カンボジアの山の中に、シリコンバレーのスタンフォード大学やインド工科大学(IIT)と並ぶ人材を輩出することを目指す大学、キリロム工科大学(KIT)がある。カンボジア人であれば 学費も生活費も無料で入学できるKITを2014年に創始したのは日本人である猪塚武氏。「カンボジアの次の世代のため」「日本のため」「世界のため」――地域と時間を超えて広い視野と志を持つ猪塚武社長に行動力の源泉となる想いを聞いた。
設立:2014年 生徒数:約200名(うち日本人28名) アクセス:キリロム高原(首都プノンペンから2時間)
KITはグローバルリーダーの育成を目指し、授業は全て英語で行い、IT先端技術を教える。インドやフィリピンなどから採用した優秀で情熱ある教員による高度で実践的な授業を行い、学生は1年時からVR/AR、IoTなどをテーマにした校内バーチャルカンパニーに在籍する。バーチャルカンパニーではインターンシッププロジェクトを推進し、優秀な学生は卒業後スポンサー企業に採用される。 現在、カンボジア人学生には100%の就職率が約束されており、その仕組みは学生と優秀な人材が欲しい企業の双方から評価され、カンボジア国内でもKITへの評価は高い。 カンボジアでの高等教育機会の提供という社会貢献と持続可能なビジネスモデルが評価され、KIBOW初の海外投資案件となった。
*日本人学生にも給付型奨学金制度などが用意されており、実質負担金ゼロで学ぶことができる。
いいことをしたいなら、負けてはいけない
五十嵐:カンボジアの学生は、学費だけでなく生活費も無料です。生活費まで無料にされたのは?
猪塚:カンボジアはまだまだ貧しい人が多いので学費も生活費も無料じゃないと大学に来れないんです。「なんで無料なんですか」って聞かれてよく答えるのは「Googleも無料だから」。お金のある人からお金をいただいてお金のない人は無料っていうのは、GAFAと同じモデルなんです。
Googleは、私から見たらNPOが世界を席巻したように見えるんですよ。利益が出た分を全額再投資すればNPOと一緒なので、キリロムもそれがベースコンセプト。株主が賛同してくれて配当はいらないと言ってもらえれば、そうなるじゃないですか。GAFAがそこまでNPO寄りかどうかはわからないですけど、ソーシャルインパクトとしては大きいですよね。
五十嵐:GoogleやAmazonも株主に配当は出さず、全額再投資していますね。
猪塚:今勝っているのはそういう企業です。弱いと世の中を良くすることはできないんですよね。話を聞いてもらえないですから。
カンボジアの子どもたちは気の毒なだけなんです。空爆で全部大学がダメになってしまって、内戦で70年代に知識層が全部殺されてしまった。KITが全ての人をカバーすることは不可能ですが、卒業生がリーダーとなり自分の国を良くする努力をしたらいいなと思います。
現在はたった200名の学校ですが、リーダーが起業して雇用して、従業員とその家族も含めたら10万人もいくかもしれない。我々はそこを狙っていこうということです。
五十嵐:私は教育系NPOにいたこともあって、そのNPOでも将来の社会のリーダーの育成を行っていました。NPOでは寄付を集めて活動していて寄付は共感性のお金として理解しているのですが、キリロムでは寄付は受け取っていないですよね。
猪塚:寄付でもいいんですけど、それだとなかなかスケールしない。スケールしないと弱い。弱いと負けるんです。いいことするなら、負けちゃダメです。応援してくれた人を不幸にしますから。
寄付で1万円くれる人は投資だったら10万円してくれます。投資でリターンが出てそれを再投資してどんどんスケールする――というような仕組みでGoogleが勝っているわけですから、そういう風にぶつけないとグローバルで無視できる存在にしかならない。
五十嵐:社会的インパクト投資も共感性のお金だと理解しています。KIBOWでは金銭的なリターン以上に社会的インパクトに起業家にもコミットしてほしいと思っていますし、そこをサポートしたいと考えています。将来的に卒業生から寄付を受けることはありますか?
