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羯磨(かつま)曼荼羅の語りかけること

投稿日:2010/01/14更新日:2019/04/09

羯磨曼荼羅に感じる氣の源は何か

今冬、仕事で一週間ばかり京都に滞在した。その合間に東寺に参拝した。東寺を訪問したのは、東海道新幹線の車窓から見える、ライトアップされた五重塔に魅かれたからである。その東寺の講堂で、羯磨曼荼羅と出会った。大日如来を中心に、五智如来、五菩薩、五大明王、四天王、梵天、帝釈天の二十一体の仏像が安置されている立体曼荼羅である。

この羯磨曼荼羅を前にして、体と心が震えるのを感じた。この震えは京都の冬の寒さによるものではなかった。凄い意思と氣(エネルギー)を感じたのだった。

この羯磨曼荼羅の設置者は誰か。何のためにこのような壮大な仏が活動する世界を描いたのか。この一つ一つの如来、菩薩、明王、四天王、梵天、帝釈天は何を表しているのか。

東寺は、遣唐使の任を終えて帰国し、真言宗を開いた空海(弘法大師)が嵯峨天皇より賜った真言密教の根本道場である。

空海のことについてもっと深く知りたくて書店で本を集め、高野山に参拝することにした。高野山の大門をくぐり、金剛峯寺を訪ね、壇上伽藍の根本大塔にて羯磨曼荼羅に再見する。奥の院まで歩き、数多の五輪卒塔婆(墓碑)を目にする。五輪卒塔婆は、真言密教でいう所の世界を形づくる五大(地、水、火、風、空)を表す。高野の町は、金剛峯寺のみならず、その子院も、インド大陸を思わせる色遣いやサンスクリット文字に彩られている。あたかも、高野がアジアの真ん中に位置するかのような錯覚を覚える。高野山では、多くの真言僧が密教の行を日々営んでいて、仏像・仏閣のみならずその精神性が現代にも息づいているという点では、世界遺産の中でも特別な存在であると感じる。

宿坊では精進料理をいただき、勤行に参加する。勤行では、僧の方に合わせて般若心経を唱える。私の前職は(株)サン・ライフという冠婚葬祭業であり、式典部のミーティングで般若心経を唱えていたこともあり、僧の方との読経が揃う。この時も子院本堂を前に、大きな氣(エネルギー)を感じた。

密教では、即身成仏(生きている身のまま仏になれる)を説く。真言密教の行については、松長有慶氏の『密教』(岩波新書)から引用させていただきたい。

「密教の行の基本は、三密の一体化した瑜伽(ゆが)行にある。行者が本尊の前に坐し、さまざまな前行を修しおえたのち、口に真言を唱え、手に印契を結び、心を一点に集中させて、本尊を観想し、両者が一体化して融け合う。このようにして行者は肉身をもったままで、現世において悟りを得て、仏となる」

「密教の観法の対象となるのは、種子と三昧耶形(さんまやぎょう)と尊形の三種である。種子とは阿字*などのサンスクリット文字であり、三昧耶形とは月輪とか金剛杵といった法具をいい、尊形とは仏、菩薩、明王など具体的な形をもった本尊の姿とか曼荼羅を指す」(*原文の「阿」はサンスクリット文字)

「行者はまず観想の中に、種子を思い、それが三昧耶形に変じ、また本尊の具体的な姿に転じる。訓練を積んだ行者は、この三種の観法対象の転化を自在に行うことができる。そしていずれも具体的な形をとったもの(有相)から、具体性をもたないもの(無相)へと観法を進めることが要請されるのである」

一と多を自在に行き来することで、宇宙を体感する

真言密教が現代においても栄える背景には、空海や後を継いだ高僧が密教の経典のみならず、密教の行を具体的に仏具や曼荼羅を用いて確立して、それを師弟相承にて一人一人に授けていくからではないかと思う。真言密教の行についてこのような明解な解説をいただくと、曼荼羅がどのような役割を担っていたかもおよそ類推できる。

曼荼羅とは、密教の行のために、宇宙と自然・俗界までを表したモデル(縮図)なのだ。そこには、絶対的な一(大日如来:宇宙)と多(五仏、五如来、五明王から俗界まで)がさまざまな大きさの円を廻るように存在し、宇宙の胎動(呼吸)とでも表現すべきリズム(膨張と収縮)が内包されているように思われる。この一と多を自在に行き来することを通じて、行者はついに宇宙を体感するのだろう。東寺の羯磨曼荼羅から大量の氣(エネルギー)を感じたのには、理由があったのだ。

合気道の開祖である植芝盛平先生も、「我は即ち宇宙」という言葉を残している。合気道の技もまた、地球の重力(宇宙)を感じつつ、円の動きの中で、相手と私を一体化するということからすると、密教の瑜伽行と近い面があるといえるのかもしれない。

では、空海が残した羯磨曼荼羅の現代におけるメッセージとは何か。空海が現代のビジネスパーソンを前にしたら、何を説くだろうか。

空海は、『声字実相義(しょうじじっそうぎ)』の中で次のように説いている。

「内外の風気わずかに発すれば、かならず響くを名づけて声という。響きはかならず声による。声はすなわち響の本なり。声おこって虚しからず、かならず物の名を表するを、号して字という。名はかならず体を招く。これを実相と名づく」(前掲書より)

経営に携わる人間として、明るい未来を心の底から志向し、声に出していこう。(経営者の)声は、必ずや現実と相成って、企業や社会を動かし、良いものに変えていく。

経営に携わる多くのビジネスパーソンがこのような志を持ち、自らを時間的・空間的に開かれた存在と認識し、自らの視座を「『現在』と『未来』」、「『自分・自社』と『他者・社会』」を行き来させつつ仕事に打ち込むならば、きっと2010年は良いものになる。

明るい2010年を一緒に創ろう。左記が成就した姿を願に掛け、護摩の炎に捧ぐ。

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