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【古事記】日本に強力なリーダーが少ない理由は?(後編)

投稿日:2014/11/13更新日:2021/11/30

前回、現代の日本でよく言われている「強力なリーダー不在でも成り立つ組織」、いわゆるミドルアップ、ボトムアップ的な組織の特徴を、『古事記』上巻に現れる組織運営に見いだせるのではないか、そして、それが日本人の組織における行動様式や思考の原点になっているのではないか、という私見を述べました。そのポイントは、「中心」が「周辺あるいは下位組織」に対して一定の働きかけはするものの、それが絶対的な力を持ってコントロールするということはなく、どちらかというと、その働きかけを受けた「周辺や下位組織」が自律的に機能することによって成り立っているということでした。

この後編では、臨床心理士で文化庁長官でもあった河合隼雄氏が唱えた日本神話における「中空構造」に触れながら、「強力なリーダー不在でも成り立つ組織」の本質について考えたいと思います。

神話の中にも存在する「存在感の薄い神々」

河合氏は精神分析家になるために、アメリカ、スイスに留学します。そこで彼は、生まれ故郷を離れ、核家族あるいは個人単体で生活する現代人というものは、共同体とのつながりを失い不安の時代を生きるものであり、そこには自らの来歴と行く末を語る「生きるための物語」が必要だと考えるようになります。そのうえで自己の内面をひたすら探索しようとする深層心理学の立場で、昔話や神話を分析することを学んだといいます。その過程で、自分の心の深いところでは日本の神話が大きな意味を持っていることに気づき、日本人の心の深層を、日本神話を読み解くことで解明しようとしたのです。

その日本神話の一連の研究で、『古事記』上巻の重要な節目には、三柱の神によるグループが登場するのですが、本来ならその中心に位置するはずの神が何の実体も持たないことに着目しました。ちなみに神は「人」ではなく、「柱」(はしら)で数えます。

河合氏によると重要な節目は三度あり、それぞれにこのような構成の神のグループが登場します。一度目はすべての始まりである冒頭「天地(あめつち)初めて発(あらは)れし時」で現れるアメノミナカヌシとタカミムスヒとカムムスヒです。二度目は国土造りを始めたイザナギが、黄泉(よみ)の国から戻ったときに生み落としたアマテラスとツクヨミとスサノヲです。三度目はオオクニヌシより国を譲り受けたアマテラスの孫ニニギが日向の地に降り、コノハナサクヤヒメとの結婚によって生まれた三兄弟の神、ホデリ、ホスセリ、ホヲリたちです。いずれも、国の統治がこれまでとは違う転換を迎えたときに現れるグループです。

第一のグループのタカミムスヒとカムムスヒは、その後も国造りのある役割を担って登場しますが、アメノミナカヌシについてはその名前が冒頭にあるだけで何も語られません。第二のグループでは、アマテラスとスサノヲの姉弟争いが語られますが、その間に生まれたツクヨミは後にも先にも登場しません。さらに第三のグループでも、ホデリとホヲリは海の幸彦、山の幸彦の兄弟争いの話しとして有名ですが、その間に生まれたホスセリもツクヨミ、アメノミナカヌシと同じで、名前があるだけでその実態は語られないのです。

このことに着目した河合氏は、このようなグループの構造を「中空構造」と名付けました。国造りの役割を担う、姉弟、兄弟争いを繰り広げるといった動的なエネルギーを持つ他のニ柱の中心に、存在はするものの何の働きもない無為の神が位置することこそが、中心がない、中心が空だというわけです。そしてその構造は「中心に強力な力があって、その力や原理によって全体を統一してゆこうとするのではなく、中心が空であっても、全体のバランスがうまくできている」(『神話と日本人の心』岩波書店)ものだとして、日本人の心の在り方に深く関係し、これ以後に発展していった日本の思想や宗教、社会構造の原型だと考えたのです。

私はこの「中心が空である」ということの意味を肯定的に読み取ろうとする氏の説に共感し、例として取り上げている物語は違うものの、やはり太古より存在する日本の組織運営の特徴に通じるものがあると思いました。その「中心」は、周辺あるいは下位組織に対して一定の働きかけはするものの、それが絶対的な力を持ってコントロールするということはなく、どちらかというと、その働きかけを受けた周辺や下位組織が自律的に機能することによって成り立っているという構造は、同様のものだと感じたのです。

そして河合氏は、このような「中空構造」は『古事記』の世界だけではなく、現代の日本社会にも見出すことができるといいます。それは、どんなものに対しても寛容的で受容的な文化であり、今回のテーマともなっている強力なリーダーが不在でも成り立つ組織でもあります。あるいは、何かあったときの責任の所在が明確でない組織や、校内暴力が吹き荒れた時代の学校運営、父親の存在感が薄く母と子の密着が強いといわれている戦後の核家族の姿だというのです。

