スーツと寝間着の中間、ビジネスカジュアルの服を持っていないことに気付いた私。その背景には、男性社会特有の“ファッション無監視社会”があったのだ。(このコラムは、アイティメディア「Business Media 誠」に2008年11月27日に掲載された内容をGLOBIS.JPの読者向けに再掲載したものです)
「郷さん、けっこうカジュアルですよね」
相棒のcherryさんが私の仕事姿を見て言った。ヘンリーネックのシャツを、ジーンズにたくしこまずにだらりとたらす。皮のジャケットに、ウールのリバーシブル・マフラーをぐるりと巻く。足元はビブラムソールのブーツ、頭にはハンチング帽。仕事場には“too カジュアル”ですか?
仕事もドレスコードも割と堅めの会社に属していたころ、毎日きちんとスーツとワイシャツにネクタイを締めて通勤した。それが今は、ネクタイは干瓢(かんぴょう)のようにハンガーに連なり、ワイシャツのクリーニング代は激減。
以前同僚が「スーツの次の服はジャージですよ」と自嘲(じちょう)していたが、私もスーツの次はこうしたtoo カジュアルな服か、寝間着しかない。中間地帯の服、いわゆる“ビジネスカジュアル”をほとんど持っていないのだ。
私がビジネスカジュアルができないワケ
クローゼットをガサゴソすればチノパンツの1本くらいは見つかるだろうし、“カタギ”のシャツもあるはず。
しかし改めて探してみると、ゴルフ用のズボンやジャケットしかなかったりする。靴下はビジネス用かジョギング用のどちらか。靴も同じで、黒革靴かジョギングシューズ。ハンカチでさえ葬式モノか柄モノしかないのだ。
バリエーションはなくても、せめて昨日と同じ服は着ないように気を付けないといけない。ところが朝の眠気マナコだと、昨晩タンスに脱ぎ捨てたばっかりの服を取り出してしまったり。う~ん、これじゃだめだ。
我が装い、人の振り見て直そうか。今夏、クールビズはすっかり浸透し、秋でもノーネクタイの人が増えた。ビジネス現場のカジュアル化は進行中だ。
そうしたカジュアル化の原動力となっているのは流通の変化だ。ネクタイレスでいられる、襟高のドゥエボットーニのシャツが、スーパーの衣料品売場でも買えるようになっているのだ。
先日、新橋を歩いていて見つけた「KONAKA THE FLAG」。5センチメートル刻みの身長別スーツ販売、という店舗だ。背の高い人は3階、普通なら2階、低い人は地階となっている。
新橋の「KONAKA THE FLAG」
大多数の男には「オレって何センチメートルだったっけ?」と考えるだけでいい“吊るし購買”が良く似合う。でも、そうして楽をすると、服選びの感度や自己表現する意識がなくなり、ますます服から興味が離れそうだ。「寝間着」か「スーツ」か、「MEN'S NON-NO」か「MEN'S SAMUE(作務衣)」か。そんな二極化した服しか持てないかもしれない。
だから中間地帯の開拓はファッション業界のテーマ。ユニクロもH&Mも、寝間着とスーツの間のぽっかり空いた巨大需要を狙っている。
スーツ業界にも深慮遠謀がある。クールビズやビジネスカジュアルというルールに協力しているのは、エコや親切心からだけではない。業界はスーツから一気にtooカジュアルに走られたくないのだ。そして、普通のスーツ人間で成り立っていた会社組織も、急に社内がジーンズだらけになって風紀を乱されたくない。両者の狙いは合致した。
だが、ビジネスカジュアルが普及している女とは違い、男に普及するには問題がある。女に普及した背景には、男にない習慣があるからだ。
それは女の“監視社会”。派遣さんの派遣先での最初の洗礼は、仕事のプレッシャーではなく、女性社員やほかの派遣さんから“全身チェック”だという。出勤初日、頭のてっぺんからつま先まで、ずずいっとエックス線照射のように瞬間チェックが入る。
ヘアカラーやスタイル(「ちょっとぉ、茶、強すぎじゃない?」)、化粧スキルや化粧品レベル(「見た目は及第。でも、下地はどうかしら」)、アクセサリー趣味(「あのイヤリング、下品よね」)、服のラベル(「あの年でこのブランド! いつまでお嬢様気分?」)、姿勢や歩き方(「オバサンぽさ、隠すのうまいわね」)、ヒールの高さ(「仕事の場で7センチヒールなんてNG」)、ネイル(「どこのお店かしら」)などなど。
自分たちと同じか、違うのか。女には長い長い同性チェックリストがある。女は互いを監視し合う攻防があるから、否応なくファッションセンスが磨かれるのだ。
誰がために装う?
女は「男性のためにおしゃれしてるんじゃないわ。自分のためにするの」と言う。端的な例が胸元チラリやミニスカート。男はそれを「男性目線を集めたいからだ」と思う。そして実際、私の目線もそこに集まってしまう。集めすぎて大きな誤解を招き、事件が発生することもなきにしもあらず……。それはそれとして、男には信じがたいのだが、胸元セクシーも脚線美も、実は同性を意識してのファッションらしい。
「あたしはきちんと自分磨きしているわ」。そんな美の一定ラインに到達している自分を、同性にアピールするためのファッションなのだ。胸元も脚元も男へのサービスはあるだろうが、それはあくまでオマケ。
またファッション好きのMEN'S NON-NOクンたちも同じ。彼らも「女のためにファッションを磨いている」とは言わない。「自分磨きのため」という。男性社会は“ファッション無監視社会”。自分を監視するのは自分しかいないから、彼らはナルシストということになる。
とはいえナルシストにならざるを得ないのは、男なら皆同じ。他人の目ではなく自分の目が反映されるわけだから、男の装いはその人の生きざまと切り離せなくなる。スーツもビジカジもtooカジュアルも、それぞれの生きざまが表れる。
ファッションで生きざまを一番カッコよく体現したのが、戦後日本の独立に尽くした白洲次郎氏だと思う。白いシャツにジーンズ姿がさまになる。素で純でノーブルな彼の生きざまがカッコイイ。
男は仕事が人生。ファッションも仕事を通じて“自分地帯”が創られる。どんな仕事をしたいか、するかでファッションが磨かれ、仕事着に個性が表れる。
私のビブラムソールのトレッキングシューズ、実は何年も前に買っていたのだが、ビジネススーツと寝間着に埋もれて履く機会がなかった。“山あり谷あり”の生きざまを目指して、これとジーンズでちょいと白洲氏にあやかりたい。
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