先日、あるメディアに以下のようなフレーズが載っていました。
「ソニーだけじゃなく、日本通信、日本板硝子、ユニデン、ホシデン、シャクリー・グローバルGの5社は、昨年も単体赤字決算もしくは無配当なのに1億円以上の役員報酬を払っていた」
この記事を見ると、株式公開をしているにもかかわらず、無配当の会社は、赤字企業と同様に失格というトーンです。しかし、無配当というのは本当に悪いことなのでしょうか。今回はこの点を中心に、企業の配当について考えてみましょう。
筆者も長年株式取引をやっているのですが、確かに無配当の企業はその年の業績が悪いという傾向はあるように思います。リーマンショックの時などはそうした企業が少なくありませんでした。アメリカでは配当を行うためにあえて借入れをすることもあるほどです。「無配当 = 株主に還元できるだけの利益が上げられなかった」と見なされるわけです。
一方で、全く逆のパターンもあります。例えば成長中の若い会社の場合です。1975年創業のマイクロソフトは、ベンチャー企業時代はもちろん、Windows 95やWindows 98などで極めて高い利益を上げていた90年代も無配当を続けました。同社が初めて株主に配当を還元したのは2003年になってからのことです。この時、市場では、「ついにマイクロソフトも配当を出すような会社になってしまったのか」という、がっかりしたような声が聞かれました。まるで配当を出すことが悪いことでもあるかのようです。
こうした相反する状況をどう考えればいいのでしょうか。
ファイナンスを学ばれた方ならお分かりだと思いますが、配当を出すことは必ずしもプラスとは限らないのです。特にベンチャー企業の株主からしてみると、中途半端に配当で還元してもらうよりも、業績をさらに高めるような投資にキャッシュを投下し、成長や利益拡大を通して株価を上げてもらう方が嬉しいという側面があるのです。
配当(インカムゲイン)をもらうよりも、株価上昇(キャピタルゲイン)の方が嬉しいという理屈です。先ほどのマイクロソフトの事例は、「さすがのマイクロソフトも、キャピタルゲインを大きく上げられるような投資ができなくなってきたのか」という市場の期待とのギャップが、その背景にあったのです。
成長著しい企業に比べると、ある程度成熟した企業は配当による株主還元と、さらなる株価上昇を意識した投資へのキャッシュ振り分けとのバランスを考えるようになります。日本で言えば、東証一部に上場しているような大手企業は、経営環境や利益の状況を見ながら、どの程度を株主に配当として還元し、どの程度を将来の成長に向けた投資に振り向けるかを検討するわけです。
ここでもう1つ問いを立ててみましょう。
株主に還元する配当を増やすことは、企業価値を高めるのでしょうか、それとも低めるのでしょうか――。
ファイナンス理論に基づけば、答えは「変わらない」です。詳細は省きますが、ノーベル賞を受賞したMM理論(モジニアーリ=ミラー理論)を前提にすると、配当の増加や自社株買いといった株主還元政策は、企業価値に影響を及ぼさないのです。
そうした著名な理論がある一方で、実際には、増配を発表した企業の株価は上がり、減配を発表した企業の株価は下がります。これをシグナリング効果といいます。増配(減配)するくらいだから、企業は将来の業績に自信を持っている(逆に自信がない)のだろうと市場は判断するわけです。シグナリング効果が逆に働くこともあります。成長途上の企業の場合に、「配当するくらいだから、もう有効な投資先はないのだろう」とマイナスに判断されてしまうケースです。同じ「配当を増やす」という行為が全く別のメッセージとして市場に伝わるというのは興味深い事実です。
その境界の判断は簡単ではありません。こうしたところが理論と実務の乖離する部分であり、ファイナンスの醍醐味とも言えます。優秀な実務家は、理論は理論として理解した上で、その前提の非現実性(例:市場は完全に効率的である)や理論の限界、さらには人間の心理をも理解した上で、より効果的な意思決定を行うのです。
さて、最初の質問「無配は悪いことなのか?」に答えましょう。
成長途上の若い企業であれば、無配はむしろ当然で、配当を出すこと自体が成長減速の表れと判断されてしまいます。
成熟した企業であれば、無配は企業業績がかなりシビアな状態(多くは赤字)にあることを示すため、好ましいことではありません。
いずれにしても、将来に向けて有効なキャッシュの使い方ができるような戦略を策定して実行することが、企業価値を高める早道です。