中心が空であるということがプラスの方向に機能しているならば、絶対的な価値は存在しないので、新しいものや異質のものを受け入れやすく、周辺の自律的な力や調整力、そのバランスで成り立つことができます。しかし、マイナスの方向にしか機能しない場合は、求心力がないが故に周辺同士が依存的、癒着的になり、放射的に影響力が及ばないが故に全体の統制がとれずにまとまりがないといったことがおきるという特徴があります。特にマイナスの機能が優位なときは、他の文化圏の人の目には「日本人特有のあいまいさだ」と映るのでしょう。

イザナギとイザナミに見る日本の中間管理職の原点

では、このような観点からもう一度「強力なリーダーが不在でも成り立つ組織」を考えてみましょう。

強力なリーダーがコントロールしなくても成り立つミドルアップやボトムアップといわれる組織の運営は、これまで見てきたとおり日本では太古より行われており、実は日本人の心にしっくりと馴染んだものであるということがいえるでしょう。

ビジネススクールの教科書にもあるように、ミドルアップもしくはボトムアップ式の組織の長所には、現場の人たちによる戦略立案と実行であるため、環境の変化に適用しやすい、関係者の合意が得やすい点などが挙げられます。一方、問題点としては、多数の人の合意で作った戦略であるため、失敗したときの責任の所在が不明確で、緊急事態や意思決定・実行のスピードが求められている状況下においては向いていないと考えられています。特に問題点については、日本の組織の代表的な特徴として海外からも指摘されたり、槍玉に挙げられたりしているとおりです。

しかし、私が今回注目したいのは、先述した「中空構造」がプラスの方向に働いたときの、中心が空であっても、周辺の自律的な力や調整力、そのバランスで成り立つということです。例えば、前回解説したイザナギ、イザナミの物語では、この二柱に国土造りの命を下した神々が自らの手を動かさず丸投げする、実質的には何もしないというリーダーの在り方が「中空」でした。そのようなリーダーのもとでは、イザナギとイザナミのように、一から十まで事細かに指示しなくても、自ら考え行動し、何かを成し遂げていくことができる人材が育つと考えます。

私自身のこれまでの経験からも、「こんな方向で、あとは適当にやっておいて」といって丸投げしてく上司ほど、自分自身が鍛えられ、業務の幅が広がっていったように思います。アウトプットの最終形をイメージしながら、いつまでに何をどうやっていくのか、それに必要な人員や予算などをどうやって確保するか、どの部署や人と調整しておくべきか、チーム内にどのように情報共有すべきなのか、などを自分で考え実行していかなければならなかったからです。このようなご経験があり、うなずかれる方は多いのではないでしょうか。

また、部下が自立して自律的に仕事を進めながらも、途中、うまくいかないことがあれば、「日本的な上司」はうまくいっていないことの要素を一つひとつ解きほぐし、その解決に向けた思考を促し、時には関係者や関係部署とも調整します。実はイザナギとイザナミも最初の生産活動がうまくいかず、命を下した神々に相談し、その教えに従って次はうまくいったというくだりがあります。

そのときのリーダーの役割は、河合氏の言葉を借りるならば「世話役」であり、「自らの力に頼るのではなく、全体のバランスを図ることが大切であり」「たとい力や能力を有するにしても、それに頼らずに無為であることが理想とされる」(『中空構造日本の深層』中公文庫)のです。

このような組織やリーダーのもとで鍛えられた日本人の能力は、その勤勉さと相まって実務者として優れ、世界でも高く評価されています。それはミドルアップ、ボトムアップの組織運営やリーダーシップの強みが活かされていることの証ではないでしょうか。

このように考えてみると、太古より行われていたミドルアップ、ボトムアップの組織運営やリーダーシップは、私たち日本人にとってはあまりにも心に馴染みすぎて、当たり前すぎて、無意識にただなんとなく習慣で行っているというところがあるのかもしれません。

しかし、その長所や問題点を認識し、特に長所を組織や事業の規模、成長ステージ、事業や業務の目的、意思決定や経営課題の内容に合わせて、意識的に活かす必要があるのではないかと私は考えます。そのことによって、組織全体、トップリーダー、ミドルリーダーや現場スタッフにとってよい結果をもたらすことができ、「責任の所在が不明確な組織」とか「緊急事態には対応できない組織」といった無用な批判を避けることができるのではないでしょうか。

おそらくみなさんの職場でも、通常の業務は現場重視のボトムアップ、ミドルアップで運営され、プロジェクトによっては社長の直轄のトップダウンで運営されるということがあるでしょう。あるいは、ベンチャー企業において、創業からある時期までは創業者のトップダウンで動いてきたが、企業の規模や成長のステージに合わせて、社員が自律的に考えて動くミドルアップ、ボトムアップに徐々に移行していくということもあると思います。

稲盛流JAL改革、実は「日本的経営」への回帰だった

組織の運営方法を組織の経営課題に合わせて意識的に切り替えた事例としては、稲盛和夫氏による日本航空再建が挙げられると私は考えています。破たん企業の経営再建という緊急課題に対して、外部からトップリーダーを招き、その指揮のもと、再建に向けた改革が実行されました。

