前回のコラムでは、中禅寺湖のクルーズ船のサービスを題材に、「サービスの価値」についての企業と顧客の認識のギャップについて考察しました。そこで、そもそも我々は何をもってあるサービスの価値を判断するべきなのだろうか、という疑問についてお話ししました。
あるサービスが顧客にとってどのような価値として認識され、その価格の妥当性を感じてもらえるかは、そのサービスを購入する1人1人の顧客によって異なります。したがって、「顧客はこのサービスをどのような価格に見合う価値として捉えるか?」という問いによってではなく、もっと別の広い視野からサービスというものを捉える必要があるという説を述べました。
では、「別の視野」とは具体的にどのような切り口なのでしょうか?
顧客の気持ちになりきって考えるサービス価値の由来
前回、「中禅寺湖のクルーズ船」というサービスの価値には、2通りの捉え方があるとご説明しました。1つは乗船した地点から下船する地点まで同じ船に乗って移動する「距離」の価値、もう1つは湖上からの眺めを楽しむ「時間」という価値です。便宜的に、前者を価値A、後者を価値Bとしましょう。この2つのどちらかの価値がマーケティング的に見て「正し」く、またもう一方が「間違っている」と言えるならば、それはどのようにしてそう定義できるのでしょうか?そもそもAとBの価値定義には、どのような違いが含まれているのでしょうか?
そこで読者の皆さんにもう一度注意深く考えてみていただきたいのですが、これらの「価値」とは、それぞれどのようにして生まれてくるものでしょうか?AとB、それぞれの価値をある顧客が認識するに至った経緯とはどのようなものなのでしょうか?
たとえば、私がそれぞれの価値を実感している顧客になりきって考えた、それぞれの生まれてきた経緯とは、次のようなものです(ただの想像ですので、これが事実かどうかは知りません):
価値A…中禅寺湖の周囲にはいろいろな観光名所や紅葉の絶景ポイントが点在していて、しかも湖の周囲の地形は険しく、マイカーで走れる道路が整備されていないか、クルマで行くのが非常に不便(道が危なくて大回りしている)だったり面倒(駐車場と観光名所とが離れている)だったりといったことがある。そのため、それらのポイントを楽に効率的に訪れるためには、船で湖上をわたるのがもっとも便利でかつ安価だ。
価値B…中禅寺湖から眺める日光男体山の紅葉は確かにきれいだが、山並みを一望に見渡せる陸上の絶景ポイントというのがあまりない(湖上から眺めるのが一番美しい)。また、山麓の紅葉の表情は眺める角度や1日の時間帯によってもさまざまに変化するため、できれば時間をかけて湖上を移動しながら眺めるのがもっとも楽しめる。湖畔にも観光名所は点在しているが、それらの訪問には10〜20分もあれば十分であるため、湖上遊覧と同時に回れればお得感が高い。
こうして「なりきった気持ち」を書き出してみると分かるのですが、価値Aのほうの顧客は、湖畔の観光名所などを「訪れる」ということにまず大きな価値を認めており、そのための手段としてマイカーでも徒歩でもなく、船という交通にサービスの価値が生まれていることが把握できます。一方、価値Bの顧客にとっては山や紅葉など風景の「眺望」にもっとも価値があり、それを楽しむ手段として湖上に滞在する、移動しながら眺めるというプロセスそのものに価値が生じている様子です。
サービスの価値に影響を与えるプラスとマイナスの要因
まず、この想像から1つ、明確に分かることは何だと思いますか?
私が皆さんに気づいていただきたかったのは、AとB、どちらの価値にしろ、顧客にとってはこのクルーズツアーというものの価値が「他のもっと別の価値あるもの」との関連付けにおいて認識されているということです。
これは、確かに交通系のサービスにとっては顕著に見られる特徴です。交通サービスが交通サービスそれ自体として価値を持っているわけではなく、物理的な移動が必要になる何かしら別の理由というか価値に対するニーズがあるから、このサービスにも価値が生じます。しかし、これは交通サービスに限ったことではなく、「サービス」というもの全般に言える特徴ではないかと私は考えています。
というのも、サービスというのは、それ自体は商品にかたちがなく、顧客がそれを利用する都度、顧客と提供側(企業)の間に“生じる”ものだからです。となれば、顧客としてはサービスの価値をもっと別のより大きな、あるいは目に見える価値の対象と結びつけながらその必要性や期待を考え、また「そのサービスを購入して良かったかどうか」を評価したほうが、価値を捉えやすくなります。というか、そうでもしなければ、サービスというかたちのない、頭の中の経験に残っているだけのものの価値を、金銭という“物差し”によって測れる度合いで捉えることができません。
では顧客があるサービスの価値を、何か別の価値あるものとの関連、比較で捉えているのを、提供側である我々が知ることのメリットは何でしょうか。それは、そのサービスの価値や需要に影響を与える要因は何かが分かるということです。
