昨今、ビジネスパーソンはアートを学ぶべしという言説をよく目にする。
読者の中にも、美術展やギャラリー、あるいはアートスクールに通う方もいるだろう。美大の通信課程で学ぶ社会人も増えた。例えば京都芸術大学の通信教育部は2024年度に在籍者数が17,000名弱となり、4年連続で1万人を超えた。うち66%は社会人が占めるという。
そんなアート推しの風潮の一方、自分には縁が遠いと心理的ハードルを感じる人も多いだろう。そんな人にこそ考えてみてほしい。もし「あなたのこれまでの社会経験や知識が、アートの世界への導入になる」としたらどうだろう。
本書『芸術の価値とは何か』は、これからアートの世界へはじめの一歩を踏み出そうとするビジネスパーソン向けのガイドブックだ。
ビジネスパーソン向けの、アートの座標軸
著者の秋元雄史氏は、金沢21世紀美術館の館長などを歴任したアートのプロフェッショナルだ。秋元氏は、あとがきで本書の狙いを「美術業界での知見をもとに、アートを読み解くための座標軸を示すこと」だと述べている。
内容を目次から少し挙げれば
- 資本主義に育てられるアート
- ビジネスに効くアート
- 買ってみよう
- 美とは何か
などである。専門的なアート解説よりもビジネスやリベラルアーツ的な切り口から、ビジネスパーソン向けの内容になっているのがわかるだろう。
アート以外の知見こそ活きる、作品を見る力と理解する力
そもそも私は美大卒ではない。人生中盤からアートに触れ始めたニワカファンだが、それでも作品に感動はできる。そこには、ビジネスを通じた経験が効いていると感じる。
本書の整理ではなく私なりの整理だが、その効き方には2つあると思う。作品そのものを「見る力」と、作品の文脈や置かれた時代背景を「理解する力」だ。
まず「見る力」を支えるのは、人間に向き合った経験だ。ビジネスの交渉や提案の場面では、相手の表情や声の調子、身振りから、言葉にならない感情を読み取ることがある。そうした経験や、趣味と実益を兼ねてつまみ喰いしてきた心理学の知見が、作者の身体性やエネルギーを感じ取る素養になっている。また、学術書のように情報密度の濃いものに仕事で触れてきた経験は、名作から溢れ出る情報量を直観的に受け止める力にもつながっていると思う。
そう実感したのが、ミロの代表作である星座シリーズのうち、3点を東京都美術館で鑑賞した時だ。
作品の前に立って圧倒されたのは、その情報量と込められた技術だった。
画面には様々なオブジェクトが多様に配置されている。
目の焦点の置き場と、視野の広さの設定により、脳に飛び込んでくるオブジェクトの組み合わせは変わる。
この組み合わせのバリエーションは、自由かつ無数だ。
だから目を動かす度に無限に鑑賞体験が変わっていくような感覚を覚える。
この無限性に圧倒されるし、かつ引き込まれる。
そしてずっと作品を見ていると、交渉の場で相手の熱量を感じ取るときのように、
筆致の向こうにいるミロの熱量をも感じ取ることができるような気がしてきた。
このように星座シリーズ3点の鑑賞は、本当に感激した体験だった。これは、見る力が効いている。
一方の「理解する力」を支えるのは、社会を理解しようとした経験だ。若い頃の私は、企業社会で働きながら、ビジネスや社会を理解しようと経済学や経営学に触れ、歴史や思想、人類学などもつまみ喰いしてきた。こうした知識は、作品の文脈や時代背景を読み解く素養になる。企業社会で働き、生活してきた実感も、作品に込められた人間の息遣いを想像する助けになる。
秋元氏も、現代アートを楽しむには美術史や美学の知識よりも、社会学や政治学、人類学の文脈が必要になってきていると本書で述べている。まさにこの「理解する力」のことだろう。これからアートに触れようとするビジネスパーソンにとって、非常に勇気づけられる指摘だ。
星座シリーズもそうだった。この連作は、第二次世界大戦下、ミロがフランスからスペインへ疎開する中で描かれた。小さな作品のため、鞄に入れて運んだという。こうした時代背景を知ると、鞄を抱えて戦火を逃れるミロの姿が脳裏に浮かび、先ほど圧倒された画面の密度が、また違った重みをもって見えてくる。
ここまで私個人の体験を挙げたが、これは決して特別なことではない。あなたのこれまでの社会人経験も、同じようにアートを深く楽しむための強力な素養になるはずだ。
アートを通じて問いを立てる力を鍛える
AI時代において、人間に最も求められる力が、問いを立てる力だ。答えはAIが出してしまうからだ。
秋元氏は本書のあとがきで「アートは正解を教えるものではなく、問いを立てて見方を更新するための実践」だと述べている。「この作品はなぜ生まれたのか」——そう問いを立てながら作品と向き合う経験は、これからの時代のビジネスで最も重要な力を鍛えてくれる。
「アートに興味はあるけれど、よく分からない」と敬遠しそうになったら、ぜひ本書を読んでほしい。企業社会で培ったあなたの素養が、アートを楽しむことに役立つのがわかるはずだ。
『芸術の価値とは何か AIが奪い尽くすからこそ、アートに〝解〟がある』
著:秋元 雄史 発行日:2026/4/9 価格:1,210円 発行元:中央公論新社
*参照:卒業生の声~18歳から90歳代まで一万人以上が学ぶ通信制大学~|京都芸術大学 通信教育課程






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