猪塚:両方あるといいと思います。ただ寄付をしてくれるような人にはお返しをしてロスがないようにしたい。卒業生にも寄付より投資をしてほしいです。
戦争が起きない方向へ
五十嵐:カンボジアへの思いはどこから?
猪塚:スタートは日本への思いです。国の借金が増えて少子高齢化だって20年前からわかっているのに対策が取られていない。これを何とかしたくて選挙に出たんですけど落選しました。それが心に残っていて、起業家としてできる限りのことをやろうと。
ただ、日本だけで日本のことをなんとかは出来ないんですよね。起業家としてグローバルの会議に出ると日本人だけ英語ができない。海外に出れば、他国の成長カーブとか、例えばマレーシア人の友達の子どもがどれだけ優秀かとかわかりますけど、日本はまだ経済がいいし日本の中にいるとなかなか気づけない。だから、とにかく日本の若い人を海外に出したい。
五十嵐:キリロムは日本の学生を入学させることも目標にしていますよね。
猪塚:2023年に1000人の日本人に入学してもらうことが目標です。私は自分が英語ができなくて失敗した一方でアントレプレナーとして成功しました。その失敗と成功からパターン化して伝えよう、と。これからの時代は、英語とIT、ファイナンスをわからないとビジネスで生きていけないですから、そういう武器を渡してあげたい。それを使って、あとは皆さんが起業したり、仕事したりして、自分の愛する人だったりコミュニティだったりを守ってください、と。カンボジアに対しても日本に対しても同じ思いです。
五十嵐:その想いから単に大学を設立するのではなく、学園都市全体として設計されているんですね。
猪塚:そうです、学びとイノベーションの生態系をつくりたいと思っています。
五十嵐:カンボジア政府とつくられた2038年までの都市開発計画(マスタープラン)がそれですね。
猪塚:カンボジア政府とは50年の土地リース契約を結んでいるので、もっと長期のプランをつくりたかったのですが。
五十嵐:20年のスパンでも短いですか?
猪塚:軽井沢でも100年かかっていますからね。カンボジアの人が豊かになるペースに合わせて本当は40年くらいがいいなと思います。あまり早くやってしまうと外国人の町になってしまってカンボジアの人たちから愛されない。
五十嵐:場所としてカンボジアを選ばれたのは?
猪塚:場所としてカンボジアを選んだのは、政府が都市開発構想に賛同してくれたのと、様々な国を回っているうちにカンボジアが本当に親日だということがわかったからです。
戦後、日本が最初の友好条約を締結した国はカンボジアなんです。だから、あの時は助けてもらったので今度は助けましょう、または一緒に問題を解決していきましょう、ということです。ある意味政治家としての発想かもしれません。
五十嵐:政治家の視点をお持ちなんですね。
猪塚:一度も当選していませんから政治家と言ったら、本物の政治家の方に怒られますし、ビジネスですから個人の思いと切っていかないといけません。ただ、個人としてどういう方向に行きたいかは決められるので日本を良くする方向とか、戦争が起きない方向に行きたいですね。
KITが有名になったら、他の国の人も話を聞いてくれるようになってくれるかもしれませんし、争いが起きそうなところに行って「まぁまぁ(争うのはやめましょう)」と言えるくらいになったらいいですよね。
目的のない人生で幸せを感じるのは目的に向かう時
五十嵐:そこまで行動する原動力は何ですか?
猪塚:祖父母が戦争で苦労した話を聞いているので、そういう自分のルーツが関係しているのかもしれません。戦争って結局、正論と正論の戦いなので悲劇にしかならないですし。戦争があると不幸になる人が増えるので、ない方がいいですよね。
結局、人生の目的ってみんな自分で決めますよね。今、日本のためにもカンボジアのためにも貢献している実感があります。会社がうまくいったら投資家にも貢献しますし。最近学生から感謝されることが多いのですが、別に銅像を建てたいわけではなくて、いいことをしていると気持ちがいいからいいことをしています。それにいつか死ぬ定めなら、その方がいいでしょう。
五十嵐:その死生観はどこから?
