人生訓として持ち続ける“卒業生”も
リクルートの旧・社訓「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」は、創業から8年目に当たる1968年に、創業者である江副浩正氏によって作られた。1989年に公式の社訓としては姿を消した(理由は後述する)が、2006年現在も、この社訓が入ったプレートを机に飾るベテラン社員がいるなど、同社の中にいまも強く根付いている。
リクルートを“卒業”して独立した人々の中にも、この社訓を人生訓として持ち続けている人は少なくない。リクルートの看板媒体の一つ「ゼクシィ」を立ち上げ、その後、2001年に同社を退職してウェディング事業会社などを起業した、小岸弘和・ディアーズ・ブレイン社長も、その一人だ。「リクルートにいる間も、リクルートを辞めてからも、この言葉を胸に刻みながら仕事をしてきた」と、話している。この社訓は、なぜここまで強く、受け入れられたのか。
「新しい価値」を生み出すユニークな仕掛け
アグレッシブさをつくる特徴ある制度
一つの鍵は、同社の制度にある。
「最も従業員が行動的な企業はどこか」「最も新しいことにどんどんチャレンジする企業はどこか」——ビジネスパーソンにこれらの問いを投げかけたとき、リクルートは間違いなく上位にランクインするだろう。最近では、フリーマガジン「R25」の立ち上げ、医療情報事業への進出などでも世間の耳目を集めた。
新規事業に対する取り組みを支えるのが特徴ある人事制度だ。「New-RING」と呼ばれる社内新規事業提案制度では、入社年次によらず、すべての社員が新規事業の提案を行うことができる。
グランプリに輝いた企画は実行に移されると同時に、取得チームには数百万円の賞金が授与される。これだけだと珍しい話ではないかもしれない。特筆すべきは、参加者全員に参加賞として2万円相当の商品が授与される点だ。ここまで徹底して新規事業の提案を従業員に鼓舞している企業はリクルート以外に例を見ない。こうした働きかけが、先述の「R25」ほか、同社の主力媒体「ゼクシィ」「AB-ROAD」「HotPepper」の誕生に寄与してきた。
「仕組み」と「行動規範」の整合を図った先駆け
リクルートのアグレッシブさは新規事業開発だけにおけるものでは無論ない。既存事業においても、屋台骨が傾かぬよう、常に新しい施策を打ち出し続けることが奨励されている。新しい価値を生み出すことに、会社を上げて取り組んでいるのである。
とは言え、制度だけで社員が動くのであれば経営者も苦労は要らない。実際、もし「New-RING」などの仕組みだけを真似たとしても、大多数の会社でそれは、数年もたたないうちに有名無実化するであろう。
ある仕組みが効果的に機能する背景には、仕組みのさまざまな施策が整合している(例:人事評価制度でチャレンジを促していても、採用の際に保守的な人材を採っていてはチャレンジは生まれにくい)ことに加え、従業員の行動のベースとなる経営者の強い信念が必要だ。これらが一体となったとき、初めて「従業員の行動→その行動を好む新たな人々の誘引→従業員の行動の強化」「従業員の行動→成功パターンの蓄積→従業員の行動の強化」という複数のグッドサイクルがうまく回るようになり、模倣しにくい競争優位へとつながる。
リクルートにおいて、「新しい価値を生み出すこと」に対する経営者の強い信念を表し、同時に従業員を引きつけてきたのが、まさに、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という社訓だった。
そして同社はこの社訓を壁に掲げるだけではなかった。「何かをしでかしそうな人材」を採用するとともに、社内懸賞論文制度や自己申告制度(異動を希望する社員は直接総務部長あてに申告するという制度)、「RING」(New-RINGの前身の提案制度)など、従業員の積極的な行動を促す施策を次々と導入し、新規事業を推進していった。
即ち、「経営者の信念(=行動規範)」と「仕組み」が同じベクトルを向き、正の循環を回していったのである。
驚くのは、これらが1970年代から1980年代前半にかけて導入されたということだ。「個の自立(自律)」が経営のキーワードとなるはるか20年前に、こうした制度を導入した点に、リクルートがオンリーワンの情報企業として台頭した一因がある。
普遍的な魅力なしには人の心には残らない
さて、どれだけ経営者の想いが強かろうが、あるいは制度と整合していようが、内容そのものに普遍的な魅力がなくては、社訓が従業員に強く受け入れられることはないだろう。その点、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」は普遍的な魅力にあふれている。
第一に、社訓でありながら、会社よりも個人にフォーカスを置いている点が挙げられる。多くの社訓が、最初から会社側に軸足を置いているのとは対照的に、「まずは自分の成功のために考える。そしてそれが結局は会社のためになる」という発想は、いまでも斬新だ。
第二に、個人と会社の距離感が極めて現代的だ。「自ら機会を作り出し」の裏側にあるのは、「待っていても会社は機会を与えない」という突き放しの精神だ。「会社は自由を与えはするが、あくまでも責任は個人がとる」「会社と個人はWin-Winの関係を目指すビジネスパートナー」「結果を出せる人間は、自ずと高いエンプロイアビリティを獲得し、高い市場価値がつく」という発想は、ある意味でドライともいえる。しかし、こうした合理的な発想が、いわゆる日本的経営のアンチテーゼとなり、多くの人を引きつけ続けてきたのもまた、事実である。
さて、この社訓であるが、1989年に起こったリクルート事件後の再生の過程で「企業理念」「経営三原則」を新たに掲げたのと前後して、公式の社訓という位置づけからは外されることになった。これについては色々な意見があるだろう。だが、事件後の混乱で抱えた1兆円を超える借金を10数年でほぼ返済し、今なお強い企業としてあり続けているのは事実だ。そしてそのエネルギーの源泉となっているのが、この言葉に象徴される強い企業文化であることは、疑いようがない。
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