長年、経営危機がうわさされながらも決定的な状況に至ることなく、それがかえって内部の人たちの「なんとかなるだろう」「国がどうにかしてくれるだろう」という当事者意識や危機意識の欠如につながったといわれています。仮に危機意識があったとしても、経営陣や現場に長年巣食う社内慣習や人間関係のしがらみ、個人的な感情などが、痛みを伴う再建を阻んだことは想像に難くありません。しかし「経営破たん」という決定的な状況を迎え、外部から招いたトップリーダーの意識改革によってそれらは断ち切られ、全社を挙げて経営再建のためになすべきことがなされました。

現在の社長である植木義晴氏はインタビューで、この改革の背景には、改革前の「中央集権的」な組織から脱却し、自ら考え行動する組織に変えたいという思いがあったと語っていました。トップダウン、ミドルアップ、ボトムアップという言葉こそは使っていませんが、これまでのような本社あるいは中央機能が決めたことを現場が黙ってこなすトップダウン的な組織ではなく、現場が当事者意識を持って自律的に考えて動くミドルアップ、ボトムアップ的な組織へ意図的に移行していった改革であったと思われます。

1便当たりの収支管理の重要性や、心をこめたサービスの在り方などをスタッフの一人ひとりに説いて回ったという、稲盛氏が行った改革についての一連の記事などを読むと、現場の目線、現場の感覚を重視した改革だったがことがよく分かります。稲盛氏と日本航空は、改革したことが現場で、そして現場の人々によって再現、維持されなければ意味がないと考えたのではないでしょうか。

さて、この改革を「中空構造」の観点からみていくと、次のような特徴があります。

まず、経営破たんを食い止めることができる人材なり仕組みがなかったこと、あるいは改革をリードできる人材が日本航空内にいなかったこと自体が、「強力なリーダーがいない」、「中心が空」の状態であったということができます。それを構成する人の心も「中心が空」であるがゆえに、経営破たんしたにも関わらず当事者意識や危機感の欠如、社内慣習、人間関係のしがらみ、個人的な感情から脱却できない状態に陥っていました。「中空構造」のマイナス面、つまり求心力がないが故に周辺同士が依存的、癒着的になり、放射的に影響力が及ばないが故に全体の統制がとれずにまとまりがないといった状態に支配されていたのです。

しかし、組織や人の心の「中心が空」であったからこそ、外部から中心となるべき人を招き入れ、相応の軋轢(あつれき)がありながらもその人の力を借りながら改革と再建を成し遂げることができました。そして最後には、周辺の自律的な力や調整力、そのバランスで成り立つことができる「中空構造」のプラス面、つまり自分たちで考え行動する組織に転換していくことができたといえるのです。

特に、精力的に改革をリードした稲盛氏は一見するとトップダウン式の強力なリーダーであったように感じますが、先述した現場の自律を促そうとする改革内容やその行動は、自分が退任した後も、たとえ「中心が空」となっても、社員たちが自らの力で立って歩くことができる組織作りめざしたものです。その姿はまさに河合氏のいう「世話役」であり、「自らの力に頼るのではなく、全体のバランスを図ることが大切であり」「たとい力や能力を有するにしても、それに頼らずに無為であることが理想とされる」という「中空構造」のリーダーの在り方そのもののような気がするのです。

一方、そのようなリーダーに対して、現場で働く人々の中にも最初は抵抗があったようですが、この改革で「自分たちが何のために働き、この仕事を通じて社会にどんな価値を提供していきたいのか」を改めて考えることを通じて、自分たちの役割や仕事の価値を再認識したといいます。そのような現場の人たちの思いと自律的な改革への取り組みなくして、この再建はなかったといえるでしょう。

自分たちの力で立つことができる文化

これまで見てきたとおり、日本における社会や組織、それを構成する日本人の心性の「中心が空」であるからこそ、ときには頼りない状態に陥り、第三者の目にはあいまいなもの、責任感のないものに映ります。しかし同時に、「中心が空」であるからこそ、さまざまなものを受け入れ、たとえ「中心が空」であっても、そのときの状況に合わせて自分たちの力で立つことができる文化といえるのではないでしょうか。これこそが日本のビジネスでよく言われる「強力なリーダーが不在でも成り立つ組織」の本質ではないかと私は考えるのです。

このような日本の社会構造や組織、日本人の心性の特徴に自覚的になるためには、私たち日本人の心の深層にある「中空構造」を掘り起こし、そのものに意識を向け、それを言語化していく努力が必要だと河合氏は指摘しています。

さて、前回と今回の2回にわたって「強力なリーダーが不在でも成り立つ組織」について、『古事記』上巻の神々の物語や河合隼雄氏の「中空構造」から考えてみましたが、いかがでしたでしょうか。ある神々が国土を整えるようにと命を下し、それを受けた神々によって国土や国が形成された太古の物語は、このような形で日本の組織の特徴の一つとして受け継がれているようです。

次回からは、『古事記』の「オオクニヌシの国譲り」という物語を読みながら、日本人が古来より実践してきた「話し合い」について考えます。

(Cover photo: serena_v - Fotolia.com)

※前編はこちら

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