猪塚:死生観というほどではありませんが、中学生の頃からアインシュタインになりたかった。人間は動物だし、動物はパートオブサイエンスだし、何が正しいかは人間がつくったものだし。宗教も人間が平和のために作り出したものだと思っています。
人生に目的はそもそもないですが、目的っていう概念に向かって全力で動いている人が幸せを感じるというメカニズムになっていますよね。宗教は目的をつくり、そこにみんなで行きましょう、と。起業家もみんな目的があります。目的に向かうのを応援してくれる人がいたら、その人たちも一緒に幸せを感じられる。そういう人が大勢いたらいいなと思います。
ただサプライズもないとつまらないから、キリロムはそういう驚きのある場所にしたいですね。最初の視察の時に私はキリロムで遭難しそうになったんですよ。元少年兵と警察官とイヌ2匹と私というドリームチームで(笑)
五十嵐:そんなことが(笑)キリロムでは、水源を探すところから始めたとお聞きしました。
猪塚:キリロムは丘の上なので、水がどこからか流れてくることはないんです。雨の表層水の動きの特定と植生から1年中水がありそうな場所を見つけました。
五十嵐:そんなところもご自身で。
猪塚:もともと地球物理学が専門なので。アクセス解析の会社で起業しましたが、そういう方が実は全然関係ない分野なんです。今は原点にどんどん戻っている感じですね。物理とか、サイエンスとかネイチャーとか。香川県の田舎の出身で周りに海もあったし、山もあったし。みんな年をとると原点に戻るんじゃないですか。
五十嵐:キリロムは故郷に通じるものがありますか?
猪塚:そういうわけじゃないですが、キリロムの木を伐っちゃいかん、と。
五十嵐:キリロムでは、木を伐らないように建物が設計されていて感銘を受けました。本当に伐採されていない。
猪塚:そうですね、それは教育目的もあります。伐らない例をたくさんつくらないとカンボジアの人は伐るんですよ。彼らにとって自然は友達じゃなくて、まだ敵なので。
ただ、香川の私の町は松で有名でした。カンボジアって松がいっぱいあるんですけど、キリロムの松の植林は日本人が関係しているはずなんです。歴史の隙間に日本人が見える。カンボジアのお札にジャパンブリッジっていう橋が描かれているんですけど、あれはキリロムの開発予算、ODAの原型のような予算ですけど、その予算でできているんです。何かと縁を感じますね。
だから、よく日本のためですか、カンボジアのためですか、と聞かれますけど、どちらかのためというより私の中で日本とカンボジアは一体です。
五十嵐:猪塚さんのお話から、本当にカンボジアと日本のことを考えていることが伝わってきました。今日はどうもありがとうございました。
カンボジアの若者に無償で高等教育を届けるキリロム工科大学。学費のみならず、寮費や食費等の生活費もすべて無料です。どのようなビジネスモデルで運営しているのか、本当にカンボジアの若者にポジティブな社会的インパクトを与えているのかーー
KIBOW社会投資として投資実行の意思決定を行うにあたり、カンボジア現地を訪問し、経営チーム、教員、スタッフ、学生など多くの方々にインタビューを行いました。その中で印象的だったのは、経営チームの大きなビジョンと強いコミットメント、それぞれの想いやストーリーを持って実践的な学びの場を提供する教員やスタッフの方々、そして何よりいきいきと主体的かつ協働的に学ぶ学生の姿でした。我々のキリロム工科大学への投資をきっかけとして、 家庭環境や地域環境にかかわらず、 1人でも多くの若者が将来のグローバルリーダーとなり、社会課題解決に貢献するという良い循環が生まれることを願っています。