小高ワーカーズベース 和田智行氏「住民ゼロ地帯だからこそ挑戦できた新しい街づくり」

MBAの真価は取得した学位ではなく、「社会の創造と変革」を目指した現場での活躍にある――。グロービス経営大学院では、合宿型勉強会「あすか会議」の場で年に1回、卒業生の努力・功績を顕彰するために「グロービス アルムナイ・アワード」を授与している(受賞者の一覧はこちら)。今回は2021年「ソーシャル部門」の受賞者である小高ワーカーズベース代表取締役、和田智行氏にインタビュー。前編では、地域が理不尽を被る構造に対する「怒り」が定めた使命感や、100の事業を立ち上げる取り組みについて伺った。(聞き手=梶屋拓朗)

100の事業を回し続ければ変化の時代を生き抜ける

和田:3.11の前は2社のITベンチャーで役員をやっていました。福島で暮らし、月に1~2回東京に行くという、リモートワークベースの働き方をしていました。

梶屋:3.11当時、おいくつでしたか?

和田:33歳でした。それまでは自分の人生を自分でコントロールしたいという気持ちが軸にあって、そのために稼ごう!と働いていましたが、正直しんどさもありました。Web業界は変化が激しく、せっかく作ったサービスも競合にすぐパクられてしまう。リリースしても1年もてばいいほうで、つねに新しい事業にトライし続けないといけない。こんな働き方を50歳、60歳まで続けられるだろうかと思っていました。ゴールって何だっけ、という疑問もありました。そこそこ稼いだら早く引退したいと思っていたのですが、じゃあ、いくら貯めれば引退できるんだろう、と。

梶屋:和田さんにとって、稼ぐことは目的ではなく方法にすぎなかった。ハードワークをして稼いだとしても、結局は「Why」が見えなければ苦しいということに気づいたということですね。

そして東日本大震災、東京電力福島第一原発の事故が起き、福島県南相馬市は甚大な被害を受けました。警戒区域に指定された小高区は全住民が避難、一時期はゴーストタウンとなってしまったわけですが、小高区は和田さんのご出身地です。

和田:震災と原発事故が起きて、住みなれた場所から避難を余儀なくされ、戻ることもできない。なんでこんなに理不尽なことが起きるんだろうと正直怒りを覚えて、世の中を変えなきゃいけない、という想いが湧いてきました。

中央政府や大企業に予算を付けてもらい、リスクと引き換えに原発誘致に依存するといった地域の理不尽な構造は変えなくちゃいけない。自分たちじゃない誰かに地域の課題を解決してもらうのはもうやめよう、と。

それで地域の課題を事業を通じ解決していく街にしようという志を立てたのです。

梶屋:理不尽さに対する怒りのエネルギーが、新しい事業創りや、世の中を変えるという方向に昇華されていった。ご自身の使命感もあった気がします。

和田:実を言えば、はじめは僕も「もう小高には戻れない」と思っていたんです。震災直後、必要な物を取りに行くためだけであれば滞在が許されるという時期がありました。家族を代表して行くわけですが、ひとり現場を目にして、これは難しいなと。でも妻はじめ家族に聞くと「当然戻るでしょ」と言ったんです。ごく自然にそう言われ、はじめは「そういうつもりなら」と考えなおしていったのが正直なところです。

でも、改めて考えなおす中で、震災前から抱いていた「この働き方でいいんだろうか」という疑問への解を、自らの手で地域課題を事業で解決していく、というところに見出したんです。社会を変えたいという想いと、自分の苦しみから解放されたいという願いがバチッとハマった時、「自分がやるべきことはこれだ!」と定まった感じがあります。

また、震災前の小高区の住民は13,000人ほどだったんですが、その中に起業経験のある人間はいないだろうとも思っていました。戻ることを決めていて、起業経験があって、かついわゆる若者と言われる世代、この条件が揃っているのは多分自分しかいない、ということも使命感に拍車をかけたところがあります。

梶屋:経営において大切なことの一つに、何のために価値を創造するかという「理念」がありますが、そういう意味で言うと和田さんの理念を培ったのは、震災によって浮彫りになった問題意識だった。「何のために生きるか」を決めたことから、事業がスタートしたわけですね。しかし、なぜ100の事業を立ち上げようと思われたのでしょうか。

和田:今回のコロナ禍を見てもわかるとおり、災害や世界情勢などで外部環境はつねに変化します。1つや2つの事業を大きくしていったところで、ポキンと折られることも往々にしてある。

震災の時にそれを痛感したので、利益が薄くても多様な事業をたくさん回し、社会の変化に応じて新陳代謝を繰り返していくほうが組織としても、ミッション・ビジョンを実現するという点においても持続的ではないかと考えています。もっとも、全部自分たちで直接立ち上げて回そうとしているわけではありません。インキュベーション(起業支援)することで起業家を増やし、地域全体で100事業の立ち上げをめざしていて、現段階(2021年9月現在)で16事業を興しています。