たとえば、クルーズ船を「移動手段」と捉える価値Aは、顧客にとって訪れたい湖畔の観光名所の魅力が強ければ強いほど、クルーズ船サービスの価値も高まりますが、逆に湖畔の観光名所の魅力が減り、そこを訪れたいと思う顧客が減少すれば、このサービスの価値や需要も落ち込んでいくことになります。また、観光名所の魅力自体が変わらなくても、そこに到達するための代替交通手段が発達するほど、クルーズ船サービスの価値や需要は減っていくでしょう。したがい、価値Aは「湖畔の観光名所の魅力」がプラスの価値変動要因、「代替交通手段の利便性」がマイナスの価値変動要因である、ということができましょう。
一方、クルーズ船を「楽しむ時間」と捉える価値Bは、顧客にとって湖から眺める男体山と中禅寺湖の景色が美しければ美しいほど、サービスの価値が高まります。逆に湖周辺にゴミが散らかっているのが見えたり、湖畔や山麓に見苦しい建築物が建ったりすれば、景色の価値とともにサービスの価値も下がるでしょう。また、近隣のホテルにゆったりと美味しい食事を味わいながら移り変わる景色を楽しめる眺望レストランなどが出現すれば、クルーズ船サービスの価値は相対的に減るかもしれません。したがい、価値Bは「湖畔の風景や自然の美しさ」がプラスの価値変動要因、「湖周辺エリアの他の時間消費型サービス」がマイナスの価値変動要因であると言えそうです。
環境変化と改善策の可否から考える「サービス価値」の定義
ここまで考えてくると、中禅寺湖のクルーズ船がどちらの価値を自分たちが提供しているものと考えるべきか、読者の皆さんにもだいたいお分かりになったのではないかと思います。つまり、サービスの価値と需要の増減に影響を及ぼす要因のうち、自分たちの努力や環境変化によってプラスをマイナスよりも大きくできそうなものを探し、それに見合った価値を提供すると決めて、その対価を設定すれば良いということです。
中禅寺湖の湖畔には日本のスポーツフィッシングの開祖である故ハンス・ハンターの別邸や菖蒲ヶ浜キャンプ場、スキー場、日光山中禅寺といった寺社などがありますが、いずれも観光名所として非常に魅力的、というものでもありません(もちろん個人によって好みの分かれるところはあるでしょうが)。しかし、険しい山々に囲まれた湖畔には人の手の入っていない自然も多く、紅葉の季節だけでなく5月頃から夏にかけても美しい花が咲き誇るミズナラの原生林のハイキングなどが楽しめます。中禅寺湖の景色自体、日本百景に指定されるほどの美しさを誇ります。
また、急峻な地形が多いことから湖の周りは車道が半周程度しか巡っていません。また中禅寺温泉より先の駐車場の数も少なく、船に代わる交通手段は(特に紅葉のシーズンは)ほとんど役に立たないと言えます。湖周辺に、紅葉の全景を楽しめる大規模な時間消費型施設は特に見あたりません。
こう考えると、価値Aはマイナス要因「代替交通手段」の恐れはないものの、プラス要因「観光名所の魅力」が下がり気味で、クルーズ船会社として打てそうなテコ入れ策も特に見当たりません。一方の価値Bはプラス要因「風景や自然の美しさ」が特に大きく、マイナス要因「他の時間消費型サービス」の出現はありません。となれば、中禅寺湖クルーズ船としては、価値Bを自らが顧客へ提供するサービスの価値と位置づけ、その価値を高める努力をするのが正解となるでしょう。
価値定義の前提となる変動の見通しと可変性
あくまでこれは中禅寺湖周辺の観光の状況を、上記のように私が想像したうえで下した判断です。もし、上の状況(特に価値Aのプラス要因に対する改善策)が想像と大きく異なるのであれば、当然ながらサービスの価値定義も変わってきます。
たとえば、同じ交通サービスであっても、戦後高度経済成長期における大都市圏の私鉄などは、「移動手段」というサービス価値のほうが正しい捉え方であったと言えます。というのも、私鉄の場合は移動中の時間に楽しめる景色よりも、移動する先にどれだけ魅力的な訪問ポイントがあるかどうかのほうがサービス価値を高めるためにずっと重要だったからです。そして、私鉄各社はその価値を高めるために、都心のターミナル駅には系列資本のデパートや商業施設、劇場などを構え、反対側の郊外の終着点には遊園地や野球場といった娯楽施設を作りました。つまり、鉄道の「移動手段」というサービス価値を最大限に高めるための投資を自前で行っていたわけです。
あるサービスの価格は、どういう価値の対価なのか?という疑問に答えるためには、顧客がそのサービスに価値を認めるに至った経緯を踏まえたうえで、「顧客にサービスの価値をより高く認めてもらえるような変化が、これから起きるのか/起こせるのか」という問いを立てることによって、変動要因とそれに対する改善の可能性を考えてみるという方法があり得ることを、今回はご説明しました。そして、そのプロセスでカギになるのが、「変動要因に今後どのような影響が及ぶのか」という、環境の変化の見通しや、自力での改善策を講じることの可否にあるということも、少し見えてきたかと思います。
次回は、この考え方をもう少し発展させながら、サービスの提供価値を高めていくための、もう少し広いフレームワークについて考えてみたいと思います。ではまた。