションをするということを毎晩続けていました。その過程で出てきた様々なアイデアをベースに「こういう町をつくろう」というビッグピクチャーを描いたんです。7月くらいかな。あとは、それに従って淡々とやっていっただけ。結果としてその絵にいい感じに近付いている。今のところはそう思っています。

伊藤: 今、実際に爆速でPDCAを回しているけど、それはビッグピクチャーがあるからできる?

岩佐: そうです。それだけです。

伊藤: 震災前、岩佐さんはズノウのビジネスの中でビッグピクチャーというビジョンを示していたのですか。

岩佐: していません。地域や人の営みとビジネスを分けて考えていましたから。中期経営計画を精緻に作成していましたが、今、見るとビッグピクチャーでなく、テクニック論にすぎない。それが社会にどう作用して、社会の成長や課題問題の解決とともに自社が成長していくというイメージではなかった。それが大きな違いです。

伊藤: ビッグピクチャーというビジョンを示すというのが、岩佐さんの大きな変化だったのですね。

岩佐: 社会からIT的なストレスを追放するというミッションを描いていましたが、それは体に染み込んでいない、上っ面だけのものでした。今は何かに取り組むとき、利益が上がるかということと同時に、社会にどんなインパクトがあるか、いわゆるソーシャルインパクトということを考えるようになりました。

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