誰も出店したがらないエリアだからこそ商機があった

梶屋:2014年に小高ワーカーズベースを創業し、同年に食堂「おだかのひるごはん」をオープン。2015年にガラス工芸業「HARIOランプワークファクトリー小高」や仮設商業施設「東街エンガワ商店」を開設されています。非常にチャレンジングだなと思います。ほかに店もない場所で、やったこともない業態によく着手されたな、と。

和田:最初は孤独でしたね。周りは「こんな場所に誰がメシを食いに来るんだ、買い物をしに来るんだ」という反応でしたから。でも「おだかのひるごはん」立ち上げ当時、人は住めなかったのですが、日中は除染や工事関係の方が5000~6000人も働いていて、小さくともマーケットはたしかにあったんです。とはいえ誰もそんなところで商売をやりたがらない。つまり競合が入ってきにくいわけです。

梶屋:今のお話は環境分析のフレームワークでいえば3C分析につながるところがあります。たしかに市場はありそうで、競合も来なそうだ。しかし自社にはヒトもカネもモノもない。特に、なかなか周囲の理解を得られない事業を始めるにあたり、どうやって協力者を集め、巻き込んでいったのでしょう。

和田:以前、地元のお母さんたちが立ち上げたNPOを手伝っていたのですが、その内1人をまずは口説き落として、そこからメンバーを広げていきました。

お客様がどういう人かというと、作業員さんなんですね。多くの方が単身赴任で、みなさん、冷たいコンビニ弁当を現場で掻き込んでおられたんです。基本的に温かいものを食べていない。そういう方に何を出したら喜ばれるのかなと考えたら、やっぱり普通の家庭料理でしょう、と。ですので、地元のお母さんたちに助けてもらうのが一番だと思いました。 

みなさんシャイで、「私が作った料理でお金取るなんてとんでもない」と、ものすごく抵抗をされたんですけど、「だからいいんですよ」「普通の家庭で食べられるようなものをみんな食べたいはずなんですよ」と説得して回りました。

自分の志を押し付けるより、相手の想いに耳を傾ける

梶屋:起業にあたって、人を口説けるかどうかは非常に重要です。和田さんは控えめなイメージもありますが、どうやって相手を説得していったのか気になります。

和田:心がけているのは、相手が興味のあること、やりたいことについて語ってくれたとき、すかさず拾うことです。そこを起点に話を広げ、こちらがやりたいことと上手く接合して「だから一緒にやりましょうよ」と結論づけていきました。

梶屋:「世の中を変えましょう」などと自分の理念を熱く語ったわけではないのですね。ご自身は「Why」を大切にされているけれど、周りの人には押しつけなかった。

和田:自分はつねに自分自身の志にコミットしているつもりですが、その志が万人にとって正しいかというとそうではない。あくまで僕がやりたいことであって、相手にとってはどうでもいいことかもしれない。誰かとコミュニケーションを取るときは、そういうものだと思うようにしています。

梶屋:巻き込むというよりは、あくまで相手の問題意識、人間性に寄り添うのですね。思い浮かぶのが「傾聴」という言葉なのですが、和田さんの重要なスキルのひとつは聴く力、それも心で聴く力では。

和田:なんとなくいい答え方とか一般的な答え方じゃなく、しっかり聴いて本音を見極め、真摯に答えるよう気をつけてはいます。

梶屋:育成においても大切な姿勢だと思います。先ほど、地域全体で起業家を増やしていきたいとお話しされていましたが、起業家の卵ともなる若手はどうやって育てていますか。

和田: 3.11の時、小学生~高校生だった子どもたちは、多感な時期に強烈な原体験をしているので、社会課題に関心を持つ子、自分と同じように世の中の不条理に怒りのエネルギーを持つ子などが多くいます。そんな彼らを次世代のリーダーとして育成しようと、現在、ヤフーとソフトバンクと当社の3社で「Next Action→ Social Academia Project」というプロジェクトを始めています。今年の5月にスタートし、早くも100人を超えるコミュニティになりました。3人くらいでひとつのチームを組んでもらい、事業を生み出すプラットフォームを作ろうと試みています。

地方はどうしても東京をまねた「ミニ東京」みたいな街や、あるいはチェーン店やショッピングモールが国道沿いに並んでいる街を作りたがる。どこも同じような街に見えます。そうではなく、この街にしかないお店がたくさんあって、個性的なオーナーが集まって面白いイベントを開いたりしている街にしたい。子どもたちがそれを「カッコいい」「面白い」「自分もそうなりたい」と思いながら「ここで生まれ育って良かった」と思えるような土地をつくりたい。僕らの世代で100の事業を作り、次の世代に「事業を立ち上げることは全然特別なことなんかじゃないんだ」ということをえたいのです。

梶屋:事業が生まれて雇用が生まれると、そこに子どもが生まれ、次の世代の若者たちが育っていく。さらに新しい文化が生まれてくる――まさに地域が再創造されるイメージですね。和田さんが100の事業と掲げる意図がわかりました。

(文=西川敦子)

後編に続く)

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