企業にとって顧客の要望、ニーズを汲み取ることは重要でしょうか?
多くの読者が「イエス」と答えるでしょう。顧客ニーズにマッチしている製品・サービスは売れます。顧客の要望、ニーズを理解し、それに応えることは企業経営の基本と言えます。しかし、闇雲な顧客至上主義は、企業の業績を損ないかねません。ポイントは、バランス感覚です。それを説明していきたいと思います。
よくある失敗例は、あらゆる顧客の要望を高い次元で満たそうとしてしまうことです。BtoCのビジネスでは、顧客数が多いため、すべての顧客の要望を満たそうとは最初から考えないことが多いのですが、BtoBでは顧客を固有名詞で特定できることが多いため、往々にして企業は顧客の個別ニーズに最大限に応えようとしがちです。特に、現場の営業担当者は、そうしないと取引を縮小、あるいは切られかねないという恐怖感を常に持っています。これが、顧客の無理難題に応じてしまう土壌になります。
顧客の要望に応えれば確かに顧客は喜びますが、一方で、商品スペックの微変更や、デリバリー(納期、納品方法など)の個別対応、さらにはボリュームディスカウントのルール等まで企業別に対応していては、管理コスト、調整コストが高くなりすぎて利益率を大きく下げる、下手をすると赤字になってしまいます。いったん無理な要望に応えると、ますます顧客の要望がエスカレートし、コストがかさむ悪循環が起きがちです。
収益性の高い企業は、個別対応は極力減らして標準品、標準デリバリーを維持しつつも、「ここだけは」という場合のみカスタマイズに応じています。また、標準品を組み合わせることで個別カスタマイズと同等の効果を出すという工夫もしています。顧客の要望を金科玉条のように考えて振り回されていては、自社の利益にならないどころか、長期的には顧客のためにもならないのです。
顧客の要望を聞き入れることが企業を窮地に追いやる別の例として、ハーバード大学のクレイトン・クリステンセン教授が提唱した「イノベーションのジレンマ」を挙げることができます。イノベーションのジレンマは、「優良企業は真面目に経営するがゆえに失敗する」という驚くべき逆説を含んでいます。最初の例のようにあらゆる顧客の要求に応えるという極端なことをしないまでも、業界の上位にいるような優良企業は、重要顧客や先進顧客の要望には敏感になり、それに応えようとするものです。
そのこと自体は非難されるものではないのですが、そうしている間に市場の片隅で破壊的イノベーションが生じることがあります。特に「ローエンド型」の破壊的イノベーションは、最初は品質も低く、優良企業から見るとおもちゃのようにしか見えないため、無視することになりがちです。しかし、そうしたローエンド型の破壊的イノベーションは、徐々にレベルを上げ、気がついたときには市場の多くの人々に受け入れられるようになります。一方、優良企業は気がついたときには過剰スペックになってしまっており、費用対効果が合わず、一部の顧客にしか相手にされなくなってしまうのです。
かつての銀塩フィルム(による写真)に対するデジカメ(による写真)がその例です。当初デジカメは画素数が少ないなど品質は良くありませんでした。そうしたこともあって業界1位のコダックはこれをあまり重視せず、銀塩フィルムのさらなる高性能化に資金を投下しました。しかしその後、デジカメやデジカメ内蔵のスマホの台頭に押され、銀塩フィルムはほとんど市場から姿を消し、コダックは米連邦破産法11条の適用を申請することになったのは有名な話です。
現在進行形の別の例としては、たとえば受験業界で、今はまだ品質が高いとは言えない受験アプリ(リクルートなどが提供中)が徐々に性能を上げる結果、大手予備校の市場をどんどん奪っていく可能性もあるのです。
今回は2パターンほど例を挙げましたが、「顧客の要望に応える」という一見自然に思えることが、状況によっては大きな危険性を内包していることは理解しておきたいものです。特に、現場の担当者にとっては、目の前の顧客の要望に安易に応えたくなる“誘惑”に駆られるものですが、多くの場合、「思考停止」に陥っているのではないでしょうか。いったん視座を上げ、経営的な観点から物事を見るようにしたいものです。具体的には、顧客の要望に応えることの費用対効果や、いま相手にしている顧客が「将来」どのくらい重要な顧客になるのか、あるいは自分たちの製品・サービスの価値を根源的に破壊しまうような代替品がないかといったことは、最低でも意識しておくべきでしょう。
よく3C分析(市場・顧客、自社、競合に関する分析)でKSF(Key Success Factors:成功のカギ)を押さえることが重要と言われますが、現在だけではなく、「未来の3C」をイメージすることが大切なのです。